第7話 for Italian’s Great Artist 

文字数 2,128文字

 決行の二日前にあたる七月五日。
 マルケイデパートの一階のイベントホールに七夕用の巨大な笹が設置されていた。
 開店前の清掃にあたっていた清掃員がこれ見よがしにぶら下げられているカードを発見した。それはシャッフルからのメッセージカードだった。
『七月七日 午後五時 聖母ノ眠リヲイタダク 怪盗シャッフル』
 驚愕の表情を浮かべた清掃員は、モップを床に放り投げ、チーフの元へ駆け出した。
デパートから通報を受けた警察はすぐさま駆け付け、その予告状としか取れないカードの鑑識が行われた。その文字は宝石店エクセレントの時と同様に角ばっていて、指紋などの手掛かりは出てこない。客に紛れて置かれたものであることは容易に想像できたが、付近の監視カメラからも死角になっていて、予告状を置いた人物はもちろん、その時間帯すらも判らずじまいだった。
 怒りに震える土袈地警部は次こそ逃がすまいと躍起になり、彼の指揮の下、万全と思われる警備体制が敷かれることとなった。楊貴妃の瞳の二の舞だけは踏みまいと、両頬を叩き、気合を入れる。
「警部。奴らは本当に来るんでしょうか? いくらシャッフルと言えど、今度ばかりは無理でしょう」
 土袈地の直属の部下であり、警備の副主任を務める小早川警部補は不安の色を隠せない。三か月前に起きた宝石店エクセレントの事件で、土袈地は一か月の謹慎となった。当時、警部補になりたてであった小早川は、その時の苦い記憶がトラウマになっていたのである。
「やつは必ず来る。汚名返上の為にも、今度こそ絵画を守らなければならない。もちろんそれは最低限であって、奴らの逮捕も視野に入れろ。一般市民を守る意味でもな」
 土袈地は声を荒げ、意気込みだけは半端なかった。

 物々しい警備の中、いよいよ七月七日の七夕となった。
 マルケイデパートの七階催事場ではロベルト・パシーニ絵画展が最終日を迎えていた。目玉である聖母の眠りは、連日とも予想を遥かに越える人出で賑わいを見せている。地下二階にある中央管理センターの中で、土袈地と小早川は互いに深刻な顔をしながら、決して軽いとはいえない空気を醸し出していた。
「警部。しつこいようですが、シャッフルは本当に現れるのでしょうか?」
「何度も同じことを言わせるな! 奴は必ず来る。今まで予告状を出して現れなかったことは一度もない。君も知っての通り、奴の成功率は……」
「百パーセントですね。今のところは」
 それ故、今回は気合の入れ具合が違う土袈地警部。なにせ聖母の眠りといえば、イタリアの国立美術館からお借りした時価十億円ともいわれる貴重な絵画。もし盗まれでもしたら、今後、外交問題に発展しかねない。盗まれるどころか指一本触れさせるわけにはいかないのである。
 この日も開店と同時に絵画展目当ての客が大挙して押し寄せていた。こんなことは今までなかった。昨日までは開店時間の客は少なく、昼過ぎ頃がピークとなっていただけに、土袈地は戸惑いを隠せない。怪盗シャッフルのことなど、公に発表していないにも関わらず、ここまで詰めかけるとは予想だにしなかったのだ。何処からか噂を聞き付けたに違いない。
 厳戒態勢が敷かれる中、土袈地警部は呼吸を荒げている。せめて予告時間である午後五時の前に閉鎖できないか、主催者に頼んでみたのであるが、首を縦に振ろうとはしなかったことが原因であった。主催者の話によると、アカデミア国立美術館にその旨を説明したが、契約を変えるまでには至らず、日本の警察を信用しているとの返事だったという。
 そこで土袈地が取った手段は、出来るだけ多くの警官を配置させ、監視の目を増やすという、いわば人海戦術に頼るほかなかった。それでも催事場がある七階フロアはもちろんの事、マルケイデパートを取り囲むように大量の警官が配備され、各階三名ずつ、地下一階から最上階の八階及び屋上まで、合計百名を越す厳重な警備が施された。それは売り場や駐車場だけに留まらず、バックヤードであるレストランの厨房やスタッフルーム、倉庫や社員食堂に至るまで、それこそアリの這い入る隙間もないほどであった。
 それでも心配性の小早川。彼の気が収まる事は無い。
「シャッフルはどうやって聖母の眠りを盗むつもりなんでしょうか? 奴もこの警備を見たら、さすがに恐れをなして、手を出さないかもしれませんよ」
「だといいがな。しかし、奴を侮ってはならん。油断したら我々の負けだ。予告状を出した以上、何かとんでもない策があるのかもしれないぞ。シャッフルのことだから、必ずや巧妙な仕掛けを企んでいるに違いない」
 警部はそう言うが、これだけの警備、しかも一般客も訪れる中、一体どうやって絵画を盗み出そうというのだろう。 
 力づくとは考えづらい。人質を取ったり、銃を乱射するなんてことはこれまで一度もなかった。それが令和のアルセーヌ・ルパンと呼ばれる所以であるが、果たして今回もそうとは限らない。
 万が一、一般人に犠牲者が出たとすれば大問題である。例え聖母の眠りを守りきれたとしても、非難されるのは間違いない。今度は一か月の謹慎だけでは済まないかもしれなかった。
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