第38話 「胎動」から

文字数 1,664文字

 2005年に始めた「胎動」が、わたしのネット・デビューだった。ウェブリブログで、約5年間、とにかく毎日、よく書いた。書き続けた。
 この題名の由来は、これから自分が書いていくだろう内容を想像した時、自分の内面を重視していく予感がしたし、その内的動きを言い表す言葉が、「胎動」以外に見つからなかった。
 戦後文学の椎名麟三の処女作が「胎動」で、被るのは抵抗を感じたが、ほかに相応しい題名が全く無く。椎名さんのそれは、出版社が預かっていたが、戦災で建物が燃えてしまい、300枚の原稿も灰になってしまったという。「あの出版社には恨みがあるんですよ」とおっしゃっていたが、椎名さんがほんとうに恨んだのは、もちろん戦争だろう。今(2022年)もウクライナで不穏な動き、なぜ、今さら、どうして、また戦争のような動きが、と思う。ほんとうに、ばかだと思う。もしわたしが

になって戦争が起こらないなら、喜んでいけにえになりたい。だが、そんないけにえが必要で、犠牲の上にある平和なんて、てんで平和でない。戦争の大義名分に、よく使われる常套句。和平のためになんて、そんなことで「やむなし」とされては、常時、いけにえが必要になるじゃないか。

 この「胎動」では、たまに天皇制をつっついてみたり、当時の安倍政権への嫌悪、市県民税の税金の使い道を明確にしない限り、税金なんか払いたくないとか、かなり好き勝手なことを書いている部分がある。だが、基本は「その日暮らし」、毎日、思うこと、感じたこと、考えていることを書いていた。某大手自動車工場の、曲がりなりにも従業員であったから、その後光を自分のブログにも照らし、イキガッテいた頃でもあった。
 コメントを入れたいけれど、どんどん更新されてしまうので、なかなか入れられなくて、と、よく読んでくれていた人から言われるほど、1日にいくつもの記事を書いては更新、書いては更新した。とにかく、言いたいことがいっぱいあったのだ。そして、読まれる喜び! コメントをもらい、交流の始まる喜び! 書かずにはいられない、一種の病気であった。
 今の家人ともこのブログで知り合ったし、何としても自分に最も勢いがあり、もし人生に絶頂期というのがあるとしたら、この5年間がその時期だったと思う。自分が、

感覚。職場でも、理解ある上司、仲間に恵まれて、今から思えばあの頃死んでおれば、とも思うけれども、当時は生きたくて生きたくて、いや、書きたくて書きたくて仕方がなかった。

 中学時代の恋人、友達と戯れていた頃が、第一のわたしのピーク、二十歳の頃の活動が第二のピーク、そして「胎動」を書いていた頃が第三のピークだった。今読み返しても、なかなかに恥ずかしいが、あの勢い、俺を見ろ、という自己顕示欲の凄まじさ、おとなしげな冗談まじりに書いているように見えたとしても、書いていたわたしの実体は、「俺を見ろ」この一言に尽きると思う。
 今もたまに、このノベルデイズに、書きたくて書きたくて仕方がない衝動に取り憑かれる時がある。だがこれは、「俺を見ろ」ではなく、1つ書いて投稿したら、またその書いていた内容、書いている最中に自然必然発生した語句に引きずられ、そこから派生してふくらんだ想念が吐きだし口を求めるという具合で、17年前の自己顕示欲とは別の欲求である。
 だが、基本的に「書き方」は変わっていない。自分で、ああ良く書けた、と満足できるような時、そういう時は、決まって「わたしが書いていない」。わたしは、ただ

。わたしの中に、確かにわたしは存在しているのだが、そして欲求もあるのだが、この欲求が何かを求めて書こうとするのではなく、いつのまにか、求めていた何かに、自分が求められてしまうのだ。わたしは、おそらく狂っているのかもしれない。だが、ある種「正常」な意識を持っている時より、忘我、ワレ・ワスレラレル、「私」という存在が、何かに「持って行かれている時」、非常なほどに良い、と自分で思える、納得のできる文が書けていたと思う。
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