第5話

文字数 1,016文字

 地元に帰って来た。
 最寄り駅。自宅、そして勤務先に足を運ぶ。非常事態に関わらず、何処までも日常にとらわれる事に嫌気が差す。案外これで正気を保とうとしているのかも知れない。
「先生、取材旅行は如何でしたか?」
「聞いてんすかー、せーんせ」
 痩身の若い男が回転椅子に項垂れた後輩を見下ろした。職場に勤めて四年。一度も歯牙に掛けなかった皮肉屋の軽口。それが今は虫歯が齎す頭痛みたいに心に障った。
「揶揄わないでくださいよ」
「小説書いてるのは──」
「小説は、ただの趣味ですよ」
 遠ざかるへらへら笑い。正面から対応した事を悔やむ。
「ウェイクアップガールズ6thライブ、良ければ必ず来てください」
 覚えのある声。ディスプレイ上に存在する七人。目を凝らしても具体的に認識する事は叶わない。焦がれた光景が映し出されているはずだった。知っているけれど見た事がない。
「良ければ必ず」
「行くのか、自分は」

 SNS上に作成した閲覧リスト。共通した趣味を持つフォロワーの投稿だけを確認出来るものだった。「この世界におけるWUG」を知る、その次に勇気が要る。気持ちを救ったのはWUGと、語り合ったワグナーも同じであった。彼らは変わってしまったのか。又は、今ここに。どうして存在しているだろうか。
「吉──茉──」
「──山吉」
「──」
「山──海」
「──」
 気持ち悪い。辛い。骨身が凍り付く。書かれた言葉の半分も理解出来なかった。
 ネットの海に漂う輝きは全て絶望だった。
 わが身を覆う孤独。深い暗闇。永遠の様だった。
 かつて「同じ言葉」で話し合えた人間は誰も居なくなってしまった。これから現れる事もない。あの日から今まで支えてくれたもの。不安定だったけれど遂に崩れ落ちる。二度と同じ所に戻れない事を予感した。手を差し伸べるものはない。
 暗く寂しい部屋。世界の終りで怪物の行進をやり過ごす様に息を潜めた。
 筆を執る。ものを書くのは五年振りだ。
 自称もの書きとしての人生。訪れた決別は「夢があって諦めた」というドラマチックなものでは決してない。何となく書かなくなった、それだけ。夢を見た事なんて一度もない。
「二〇一九年三月、僭越ながら門出に花を添えた。その後、同好の士と呼べる人たちに会って、語り合う中で大袈裟かも知れないが『命拾い』をした」

 WUGとワグナーの事を思い出せるだけ文字に起こす。意味があるか分からない。けれど、そうでもしなければ全て忘れてしまうかも知れない。
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