第4話

文字数 1,149文字

 さいたま新都心駅の改札。体感で二時間前に来たばかりの場所。湾曲した屋根は、駅舎が溶けて空に染み広がるみたい。訪れた者に与える閉塞。それは同時に、向こう側に待つ景色に対する高揚感を喚起させた。
 何も変わらない。但し、屋根や駅舎を照らして熱するのは「三月八日の太陽」である。その一点については、常軌を逸した事実と思わずには居られなかった。

 さいたまスーパーアリーナ。目的地は考えるまでもなかった。足を進める事が解決の糸口。根拠はないけれど他に手段がない。
 現実でない様、夢心地。不安は具体性がない。
 WUGを観られるかも知れない。今の心境でもう一度向き合いたい。気持ちが少しずつ和らぐ。欲望が理性の堀に緩慢な流れを生んだ。
 無機質な足音の群れ。方向のない喧噪を潜りながら、けやきひろばを進む。
 直面する虚無に言葉を失う。「そんなはずない。夢かこれは」液晶画面に再び指を滑らせた。駅の売店で買った新聞紙に顔を近づけた。「今日は何年何月何日ですか」通り掛かった年配の女性を困惑させた。然し、期待した答えは得られなかった。
「二〇一九年三月」
「三月八日」
「三月八日金曜日」
「金曜日」
「金曜日」
 今日は二〇一九年三月八日だった。
 事実が文字の大群となり身体を這い回った。
「さいたまスーパーアリーナ、本日公演なし」
 封鎖された会場ゲート。ワグナーの姿はない。錯乱する若者を前に眉を顰めた女性。他に誰もいない。
「理解が追い付かない──別の世界線的な事か?WUGがライブをしない──まさか、WUGが存在しないのか?」
 目が回る。棚上げにした不安がここぞとばかりに崩れ落ちた。
 硬直した通行人に詫び、逃げ支度を整える。「大丈夫ですか」と言葉を掛けられて無下にするのは忍びなかったけれど、直視し難い現実から遠ざかる方が重要だった。
 出来るだけ早く、という一心で階段を下りる。
 約束の地から逃げ出した。

 たった一つの確かな事。二〇一九年三月八日のさいたまスーパーアリーナ。WUGファイナルライブは開催されていない。あの日に戻って来たのなら、約束の地にはWUGの花道が用意されているはずだ。考えられるのは、SFアニメや映画よろしく別の世界線。つまり、何らかの理由によって生じた「事象」の分岐。彼女たちがさいたまスーパーアリーナに立たない可能性。そこに辿り着いた。
「WUGは存在するのか」
 思い至るのは次の懸念。WUGの結成自体が行われていないかも知れない。
 スマートフォンに触れる指先に脂汗が滲む。「ウェイクアップガールズ」検索結果に息を飲んだ。「ウェイクアップガールズ5thライブツアー“付き合ってくれてありがとう!”を終え6th“まだまだ続くけどよろしくね!”の開催が決定」

 めちゃくちゃだ。三文小説も良い所ではないか。
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