第1話 The Great Red Eye in China 

文字数 2,620文字

 けたたましくベルが鳴り響いた。
 エクセレントの店内は騒然となり、警官たちは慌ただしく走り回っている。ある者は破られたガラスケースに駆け寄り、またある者は店の外で懸命に目をこらしていた。
 当然だ。世界屈指のルビーが盗まれたのだから。
 時価三億円ともいわれる『楊貴妃の瞳』。五十二カラットの純天然石で、古来中国の王家に伝わる国宝級の紅玉である。それをオーナーである二階堂淳平(にかいどう、じゅんぺい)が一年前に買い上げ、彼の経営するここジュエリーショップ『宝石店エクセレント』の目玉として、二階の展示室に万全の態勢でディスプレイされていた。
 
「どうしてこんなことになったんだ! 警備は万全だから安心して下さいと豪語していたのは、どこのどいつだ!!」
 デスクを叩きながら二階堂の怒号が飛んだ。興奮冷めやらぬ彼は、目の前の恐縮しきりの警備主任、土袈地小四郎(どけち、こしろう)警部を非難せずにはいられなかった。
 予告状が届けられていたにもかかわらず、まんまと怪盗シャッフルにしてやられた二階堂は、鈍色に光るフチなし眼鏡の奥で怒りの目を震わせている。しきりに罵声を浴びせられる土袈地警部も、苦虫を噛み潰しながら地団太を踏んでいた。
「誠に申し訳ございません。多数の警官が厳重に警備していたのですが、シャッフルに裏を突かれてしましました。ただいま非常線を張って車を一台ずつ検問しております。警察の威信に掛けまして全力で捜査を行っており、確保は時間の問題でしょう」
 しかし土袈地にも判っていた。シャッフルはまんまと逃げ遂せたであろうことを。これまで奴は一度も尻尾を掴ませたことが無い。正体どころか、男女の性別すらも判明せずにいた。
空になったショーケースには『ゴチソウサマ。怪盗シャッフル』と書かれたカードが残されていた。それはまるで警察をあざ笑っているかのようであった。

 大野城(おおのじょう)エイラ。
 彼女はノルウェー人の父と日本人の母を持つハーフであり、グラビアモデルだった。二十七歳となった今でもトップアイドルとして一世を風靡している。その活躍は雑誌などの出版界だけに留まらず、映画やドラマ、バラエティでも人気を博していた。
 しかし、彼女の裏の顔は怪盗シャッフルとして宝石や絵画などの美術品を盗み続けていた大泥棒。新聞やテレビでは犯行の度に取り上げられて、シャッフルは人を決して傷つけない義賊として知られるようになった。予告状を出すのも特徴のひとつ。にもかかわらず、成功率百パーセントの華麗なる手腕から、いつしか令和のアルセーヌ・ルパンと謳われていた。

 エイラは仲間の大出水健(おおいずみ、けん)と財前寺尚文(ざいぜんじ、なおふみ)らと一緒に笑い声をあげた。計画が順調に運び、無事、楊貴妃の瞳を手に入れたからである。
 大出水は天才プログラマーを自称していて、実際、そのテクニックはかなり高度。彼にかかればアメリカ国防総省局――通称ペンタゴンのメインコンピューターにすらも侵入できると豪語している。現場を目撃した訳ではないので、さすがに眉唾ではあるが、かなりの腕前であることに間違いはない。かつては大手のIT企業を主要エンジニアを務めていたことは事実であるが、その割には、時たまパソコンをフリーズさせていることから、信頼度は充分ではなかった。ペンタゴンの話もどこまで本当か判ったものではない。
 片や財前寺の方は、頭脳分野はからきし駄目であるが、鍛え上げられた筋肉で、体力には絶対の自信があった。三年前にウエイトリフティングの全国優勝を果たしたと自慢していたが、実は県大会の予選で敗退したことをエイラは知っている。空手や柔道の有段者でもあり、体長二メートルを越す、荒れ狂う野生の熊を相手に勝利した経験があると、事あるごとに自慢しているが、こちらの方も真偽のほどは定かではない。

「上手くいきましたね、ボス」ボスとは当然エイラのこと。彼女は怪盗シャッフルのリーダーとして、二人を仕切っている。
 ハンドルを回しながら、大出水はくわえ煙草で顔をほころばせていた。助手席のエイラは大粒のルビーをつまみながら、顔をほころばせた。
「あんなの楽勝よ。クレオパトラの涙に比べたら簡単そのものだったわ」
「違えねえ。あん時、オレたちは蚊帳の外だったけどな」
 半年前、『弥生丸』という豪華客船で、クレオパトラの涙というダイヤを盗んだ時のことだ。エイラたち三人は、見事ダイヤを盗み取るのに成功したのである。しかし、高野内和也とかいう三流探偵に真相を暴かれたのが唯一のミスといえるのだが、それすらも計算ずくであることを、大出水と財前寺は知らない。
 歯をギシギシ鳴らす財前寺。いつものことだが、小言を言わずにはいられない。
「いい加減にして! その癖どうにかならないの?」
「ホントだぜ。耳障りもいいところだ」
 財前寺も充分承知しているはずだが、こればっかりは治らないようだ。
「悪りい。昔から何とかしようと思っているんだが、どうにもこうにも上手くいかねえんでさ。でもよ、お前だって貧乏ゆすりや爪を噛むクセがあるってのに、オレばっかりが責められるのは納得いかねえな」
 文句を言われ、それでも浮かれ顔の大出水は、鼻を鳴らしながらご機嫌な声を上げた。
「俺は良いんだよ、誰にも迷惑かけないからさ。……それよりボス、今夜はパーッと飲みにでも行きません? 楊貴妃の瞳に乾杯、ってな具合に」
「ヨウの奢りでね」ヨウとは大出水のあだ名であり、字は違うものの、俳優の大泉洋から取られた。呼ばれる当人は納得していないが、エイラと財前寺は気に入っているようで、変えようとはしない。当初は別の呼び名を提案していたが、最近やっと受け入れるようになった。
「そりゃないっすよボス」
 ちなみに財前寺尚文はジョニーと呼ばれている。これは本人希望のあだ名であり、名前の由来は訊いても喋ろうとしない。おそらくハリウッドスターのジョニー・デップから来ているのであろうと思われるが、真相を知る者はいない。もしそうだとすれば、ジョニー(デップ)より、アーノルド(シュワルツェネガー)やシルベスター(スタローン)の方がお似合いであるが、ぶっちゃけ誰も興味はなかった。

 三人を乗せた車は今にも空へ飛び出しそうな勢いで、星空一杯の夜の闇に消えていくのであった……。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み