第19話

文字数 4,088文字

 扉を開き外に出ると、そこにはバックナンバーを隠したセドリックが止まっていた。運転席には見覚えのある男が座り、サイドウインドウを下げながら、「よう!」とピースサインを決める。”よう”といっても、もちろん大出水のことではない。
「時間通りね。さすがは名探偵だわ」
 すると財前寺は思わず声を上げた。
「お前は……!」
 運転席の男の名は高野内和也。彼は自称名探偵で、豪華客船『弥生丸』で起きた盗難事件がきっかけでエイラと知り合いになり、時たま連絡を取り合っていた。
「こんな立派な車。よく用意できたわね」
「ああ、小夜子の親父さんから借りたんだ。傷つけるなよ。事務所を追い出されたなら、たまったもんじゃないからな。いいから早く乗れ。奴らが追いかけてくるぞ!」
 高野内の言う小夜子とは、彼の助手を務める女子高生のことで、彼女の父親は高野内の探偵事務所のある雑居ビルのオーナーであった。
 エイラは助手席の扉を開けた。財前寺も後部座席に乗り込むと、素早くドアを閉める。
「早く出して」とエイラが言いかけた時――。
 バン! 
 財前寺の右手側のサイドウインドウに、手の平がべったりと叩きつけられた。
「わっ!!」驚愕の声を上げた財前寺は、腰が抜けそうになりながら体を反らせる。
 ウインドウから男の影が覗き込み、財前寺と目が合った。
 それは二階堂……かと思いきや、実は大出水であった。彼は苦しそうな顔で左肩を押さえている。
 財前寺は窓ガラス越しに怒鳴りつける。
「お前! 催眠ガスで眠らされたんじゃなかったのか! 裏切り者のくせに、今さら何の用だ。さっさとあいつらの元に帰りやがれ!!」
 するとエイラは大出水を庇うように口を出した。
「ヨウを乗せてあげて。彼は裏切り者じゃないわ。悪いけど詳しい話はあとよ」
 疑問を浮かべる財前寺は、興奮を抑えきれない様子でドアを開け、大出水を入れた。
 高野内はアクセルを踏み込み、エンジンを唸らせる。発車と同時に銃声が聞こえ、バックウインドウが割れた。車体にも穴があけられているのは確実だ。「あちゃあ、これは高くつくぞ。修理代は弁償してもらうからな」
 それでも車は廃工場から抜け出し、追手が来る様子もない。エイラたちは最大のピンチを乗り切ったのだった。
 高野内は舌打ちをしながらハンドルを左へ切る。
「ボス、ちゃんと説明してくれませんか? こいつが裏切り者じゃないって言われても、おいそれとは信用できませんぜ」
 後部座席に座る財前寺は隣で額から汗を噴き出している大出水を睨みつける。よく見ると肩に血が滲んでおり、大出水は苦痛の表情で顔をしかめていた。
「撃たれたのか? ざまぁみやがれ!」
 エイラは呼吸を整えると、痛みのぶり返してきたあばらを押さえながら、財前に向かって諭すように話しかける。
「いい? すべては計画通りだったのよ。ヨウが撃たれたのは計算違いだったけれど」
「計画通り? どういう意味です」
「それはね……」
 その時、運転席の高野内が声を上げた。
「伏せろ!」
 エイラは反射的に頭を伏せる。あばらの痛みが増すが、我慢するしかない。後部座席の二人も身をかがめたようで、大出水のうめき声が漏れた。彼もまた肩に激痛が走ったようで、財前寺のねぎらいの声がした。
 耳を澄ますと、前方からサイレンを鳴らすパトカーの音が聞こえてきた。車内は一瞬にして張り詰めた空気になった。エイラは神経を研ぎ澄ませながらパトカーの動向を鼓膜で探る。
「残念ながら、この道路は一本道だ。このまますれ違うしかない」高野内は不安げな声を上げた。「さっきの銃撃で後ろのガラスが割れたから、見つかれば止められるかもしれない。もし職務質問でもされれば一巻の終わりだ。せっかくここまで来たのに、三人そろってブタ箱行きとなるだろうな。……下手すれば俺も道連れだ」
「銃声を聞いて誰かが通報したんだろうが、いくらなんでも早すぎねえか」財前寺の文句が出る。高野内はするりと答えた。
「俺がさっき通報しておいたのさ。気が利くだろう? とはいえ、こんなに早くやってくるとは想定外だったぜ。日本の警察は優秀だな」
「感心している場合じゃないでしょ!」エイラは体を丸めたまま、高野内をたしなめた。
サイレンが迫りくる。連なった三台のパトカーのライトが高野内の視界に入って来た。アクセルを少し弱め、慎重に走り続ける。他の車は一台もなく、パトカーの明かりは完全にセドリックを捕らえている。
 パトカーはスピードを落とすことなく、そのまま対向車線をすれ違った。
 だが、まだ安心できない。仮に割れているガラスに気が付かなかったとしても、セドリックのバックナンバーが隠されている事や、車体に無数の穴があけられているのだから、もし警官の誰かに気づかれでもしたら――。
 四人の心配をよそに、パトカーはそのまま走り去っていった。
 最後の難関を突破し、セドリックは歓喜の声につつまれる。
「どうやら気づかれなかったようね」エイラは喜びに満ちていた。
 高野内も「ふう、ヒヤヒヤしたぜ。警察も案外マヌケだな。後は余裕だな」と、アクセルを踏み込んだ。
 後部座席の二人は陽気に右手でハイタッチを鳴らした。しかし、財前寺は気まずいのか、すぐに真顔へ戻ると憮然とした顔で窓の外を眺める。一方の大出水は痛みがぶり返したらしく、左肩を押さえながら苦悶の表情を浮かべていた。
「痛むのか? 自業自得だ。俺たちを裏切ろうとした罰だぜ」財前寺は恨めしい色で歯をカタカタ鳴らす。
「それは違うわ。最初から仕組んでいた事なの。さっきも言ったけど、ヨウは裏切り者じゃないのよ」エイラはきっぱりと言った。
「どういうことです?」
 すると大出水はさらに苦痛で顔を歪ませながら、事の顛末を話し出した。
「……話を持ち掛けられたのは本当さ。見死らぬ男が現れて五百万出すからエイラを裏切れとな。お前が拉致された後のことだ。そこで俺はボスと相談して二重スパイになったという訳さ。お前にも知らせたかったが、伝える手段が無かっただろう?」
 合点のいった財前寺は、ようやく顔をほころばせた。
「そういう事だったのか。お前のことだからてっきり……いや、最初から信じていたぜ。ヨウはオレたちを裏切るような男じゃないってな」
「よくいうぜ。今まで疑っていたくせに」
「あれは演技だ。もしかしたら三重スパイかも知れねえからな」
「やっぱり信用してないじゃないか。いててて」肩の疼きは増すばかりのようで、大出水は顔面蒼白になっていった。

 二十分ほど走行したのち、二十四時間営業のファミレスが目についた高野内は、駐車場にハンドルを切る。一番奥の目立たない場所に車を止めると、トランクから救急箱を取り出した。
 エイラたちも車から降り、財前寺は大出水の肩に包帯を巻き始める。大出水とエイラは共に鎮痛剤を呑み込んだ。
 高野内はしゃがみ込むとバックナンバーに貼られたガムテープを剥がし、無数の弾痕を撫でながら、深いため息をつく。
「あ~あ、一体どうしてくれるんだ。これじゃあ言い訳もできないぜ。小夜子に何て説明すればいいだよ」
 落ち込む探偵の脇に立つと、エイラは肩にそっと手を置いた。
「ごめんなさい。ギャラとは別にちゃんと弁償するから」
「……なあ、エイラ。聞きたいことがあるんだが」
暗い顔の高野内はフラフラと立ち上がって、フィリップモリスに火をつけながら訊いた。
「何かしら? 名探偵さん。もしかしてデートのお誘い?」
エイラは艶めかしい香りを漂わせながら、高野内の瞳をじっと見据えた。彼の目はすっかりハート色をしている。
「もちろんそれもあるが、さっきの廃工場はどうやって知ったのかな? 大出水が教えたのか?」
 エイラは首を振った。
「違うわ。ヨウはそこまで知らされていなかったわよ」
「じゃあ、どうやって突き止めたんだ? 予め知っていたから、ガスを仕込んでおいたり、あの場所を指示できたんだろう?」
「それはね、ジョニーが知らせてくれたのよ」エイラは視線を財前寺に向けながら言った。
「財前寺が? だって彼はずっと拘束されていたはずだろう? どうやって連絡を取り合っていたんだ」
 振り返った財前寺は、高野内に向かってカチカチと大げさに歯を鳴らした。
「あれよ」
「あれ?」
 高野内は困惑色の目を剥きながら、次の言葉を待った。
「ジョニーの奥歯にはセンサーが組み込まれているの。ちょっと見ただけじゃ判別できないくらいにカモフラージュしてあるけどね。誰にも悟られないよう、歯ぎしりに見せかけてモールス信号を送っていたという訳よ」
 納得がいった高野内。大出水の包帯も巻き終わり、一息ついた四人は、再び車に乗り込んだ。セドリックを走らせ、アジトを目指す。
 財前寺は苦々しく言った。
「ボス。あれだけ苦労しておいて、結局今回の儲けは無しですか。……まあ、命が助かったから文句は言えねえけど」
「そうね。三十億はともかく、楊貴妃の瞳を取られたのは惜しかったわね。偽物を用意するつもりだったけど、作成するほどの時間が無かったのよ。まさか愛のキッドの正体が二階堂とは思わなかったから、あれで正解だったわね。もし偽物を持っていったら、今頃は三人ともハチの巣になっていたわ」
 大出水はしたり顔でポケットをまさぐった。
「楊貴妃の瞳って、まさかこれの事ですかい?」
 大出水の指の間には、真っ赤に染まる純紅のルビーが挟まれていた。エイラと財前寺は絶句しながらそれを見つめる。
「さっきのどさくさに紛れて、こっそり拝借しておいたんです。これで三重スパイじゃないことが証明されたでしょう?」
 座席を倒し、エイラは後部座席の大出水に顔を近づけ、頬に口づけをした。彼の顔が楊貴妃の瞳以上に赤くなったのは、言うまでもない。
「ゴホン! ところでギャラのことだが……」
 大仰に咳ばらいをしながら、高野内は語気を荒げるのであった……。
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