第10話 イチとニコ

文字数 2,854文字

「アッ! だから奴は後ろに隠れてるって言っただろ!」

 ヤクザの頭が背後から抱え込まれた。闇から現れたナイフが横一線に走り、パンチパーマのヤクザの頭部は簡単に胴体から離れてしまった。ナイフの男は片手に残った血が滴る生首を興味なさそうに後ろに放り投げた。

「そんなの聞こえるわけないじゃん。ねえねえ、早く代わってよ」

 イチは双眼鏡をニコに手渡す。こんなことがあるならもう一つ買っておけばよかった。二つまとめて買えば三割引だったのに。

「あー決定的瞬間を見逃したー」
「でもさっきの脳天串刺しは見たんだろ? そっちのほうがいいよ」

 ニコが見たところ、シバガキはさっきの遅れて到着したヤクザを入れて八人殺していた。

「まあね、ここは特等席だよ」

 イチとニコはサンキューファイナンスが入っているビルから通りを隔てて向かいのビルの屋上にいた。ここは熱気が籠もった地上と違って風が吹いて心地いい。

「あれが噂のフレディシバガキって奴だよね? あれ? ピンヘッドシバガキだったっけ?」
「それ絶対ワザと言ってるだろ?」

 二人は声を出して笑う。

「でも思っていた感じと少し違うなあ」
「まさか指先に鉄の爪がついていたり、頭に釘が刺さっていると思ってた?」
「あれ? イチもけっこう知ってるじゃん」

 二人は再び笑った。

「やっぱり動画よりもリアルだね」
「──だね」

 イチはニコから双眼鏡を受け取った。
 ちょうどシバガキが双眼鏡の死角に入って見えなくなった。イチは双眼鏡を目から離した。

「事前に様子を見といてよかったよ。あのまま踏み込んでたら大変だった」
「私たちがマシンガンや日本刀を持ったヤクザにワーと襲われたってこと?」

 ニコはむしろそれが実現しなかったことを残念がっているように見えた。

「明らかに待ち伏せしていたからね。奴らはシバガキが来ることが分かってたんだ」
「あそこってただの金融屋じゃないの?」
「ここから見ているかぎり違うみたいだね」

 ニコは手を伸ばしイチから双眼鏡を受け取った。

「あーなんか大金の匂いがするー、お宝の匂いだー」
「確かに普通じゃない額の金がある雰囲気だね。このカバンに入りきらないぐらいの。でも、どうする? もうあそこには行けないよ」
「プレデターシバガキがあそこからいなくなったスキにササッとって──無理だよね」
「無理だね、リスクがありすぎる。何だよ、結構高い金を出して買った情報だったのにな」
「あー、シャンパンがー、スーパープレミアムバーガーがー」
「何? そのバーガー?」
「ホテルのサイトで見たんだ。トリュフとフォアグラとキャビアが入ったセレブなバーガーがだって」
「セレブはそんなもの食べないと思うけどな、アイツらはもっと気取ってるから大豆なんかで作った偽物のバーガーを食べるんだ。シェイクだってわざわざナッツから作るんだぜ」
「でも本当にあるんだよ」

 ニコが双眼鏡を隣に置いてスマートフォンをイチに見せる。

「確かにスーパープレミアムで美味そうだな」
「でしょ?」

 ニコは満足そうに肯くと再び双眼鏡を手に取って向かいのビルを見た。

「これはヒサリン撮ってないのかな? それらしい人は見えないけど」
「俺が見たときもそれっぽい奴はいなかったな。それにしてもいつもいつもあんな映像をどうやって見つけて撮ってるんだろうな? シバガキと共犯だって噂があるけど本当かもな」
「ヒサリンがいないなら、私達が撮ってたらお金儲けできたかも?」
「金庫の番号じゃなくって望遠レンズ付きのカメラだったかー」

 ニコの視界の中にあの男が戻ってきた。

「ちょっとヤバいかも、アイツがこっちを見てるよ。見つかっちゃたかも?」
「逃げよう」

 二人は荷物を持って階段の方に走り出そうとした。

「ちょっと待って」

 ニコが立ち止まって今までもたれていた柵まで戻った。向こうのビルの窓からこっちを見る殺人鬼に向かって中指を立てる。

「私の好きな映画の登場人物ならこうするかなって」
「よし俺も」

 イチも隣で中指を立てた。ピアスの刺さった舌も出した。
 二人は同時に回れ右して階段を二段飛ばしで下りていく。エレベーターと迷ったが扉が開いた瞬間に奴がニヤリと立っているかもと想像しただけでゾッとする。

「ちょっと待って」

 イチがニコに声をかけて足を止めた。そこは七階と八階の踊り場だった。イチの視線の先には明かり取りにしては大きめの窓があった。各階の踊り場に同じような窓があって、イチが求めていたのは三つ目の窓だった。窓はハメ殺しではなく簡単な鍵を回すだけで開いた。

「思ったとおりだ」

 イチが窓の外に顔を出して言った。ニコは首を傾げてイチを見ている。

「このまま下まで行っても奴と鉢合わせしてしまう可能性が高い。だけどここからなら隣のビルに飛び移れる。屋上を出る前に隣のビルを見ていて気づいたんだ」
「飛べそう?」

 イチがニコに聞いた時、ニコは既に空中にいた。ジェットコースターで聞くような歓声付きだ。イチは三秒考えて続いた。声にならない悲鳴つきで。イチは決して高いところが怖いわけじゃない。こんなクレイジーなこと誰だって怖い。だから高所恐怖症じゃないんだって──ニコは飛び移ったビルからイチを見て手を叩いて笑っている。

 取り込み忘れた洗濯物がはためく物干し竿だらけの屋上を走って横切り、次のビルを見る。余計な柵もなく一メートルほど低いだけだった。考える前にニコは飛んでいた──こういうの、こういうスリルを求めていたの。

 イチはもうヤケクソで飛んでいた。そして次のビルも飛んで、その次のビルも。
 次の次の次のビルは今立っているビルより五メートルは高かったので、ニコもさすがにその前で足を止めた。実質、行き止まりだ。少し遅れてきたイチと一緒に打開策を探る。

「ねえ、お腹すいてない?」
「すごくすいてる。さっきニコがあんな豪勢なバーガーを見せたせいだぞ」

 イチは怖がった自分を怒ったフリしてごまかしてる。カッコつけて見せてる。そこがカワイイ。

「あそこのファミレスは? バーガーぐらいあるよ」

 ニコはビルの柵から身を乗り出して真下を指した。イチもニコの視線を追った。

「灯台もと暗しって言うからな、奴もまさか俺達があんなところにいるとは思わないだろう。でも金が──ってどうにかなるか」
「大丈夫、クレジットカードより有能よ」

 ニコはイチが担ぐスポーツバッグのファスナーを開けてチラリとピストルを見せた。

「そうと決まるとバーガーよりも、ファミレスらしいハンバーグとエビフライがセットになったようなのが食べたいな。コーンスープもつけよう」
「私はステーキがいいかな。なるべく分厚いの。付け合わせはマッシュポテトで、ニンジンとブロッコリーはいらない」
「デザートにでかいパフェも頼もう」
「イチはホントに甘い物が好きね」
「ニコだって好きだろ?」
「私が好きなのはチーズケーキだけよ。柔らかいのはダメ、固いやつだけ」

 二人がエレベーターで優雅にファミリーレストランに入店した時、窓の外をパトカーの集団が通り過ぎて行った。

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