第16話

文字数 2,816文字

 金庫の中は六坪ほどの広さがあり、棚には現金の束が積んであった。キッドの言った通り三十億はありそうだ。思わず息を呑むが、見惚れている場合ではない。
 脇目も振らず、エイラと大出水は札束を二台のワゴンに積み入れる。
 量が量だけに、一筋縄ではいかない。予定より少しオーバーしたが、ようやく積込み作業を終えることができた。
 腕時計に目を落とすと、午前一時五十六分に切り替わったばかり。計画では四分後の二時ちょうどに、銀行の周辺で時限式花火が打ち上がることになっている。陽動作戦として予め準備しておいたのだ。それと連動して通路に仕掛けておいた小型の噴煙装置も作動する仕掛けである。
 二人はワゴンを押して、エレベーターに運び入れる。電動アシストが付いているので、思ったほどの重さは感じないが、それでもスムーズとまではいかない。
 大出水は昇降ボタンの上を押すと、静かにゆっくりとドアが閉まっていく。と、同時にサイレンが鳴り始めた。警報器が発動したのだろう。時間を確認すると、二時ちょうどだった。
ウイーンというワイヤーが巻き上がる音と振動が響く。今頃は噴煙装置のおかげで、通路は煙で充満しているはず。リュックからガスマスクをおりだし、二人は手早く装着した。視界が制限され、多少息苦しくなるが、ここから抜け出すには我慢するほかはない。
 一分もかからず一階へ到着し、また音もなく扉が開いていく。目の前には二人の警備員が待ち構えていた。共に咳き込みながら警棒片手で身構えている。本来であれば五人以上いてもおかしくはないのだが、やはり打ち上げ花火による陽動作戦と噴煙装置が功を奏したようだった。
 警備員は闇雲に警棒を振り回しながら襲いかかってきた。紙一重で攻撃をよけると、エイラは反撃の狼煙(のろし)をあげ、回し蹴りで返り討ちにした。もう一人の警備員も、大出水が繰り出した膝蹴りがみぞおちにクリーンヒットし、床へ沈んだ。
 二人はワゴンを押しながらエレベーターホールを出て、出口へと向かう。
 来た時とは違い、通路は明るくなっていたが、煙が充満しているために視界がぼやける。
 一瞬、迷いそうになるが、出口への経路を把握していたエイラは、迷うことなく正確に角を曲がり、先へと進んでいく。
 何人もの警備員に阻まれたが、その都度パンチや蹴りを入れながら、かわしていった。途中で何度も札束が落ちていったが、拾う余裕などない。あばらが軋み、激痛が走って今にもくじけそうになるが、大出水のフォローもあり、エイラは決して諦めようとはしない。
 次第に煙も薄くなり、ようやく出口が見えたところで、一旦ワゴンを止めてマスクを外す。
 いよいよ脱出できると安心したのも束の間、一人の警備員の男がエイラたちの前に立ちはだかった。男はかなりの大柄で、財前寺に負けじと劣らぬ立派な体格をしている。鍛え上げられた筋肉が隆々としていて、目つきは獲物を狙う鷹のように鋭い。警帽は被っておらず、むき出しになっているスキンヘッドの額には、ドクロのタトゥーがはっきりと見えた。警棒を肩に担ぎ、首を回しながらゆっくりと近づいてくる。
「どうやら仔猫が二匹も紛れ込んだようだな。おじさんが遊んであげようか? ちょうど暇つぶしを探していたところでな!」
 肩から下ろし、警棒をリズミカルに叩きながら、二人を睨みつける。緊張で空気が張り詰め、思うように呼吸ができない。エイラは後ずさりをしながら、慎重に距離を取った。大出水は背後に回ろうとしていたが、通路が狭く、思うようにいかない様子だ。
「死ねやコラ!!」奇声を発しながら、男は警棒を勢いよく振りかざし、エイラに襲い掛かた。避けようとしたが、あばらの痛みでタイミングが遅れてしまう。
 そこでエイラを庇おうと飛び掛かった大出水だったが、無情にも軽くなぎ倒され、床に倒れ込む。
「ヨウ!」
 声をかけるが、一向に動こうとはしない。気絶したものと思われる。
 男はエイラの顔を覗き込むように睨みつけると、口元を少し歪めた。
「お嬢さん。どっかで見た顔だな。たしか……」
 一瞬の隙を突き、エイラは腰を落としながら、タックルを決めた。しかし、全くと言って良いほど訊いておらず、男はビクともしない。あばらのせいで力が入らなかったのだ。男は警棒を殴り捨て、エイラの首元を掴みかかると、喉元を力強く締め上げた。
 息が出来ず、もがきながら必死で抵抗を試みるも、男は少しも動じず、薄ら笑いを浮かべている。エイラはポーチに手をかけ、小型の催涙スプレーを取り出すと、力を振り絞りながら男の顔面に噴射した。
「うわあああ!」
 うめき声を上げながら両手で顔を覆っている。もだえ苦しむ男は床を転げまわり、壁や床に何度も頭をぶつけている。その隙に大出水の元に駆け寄ると、肩を揺すりながら何度も大出水の名を呼んだ。
「ヨウ! しっかりして、ヨウ!」
 しかし、返事はなく、瞼を閉じたまま、ピクリとも動かない。鼓動は感じるので気絶しているだけなのだが、打ち所が悪かったらしく、一向に目覚める気配がない。
 不意に背後から震える声が聞こえてきた。
「キ~サ~マ~! オレ様をコケにしようったって、そうはいかないぜ! 後悔はあの世でしやがれ! オレ様を本気で怒らせたことをな!」
 血走った眼でエイラを睨みつけながら、またもエイラに掴みかかった。催涙スプレーはさっきの一撃で使い果たしてしまい、絶体絶命の大ピンチだ。
「ううっ」
 より一層の力で首を締め上げられ、まったく抵抗ができない。
 次第に手足が痺れ、呼吸が出来ずに意識がもうろうとし始めた。もはやこれまでと観念しかけたところで、急に男はその手を離し、息が楽になった。何度も咳を繰り返し、呼吸を整えると、警備員の男は大の字になって倒れていた。
「ボス、今度焼肉奢ってくださいよ」見ると大出水は拳銃を構えているではないか。銃口からは硝煙が立ち昇り、その銃のせいで男が倒れたのは明白であった。「安心してください、麻酔弾です。殺傷力はありませんが、強力ですから朝までぐっすりと“おねんね”ですぜ」にやりと口元を緩めた。
「ヨウ! いつ気がついたの?」
 すぐさま駆け寄り、思わず抱きしめる。涙を堪えきれないエイラは胸がこみ上げ、声を出せずにいた。
「ちょっと前です。すぐに起きようと思ったんですが、あの男を油断させようと気絶したふりをしていたんです。……その様子じゃ、本気で心配してくれましたね。これでいつ死んでも、あの世でジョニーの野郎に自慢出来るってモンですぜ」
「いい加減な事言ってんじゃないわよ。あんたのことなんかちっとも心配してないわ。独りだとワゴンを運べないから、どうしようって思っていただけよ」
 そう言いつつ涙をぬぐう。エイラは肩で息をしながら大出水を立ち上がらせると、出口への扉を開けた……。
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