第11話

文字数 1,484文字

電車の乗り換えは一回。

改札が三つの駅に降り立つと、更にバスに乗り込む。

空いたバスに揺られながら、滲んだ汗を拭い、
蝉の鳴き声をイヤホンから流れる音楽でかき消す。

バスを降りると、
リュックに密着したTシャツの背は再び濡れていくが、
冷房の下に行くにはまだ早い。

公園の入り口に立つ。

目的の図書館は、公園の奥だ。

中規模な池は、うっそうとした樹木が囲っていた。

飛び石で遊ぶ園児を追い越して、
小さな広場でボール遊びをする親子を過ぎて、
やっと白い建物の角が、木々の頭から覗き始める。

虫嫌いには嫌煙されるだろう、
人を寄せ付けないその図書館を、
ケントは気に入っていた。

高校二年生の春から、休日の間だけ、
ケントは図書館を利用し始めたが、
彼女は既に、休日すら利用客の少ない自習スペースの常連だった。

図書館の中央に四台だけ設置された、
六人掛けテーブルの端の席を、彼女はよく使う。

ケントが見かける限り、彼女はいつも制服姿だ。

その制服は、進学校と名高い女子高のもので、
私立のお嬢様高校としても有名だった。

休日を勉強に費やす姿は、真面目そうな第一印象を与えたが、
軽快なペンの音を図書館に走らせた後、
何十分も居眠りをし始める姿に、変なバランスで動く子だと思った。

ケントは勉強で一息つく際に、彼女を盗み見る癖がついていた。

他人を気にしない行動が、見ていて飽きないと思ったし、
ボブヘアと幼く見える顔が好みだった。

彼女のことを確実に意識し始めたのは、
彼女のノートに落書きを見つけた日からだ。

休日、彼女と同じ六人掛けテーブルで勉強していたケントは、
居眠りのために机に突っ伏す彼女の旋毛を、こそこそと見ていた。

旋毛から落とした視線の先、
綺麗な字で連ねられた数式に目が離せなくなっていると、
ノートの隅に落書きされた、犬を見つけた。

整った字とは反対に、汚い線で描かれた絵だった。

小学校一年生の時、二か月だけお絵かき教室に通ってた、
ケントの方が上手く描けると自信があるほどだ。

その日から彼女のノートの余白にはいつも落書きがあることに気が付いた。

落書きする瞬間を目で捉えたことはないのに、
いつの間にか彼女のノートの隅には、猫や宇宙人やカレーライスの絵が添えられていた。

ケントは、彼女の落書きを見つけるたびに、
彼女に話しかけようか迷って、やめた。

気持ち悪がられない話しのかけ方が、思いつかなった。

知らない男に落書きで、
恋心を抱かれたなんて、彼女も嫌に決まっている。

それでも、ケントが不自由だと感じた世界で、彼女は特別だ。

彼女の細い腕の陰で、
ノートの端に刻まれた落書きは、
整頓されきった世界から、こっそりと隠れた欠陥——〝バグ〟

ケントの自由の在処だった。

ケントが図書館に通い始めた頃から、
彼女はいつもある難関大学の過去問を、机上に置いていた。

彼女の意志で難関大学を目指しているのか、
違う理由があるのか、他人のケントには分からない。

もしかしたら、彼女も受験勉強に悩みがあるのかもしれない。

結局、ケントは彼女のことを、何も知らない――。

***

「最初は、同じ参考書を持って、彼女の気を引きたかった。
そのうち、面白い研究をしてる大学だと分かって、
彼女と同じ大学を目指したくなった。
でも、俺の成績では、受験したいって言うだけで、
担任の教師に笑われたよ。
俺自身、悔しさより、恥ずかしさが勝った。
理由だって不純だ。
好きな女の子が目指す大学に行きたいなんて、キモいって分かってる」

ケントの頭には、彼女の落書きと、教師の嘲笑が両方浮かんでいた。

テディーベアはずっと星の地平線を眺めていたが、

ケントの話が終わると、手に持った光の玉に瞳を凝らした。
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