第4話

文字数 3,001文字

 自分は毎日、毎食ごとに「うさぎ」を食べていった。「肉片」が炎上した翌朝には、希少部位である子宮を炒め、ポン酢をかけて舌鼓を打った。滋養があるというから、体が資本の自分にはありがたい。疲れきった夜はがっつりと、肩肉をミキサーにかけ、タマネギ、卵とこねたハンバーグを焼き、骨を水と煮込んだボーンブロスとセットでいただく。
 その翌日は、思い切ってゲテモノ料理に挑戦――脳を解凍し、スクランブルエッグと和えてパンに挟む。
 いただきます……――
 濃厚な豆腐っぽい脳にスクランブルエッグがはつらつとしたうま味を加え、パンと食べると得も言われない味が染み入ってくる。前日のボーンブロスの残りを飲み、脳みそ料理をまた一口……――
 挽肉をタマネギ、ジャガイモと混ぜ、からっと揚げたコロッケ……――
 血を温め、砂糖、バニラエッセンスにゼラチンを加え、冷やしたゼリー……――
 薄切りにした舌を焼き、塩こしょう、ガーリックで味付けした舌肉のスライス……――
 手足は煮込みにし、脂肪の多い尻はグラタン、紫色の唇は甘露煮と、レシピと首っ引きで自分は料理に励んだ。
 美味しく調理し、しっかり食べる、それが「うさぎ」に報いることでもある。
 とはいえ、感動は日を経るにつれて薄れ、「うさぎ」を食べずに一日過ごしたこともあった。SNSには毎回料理の写真を投稿し、それなりに反応もあったが、料理の見た目がいまいちということ、それよりなにより次から次へと新たな「うさぎ」の話題が流れてきて、自分の「うさぎ」のことなどいつしか忘れ去られていた。
 さらに加えて、デリバリーのリクエスト通知が少なくなってきたこともある。評価が低いのだろうか、もっと早く届けなければ、と躍起になったのだが、ネットのうわさでは客が減っているらしい。その一方、配達員の数は右肩上がりのままで、実際、以前より見かけるようになった。デリバリーを頼んでいた側が、今は配達する側というケースもあるそうだが、とにかく稼ぎが減れば、家賃さえ払えなくなってしまう……そうした不安も、食欲を少なからず減じさせていた。
 自宅待機していても一向に鳴らず、リクエスト通知を求めて町を流していたある日、市街地から市街地へと走るうちに遠く離れたターミナル駅まで来てしまった。黒ずんだ冷気が立ち込め、ヘドロを蓄えたような雲がのしかかってくる。
 これではまるで、餌を探して移動する魚だな……――
 そうしながら、ゆっくりと食われている……そんな考えがかすめ、ぞっとして振り払う。早く帰って「うさぎ」を食べたい……ダウンジャケットごと縮こまり、駅前まで流れてきた自分は、ふと目にしたそれにぐらつき、あやうく自転車ごと倒れそうになった。
 「うさぎ」が、いた――
 あの「うさぎ」が、今朝はオーロラソースと和えたものが……とっさに自分は端に寄り、恐る恐るそこに目を凝らした。
 それは、あの「うさぎ」ではなかった。
 見るからにみすぼらしい、初老のやつれた女性だった。しかし、とてもよく似ている……二回りくらい歳を取ったら、こうなるのではないだろうか。その初老女性はビラの束を抱え、道行くマスクの人々に何やら呼びかけていた。
 娘のこと、どんなことでも構いません……ご協力、お願いします……――
 かすれ声でそう繰り返し、すがるようにビラを差し出す。行方不明者の情報提供を求めているのか。しかし、そのほとんどは一瞥もされなかった。それも当然だろう。人が人に食われる日常、行方不明者の届け出受理数だけでも昨年は十数万人……あまりにもありふれているのだから……時折、反射的に受け取る者もいたが、目で追っていくと大抵はそこらに捨てられていた。
 自分はその一枚を拾い、よく見た。
 そこには、「うさぎ」の写真があった。確かに、あの「うさぎ」の……だが、半べそにも見える微笑の、証明写真らしいそれは、似て非なるようでもある。その下には、名前……このとき自分は、「うさぎ」にも名前があるという、考えてみれば自明のことに動揺した。うろたえた視線は、ビラの下部の連絡先電話番号、SNSアカウントの二次元コードを経て「母うさぎ」に戻った。
 ここにいる……この「うさぎ」は、ここに……――
 腹部に左手を重ね、しわばむ右手のビラ……自分は、「うさぎ」を買った。同意を得て殺し、食べているのだ。だから、いくらそんなことをしたって……教えてやろうかと思いながら、自分はビラを捨てて背を向けた。容赦ない寒さが五体を痛め、骨まで刺さってくる。あんな「母うさぎ」がいたのか……それなのに、なぜ……うちの親とは大違いじゃないか……――
 ひたすらペダルを漕ぎ、あえぎながら自分はリビングに倒れていた。冷えきったフローリングが、ダウンジャケット、ジャージ、汗に濡れたアンダーシャツ越しに凍えさせる。ふと目をやると、壁際には重たげな冷凍庫……――
 あそこにはまだ、「うさぎ」が……――
 這うようにはしごをのぼり、マスクを外してロフトの寝床に潜り込む。暗がりはひりひりと肌寒く、あの冷凍庫内かと思えてくる。自分はポケットからスマホを出し、何をするでもなくいじり始めた。ほとんど無意識にSNSを開いたところ、いきなりの「母うさぎ」に面食らう。
 なんで……――
 それは「母うさぎ」のビラ配り動画で、レスが凶暴に群がっていた。
 そんなの、とっくに食べられているだろ。
 こんな母親だから、食われるような娘なんだよなあ。
 この「うさぎ」、けっこう美味しそうじゃん。
 エトセトラ、エトセトラ……おそらく、これまでのアクションからおすすめされたのだろう。「母うさぎ」は娘との思い出を振り返り、これまでありがとう、というメッセージとともに電子マネーを振り込まれたのが今のところ最後です、とここでも情報提供を求めていた。
 あれは、「母うさぎ」に……――
 そうした姿はいたずらになぶられ、食いちぎられていく……「母うさぎ」は、娘を辱めないでください、いたずら電話などはやめてください、と抗っていたが……――
 あっ……――
 「肉片」が助勢して、けだものたちを追い払おうとする。だが、しょせんは多勢に無勢……しかも「教授」が参戦し、娘は食べられたという前提で、これは自然の摂理だから仕方がないと論陣を張ったので、形勢は悪くなる一方だった。
 どうして殺すのですか、食べるのですか?――
 声をからすように訴える、「肉片」……自分は、思わず顔を背けた。どうしてって、そういうものだからじゃないか。強い者が弱い者を食う、それが当たり前だからだ。そもそも、「うさぎ」は自ら……それを止められなかった「母うさぎ」なんて、いい親のはずがない……だから、「うさぎ」は……――
 自分は跳ね起き、はしごを下りて、冷凍庫の中からこぶし大のものを取り出した。霜の付いた、色の悪い肉の塊然とした、それ……「うさぎ」の、心臓……――
 食べてやる……――
 電子レンジで解凍し、絡み付いた血管を残らず取り除く。それからこびりついた血を洗い流し、塩水で臭みを取って一口大に切っていく。食通には人気だという希少部位……酒、醤油、砂糖で煮詰めた一品に自分は箸をつけた。いやに歯応えがあり、舌がしびれる味だったが、構わず飲み込んでいく……「うさぎ」は、ここだ。この腹から血になり、肉になっている……糧になっているのだ……――
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