第23話 ミシェル

文字数 2,432文字

「会いたかったぜーーー シィーバーガーキー!」

 黒い影がその乱入者に気づくのはまだ少し先だった。黒い影は振り上げた巨大なナイフをダブルベッドの上に向けていた。そこには半裸の男女が抱き合っていた。

 少年はテレビを見続けていた。
 ノイズだらけだった画面はいつの間にか鮮明に黒い影の惨殺ショーを映していた。

 黒い影の後ろで叫んでいる男は刑事らしい。刑事は黒い影に重なる男女を気にすることなくショットガンを撃っていく。弾がなくなるとリロードしながら何発も撃っていく。黒い影の様子は何も変わらなかったが、その後ろで被弾した男女は肉片を背後の壁に飛び散らせている。

 少年は無表情にテレビを見続けていた。
 少年のいる部屋は変わらずゴミだらけで、エアコンは効きすぎている。少年は一度退屈そうにアクビをすると、ヤクザが壁に投げつけたハンバーガーに目を移したが、すぐにテレビに戻った。

 影はやっと刑事に気づいたように体の向きを変え、刑事の正面に立った。刑事はニヤリと口元を歪めるとさらにショットガンを撃った。四発撃ってリロードというリズムを崩さず黒い影に向かって何度も何度もそれを繰り返していく。部屋は真っ白い硝煙が充満して1メートル先も見えないほどだったが、その中で影が徐々に壁際に押しこまれていくのが分かった。影の背中が壁に触れようとした時、ついに影は電池が切れたように倒れた。

 少年はテレビを見ていた。
 少年が何を目的にそんな映像を見ているのか分からなかったが、そこから見る世界にある種の救済を求めていることだけは伝わってくる。おそらく少年の属性のせいだろう。

 刑事は声を上げていた。大きな歓喜の声を上げていた。心ゆくまで叫ぶと、今度は泣き始めた。止めどもなく涙を流し、声を出して泣いていた。麻薬中毒による情緒不安定の波はしばらく続き、やがてそれが治まってくると刑事はゆっくりタバコを取り出し火を点けた。深く肺まで吸い込み、倒れた黒い影に近づいた。影は仰向けに倒れていた。刑事はその大男の胸のあたりに跨り、男に向けて煙を吐き出した。続いて死に顔を確認するようにそこにかかった長い髪の毛を手で払い除けた。

「──誰だ、こいつ?」

 次の瞬間、刑事は黒い影が伸ばした手に顔面をつかまれ、その巨大な手でリンゴを砕くように頭部を潰された。

 少年はテレビを見続けていた。
 少年は興味がなさそうにまた違うチャンネルに変えていた。
 今度はどこかの美容院の映像で、背もたれを倒した椅子に髪の長い女が横になっていた。悲鳴を上げて見上げる女の先には黒い影が立っている。そこに女の白い肌を裂くのに最適な鋭いハサミがあるにもかかわらず、影は女の細い首筋に噛みついて引きちぎっていた。


「ここね、匿名の通報があったのは?」
「小学生ぐらいの児童が虐待にあっているというものですね。保護の必要性の確認が求められています」

 少年がテレビを見る部屋とは扉一つ隔てた玄関前には二人の女が立っていた。一人は身長158センチ、標準体重を5キログラムほど超えた四十代女性、もう一人は身長が173センチ、標準体重との誤差が100グラム程度の二十代の女性。二人は共に地味なダークカラーのスーツを着て、真っ白なスニーカーを履いていた。

「私、スマホが壊れちゃったみたいで時間が分からないんですが、今ってもうかなり遅い時間ですよね」
「そうね、私もこの腕時計の調子が悪くて今が何時か分からないけど、外が暗くなって長いからそれなりの時間でしょうね」
「こんな時間に訪問して大丈夫なんでしょうか?」
「まともな時間に訪ねても失礼だと怒られるのが私達の仕事だから、あまり気にすることないと思うわ。それより緊急性の高い児童を放置してしまって後悔することのほうが私には辛い」

 そう言うと年齢の高い方の女性が率先してインターフォンを押した。反応がないので、三十秒ほど待って再び押した。インターフォンのスピーカーは沈黙を守り、さらに十秒待って押した。

「誰も出ないわね」
「でも、電気のメーターは回っているから誰か在宅はしているのじゃないでしょうか。それに──」

 無理やり枠にはめられただけの壊れた扉の向こうには青白い蛍光灯の明かりが点っていた。

「通報では無戸籍の女性が無戸籍の子供を育ててるっていう話だったわよね」
「はい、情報提供者によると両者に血縁関係はなく、その無戸籍の女性が道端に落ちていた子供を拾ってきたと話していたらしいです。この時代にそんなことがあるんでしょうかね?」
「それが真実かどうかは分からないけど、この街ならありえることね。特にこのあたりは事情があって身元を隠して生活している人や不法入国者が多い地域だから」

 背の高い女性が再び扉の奥を覗く。

「部屋の中はかなりゴミが散乱しています。足の踏み場もないほどですね。とても子供の成育にいい環境だとは思えません。保護者だと考えられる女性の姿は見えませんが、対象の少年らしき姿は確認出来ました」
「ネグレクトが疑われる状況ね。状況によってはすぐに保護が必要かもしれない」
「どうしましょう? 今日の我々に出来るのはあくまで居住者の許可を取って状況を確認するだけで、これ以上は警察の立会いがないと難しいです」
「確かにそうね、あなたの言っていることは正しいわ。でも、こう考えるのはどうかしら?」

 年齢が高い女性が壊れた扉を視線で示す。

「対象の家庭に第三者による暴力行為の明らかな痕跡を確認、室内で犯罪行為が行われる危険性を鑑み、緊急保護のためやむなく立ち入った──というのは?」
「はい! 先輩!」

 今度はインターフォンではなく扉にノックがされた。身長の高い女性は同じアパートの住人にアピールするように声を張り上げる。

「区の福祉局から来ました。緊急性が高い状況であると判断し、立ち入らせて……」

 数秒の沈黙の後、まだ自分が殺されたことに気づかない女性の頭部が二つ、アパートの廊下に血の跡を残しながら転がった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み