第3話

文字数 1,799文字

 ぐったりとアパートの外階段を上がる頃には、何もかも奪われた空は真っ暗になっていた。鍵穴に引っかかりながらドアを開け、冷たくよどんだ暗がりを照明で散らす。ミックス野菜炒めセットなどの入った手提げ袋をローテーブルに置き、設定温度低めのエアコンを入れて、クッションを枕に自分は横たわった。トータルで何十キロも走らされ、ときにはダンジョンじみたタワーマンションに足を踏み入れて……昼食は、商品受け取り先のコンビニで買った肉まんを頬張り、一分一秒でも早く客に届けられるよう、悪い評価をつけられないようにと汗をかいたが、単価が安いので時給換算だと最低賃金を下回っている。配達員は増えているそうだが、パイは一向に大きくならない。配達員が配達員を襲う、そんな事件が時折ネットを賑わすのも当然だろう。
 「うさぎ」を、食べよう……――
 考えるだけで血が満ち、疲れも薄れてくる……何より、朝からほとんど食べていないのだ。スマホでレシピを選ぶ。肉と野菜のピリ辛煮込み……体の芯から温かくなるにはもってこいだ。
 シンク調理台をセットし、右太腿肉の残りを細切れにして、それと並行してフライパンでニンニクとカット野菜、赤唐辛子を炒め、しんなりしてきたところで肉を加える。そこに赤味噌、鶏ガラスープの素、水など、さらに血を少々加え、蓋をしてしばらく蒸し焼き……しかる後に中火で汁気が半分くらいになるまで煮込む。これもまた、美味そうだ……レンジで温めたパックご飯、ペットボトルのウーロン茶とローテーブルに並べ、まずはフライパンから直に肉を一口……これは、疲れも吹っ飛んでしまいそうだ。辛みがもも肉を勝ち気な味わいにしつつ、隠し味の血でまったりとした余韻を残していく……米飯と一緒に食べると、思った通り箸が止まらなくなる。あっという間にフライパンは空になり、自分は薄れていく味を惜しみながらウーロン茶をラッパ飲みした。
 そういえば、また料理の写真を撮り忘れたな……――
 お世辞にも映えているとは言えないが、どんなものを食べたのかという記録でもある。次は気を付けよう。膨らんだ胃袋を抱え、とろっとした目で自分はSNSをチェックした。昨夜からたまっているレスはどれもこれも、「うさぎ」の味はどうだったか興味津々だった。まずまずと評価したが、当たりか外れかなら前者だろう。野生の「うさぎ」でこれなら、食事や運動などを管理され、上質の肉として高額取引されるものは、一体どれほど美味しいのだろうか……と、自分の目は引っかけられ、毅然とした文字列に眉間を波立たせた。
 「うさぎ」を食べるなんて、あまりにも残酷です。――
 それは舌鋒鋭く、こちらを批判していた。読み込むほどスマホを持つ手は震え、頭が真っ赤になってくる……これまでにも、こういうアンチが他人にかみつくのを見たことはある。だが、自分が標的になるのは初めてだった。そのアンチは「肉片」というアカウント名で、プロフィール欄には、あなたたちに貪られた残りの肉片です、などと記載されていた。
 なぜ、「うさぎ」を食べてはいけないんだ……――
 文章をにらみ、どうやり込めようかと自分は頭をひねった。弱者は強者に食われる。牛、豚、鶏、馬……魚やら何やらだって食われている。人を食べたっていいじゃないか……なんと言っても美味いのだから……そうこうしているうち、「肉片」に自分と同じ考えの炎が投げつけられ、たちまち燃え上がっていく。その先頭に立つのは「教授」というアカウントで、プロフによれば、とある大学で教鞭を執っている人物らしい。
 弱肉強食、それはこの国の伝統である。
 そう主張した「教授」は、社会が弱者であふれかえったら、この国はどんどん弱体化していく。だから、強くならなければならない、弱い者は食われなければならないと持論を展開した。「うさぎ」は自ら命を売った、弱い自身を他人のために差し出した、そうした殊勝な心がけを否定するとは何事か、とも……それにあおられて火勢は激しくなり、液晶画面から噴き出しそうだった。
 ざまあない……――
 ふうっと鼻から息を吐き、自分は「教授」らのコメントを好評価していった。弱い者は食われる。食われたくなければ、強くなればいい。あるいは、守ってもらえる価値を持てばいい……意を強くしてコメントを書き、燃え盛る炎に投げ込んだ自分は、渦巻くその熱気に溶け込んでいった。
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