第9話

文字数 1,883文字

毛皮がふるふると震え始めた。

綿しか入っていない身体を縮ませて、
膨らませて、
空気を取り込んだり、
吐き出したりしていた。

上下する肩を支えるために、
ケントはテディーベアの隣に膝をつき、言葉を詰まらせた。

テディーベアの腹には、大きな裂け目があった。

裂け目からは、握りこぶしほどの綿が飛び出ている。

人間であれば、臓物が飛び出て死は免れない。

大丈夫かとケントは声を掛けるが、
反応できるほどの余裕は、テディーベアにはなかった。

テディーベアが何とか持ち上げた手で、腹の裂け目に触れた。

傷口を抑えるのかと思ったが、テディーベアは裂け目に手を突っ込んだ。

本能的に血の気が引くケントをよそに、
テディーベアは突っ込んだ手で身体をまさぐった。

そして、手を止めた。

体の中にある何かを掴んでいた。

それを引き出そうとした時、腹から飛び出た綿の一部が、暖かな光を透かせた。

綿の奥にある光。

光の正体を、テディーベアは身体の中から引き出そうとしている。

綿から光の玉が抜けた時、ケントは息をすることすら忘れていた。

あまりにも美しい灯。その光は、彼の命そのものに見えた。

人間でいえば恐らく心臓くらい大切なもの。

取り出してはいけない、と声を上げそうになったが、
乱暴にケントの息を吹きかければ、弾けてしまうと感じた。

布地の手に留まる光は、球状の光源だった。

玉のように丸くて、淵を囲う核はない。

中心の眩しさで、テディーベアとケントの間は、微かに明るくなる。

その光は一体何だ、と潜めた息でケントは訊いていた。

光の奥にあるテディーベアの瞳には、暖かな揺らぎが写っていた。

「よくボクの中からできるんだ。
どれだけこれをつくっても、ボクは死なない。
でも、とても苦しくて、悲しくて、身体の一部を剥がすような痛みもある。
何か大事なことを思い浮かんだ時に、ボクの中に生まれるんだ。
とても意味があるものに思えるけれど、そうでもない。
これを失くしてもボクは死なない。
舐めても味はしない。
甘くも美味しくもない。
怪我は癒せないし、便利なわけでもない。
寝たり起きたりするのにも役に立たない。
寒さをしのげるわけでもない。
あの星から音が聞こえると思った日から、この光がボクの中から出来るようになった。
あの音を真似しようとしているのかもしれない」

ケントは何度も瞬きをして、光の玉と、目を合わせた。

とても綺麗なのに、何の役にも立たないと、テディーベアは言った。

いつかのケントが信じていた、
地動説のように、
地球が発光する説のように、
この美しい光源は無意味で、そして、諦めるには惜しい。

それがどれほど手酷いか、ケントは知っている。

通いつめる図書館に見かける彼女だって、
いつもケントが勝手に見つめるだけだ。

参考書に向く華奢な背中で、
彼女のその日の調子を推測するのもケントの方。

彼女がケントの存在を認識しているか、そんなことに自信はない。

彼女と同じ志望校を目指すことを、彼女が望むはずもない。

「くだらない光の玉。そういうものなんだな」

ケントはわざと、棘がある表現を選んだ。

テディーベアは、その棘を大人しく耳に受け入れている。

ふたりは自然と、果てしない星空を仰いでいた。

毛糸の手先や、ケントの宇宙服の胸元くらいは明るいが、
頭上に広がる深い闇を照らせるほどの力はない。

テディーベアは沈黙する星空に投げかけた。

「やっぱり、くだらないかな。
あの星にいる誰かも、こんなものは要らないだろうか。
ボクは、ボクに許された時間で、この光を何個も何個もつくるけれど、
誰の何の意味にならないものを、つくっているだけだ」

すると、テディーベアはふっくらとした腕で、振りかぶって、光の玉を真空の空に投げた。

ケントは反射的に、光の行方を目で追った。

放たれた光は、ケントたちの身長より高く飛び上がって、そして、宙で弾けた。

あっ、とケントは声をあげた。

数多の細い光の筋が、四方に飛び散り、玉の形が分散していく。

玉から勢いよく飛び出た、糸よりも細い光の筋たちは、
まっすぐな軌道を描いて進み、そして勢いを失うとしなだれながら、
ぴか、ぴか、と最期の力を振り絞り瞬いて、そのうち消滅していく。

口を半開きにするケントは、光が降る空に、〝聞いていた〟。

ごく短いメロディー。

ピアノの音にも、人の歌声にも聞こえる、曖昧な音源。

光の玉が弾けると共に奏でられる、断片的なメロディーだった。

ケントはたまらずに、テディーベアの方を振り向いた。

しかし、ケントとテディーベアの目が合うことはなかった。

テディーベアは、光が消滅した地点をまだ見つめていた。

糸の口を閉ざして、不思議な瞳だけが、月の満ち欠けを繰り返していた。
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