第2話

文字数 1,601文字

 鞭が鳴るような音――寝ぼけながら自分は、枕元のスマホをつかんだ。
 リクエスト通知……デリバリーの……――
 薄暗くよどんだロフトから見える、ぼんやりとしたカーテン……それは乏しい冬日を遮って、寒々しい色を際立たせている。もう、そんな時刻……いつもなら通知に飛び付くところだが、胃がもたれているせいもあってか、どこか他人事のように自分は画面を眺めた。
 取らないと……――
 だが、タッチの差でそれは消えてしまった。取られた、他の配達員に……目が覚めた自分は居ても立ってもいられなくなり、ロフト隅の宅配バッグを引き寄せ、寝癖を撫で付けて液晶画面をにらんだ。今は、これしか生計を立てるすべがない……うかうかしていたら、たちまち干上がってしまう……さいわい、しばらくするとまた通知音が鳴り、タップして仕事を受けることができた。冷えきったダウンジャケットを着て、宅配バッグを背負い、はしごを下りた自分は流しで顔を洗い、ごみ袋を集積場に出すとアパートの駐輪場から自転車をこぎ出した。
 急がないと……――
 客を待たせるほど、評価は落ちていく。低評価の配達員には、通知が来なくなってしまうらしい。マスクの脇から白い息が漏れ、ペダルを踏むスニーカーに力が入る。氷水にさらされているように寒く、手袋をはめてもかじかんでくる指……朝食を食べる時間はなかったが、いくらか胃もたれしていたので気にはならなかった。
 本日一件目――商店街のファストフード店で商品を受け取る。運ぶのは、フライドチキン一個……それを数キロ先の配達先へ……煤けた色合いの町並みは、どことなく廃墟にも見える。詳しくは知らないが、この国は近隣と緊張関係にあって、もしかすると戦争になるかもしれないらしい。しかし今の自分には、この配達を無事に完了させることの方が大事だ。途中で新たなリクエストが入り、届け終わってすぐ次の受け取りに急ぐ。数珠つなぎのリクエストであちらからこちら、こちらからそちらへ飛ばされ、はかなげな陽が中天に近付いて、だんだんと腹が減ってくる。それにしても、デリバリーなんて贅沢をよくできるものだ。そういう層がいるから、こっちも生活していけるのだが……――
 あっ……――
 配達バッグを背負った同業者を見かけ、今朝、リクエストを奪った相手では、と自分は目で追った。もし、そうだったなら……追いかけそうになるのを抑え、先を急ぎながら自分は薄笑いを浮かべた。そんな衝動に駆られるなんて……ポケットに防犯スプレーを忍ばせているだけなのに……このワークもそれなりにリスクがあって、とりわけ女性は配達中に消えてしまうことがままあるという。
 だが、食べられるのは、食べられる人間が悪い。
 隙があったにせよ、弱いからにせよ、あるいは生かしておく価値がないからにせよ、自身に問題があるからなのだ。建前がどうあれ、人は陰で人を食っている。深夜にベランダや未施錠の玄関から、あるいは白昼に空き教室や自動車の車内、バリアフリートイレ……自宅二階の部屋などで……その味が、また格別なのだ。食べれば食べるほど強くなるとも言われており、社会的地位の高い人間はたくさんの命が糧になっているそうだ。
 弱肉強食――
 だから自分も配達中に警戒を怠らず、さみしい集合住宅で手渡しのときなど緊張しているのだが、本日は通行人や届け先の相手も獲物に見えた。これも「うさぎ」を食べたからだろう。
 自分は食われる側ではない。食ったのだ、食う側なのだ。
 たとえそれが、より弱い者を食べただけであっても、自分にとってはそれほど大きなことだった。
 帰ったらまた、「うさぎ」を食べよう……――
 じわじわと、生唾がわいてくる……ネットにあるレシピのうち、作れそうなものに限られるが、残りの右大腿部でトマトシチューかオイスターソース炒め、それとも、カツレツにしようか。油で揚げた皮を付け合わせにして……――
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