第6話

文字数 1,558文字

 大きなグラスにウイスキー、ベルモットを入れ、バースプーンでステア。またしても魔法のようにくるくる回るスプーンは見ていて飽きない。
 ストレーナーをグラスの口にあてがい、新しいグラスに注がれた。仕上げとアメリカンチェリーをピンで刺してグラスに沈めると、空になったモヒートのグラスと入れ替わる。その瞬間にかすかにレモンの香りが広がったのは、グラスを入れ換えた瞬間に指でレモンピールを絞って振りかけたのか。
 いちいち気障!
「マンハッタンはお好きですか?」
「今好きになったわ」
「それは良かったです」
 にっこり。
 部屋の照明は仄暗い。本当のBARにいるような雰囲気を演出している。
 その中でオレンジの間接照明に照らされる須崎の顔。ドキリと胸が強く鳴ったのは、決して酒のせいだけではない。
 ごまかすように口に付けたカクテルグラス。
 かすかに振りかけられたレモンがアクセントとなって、口に含む瞬間に酒臭さを消し去ってくれる。
 一瞬で広がったベルモットとビターズの少し漢方じみた香りが、ウイスキーの尖ったコクを和らげてくれる。
 マンハッタンなんて、中高年のおじさんが飲むカクテルだと思っていたのに、そんな事はないみたい。
「貴女、魔法使いなんでしょう? こんなに美味しいカクテル、どこのお店でも飲んだことないわ」
「あは。そう言ってもらえると酒カス冥利に尽きますね」
 そういう彼女の2杯目はスコッチをロック。
 それからは酒で軽くなった口が、ぺらぺらとくだらない自分の人生観や愚痴をこぼし続けていた。
 須崎はそれをうんうんと否定も肯定もなく静かに聞いてくれていた。
 こんなに楽しくお酒を飲めたのは、一体いつ振りだろうか。
 打算や警戒して飲む必要のないお酒は飲めば飲むほどに心が軽くなって行った。
「そうだ、ちょっとキッチン貸してよ」
 私の突然の申し出にキョトンとしながらも、快くどうぞと言ってくれた彼女。
 私はありがたく聖域に足を踏み入れさせてもらい、さっき買った生ハムとチーズを取り出した。
「いいお酒には、良いつまみでしょう」
「ああ。そういう事ですか。あたし飲むだけで、おつまみ食べないんですよね」
「それはもったいない!」
 こんなにお酒がおいしいなら、さらにもう一品あった方が良いに決まっている。
 私は鉄串を数本借りると手を洗って、生ハムを広げて少しだけ胡椒とバジルをまぶし、チーズを並べて巻いて串で差した。
 本当はバーナーであぶるのだが、一般家庭にそんなものはない。キッチンのコンロを強火にして串焼きを作った。
 焼き過ぎるとせっかくのハムが台無しになる。でもチーズには熱を少しだけ入れたい。難しい加減だが、そこは気合。
 ぱぱっと焼いていると、こじゃれた皿が用意されていたので、それに並べた。
「お礼、には安いけど。どーぞ」
 串を抜いて、須崎はぱくりと口に運んだ。どうでもいいけど口元にほくろって、本当に狙ったように妖艶だ。
「んん! いける!」
 ぱっと顔を輝かせた彼女は、くいとスコッチを一口。
「ああ。なるほど、これは、おつまみって重要ですね」
 ほう、とため息を吐きながらうっとりとする彼女。反則。
 咳ばらいをひとつして、私も一口。目論見どおり、上手くいった。
 生ハムはかりっと焼けて、でもジューシーさは損なわれていない。チーズは表面がとろっとしていて、中はまだ冷たいままで触感がちゃんと生きている。胡椒とバジル、ハムの塩気。上手いことバランスよく組みあがってくれた。
 美味しいお酒の味を損なうことなく、+αになってくれている。
 しめしめと思っていると、上機嫌の彼女はマンハッタンが最後と言っていたのに、3杯目をふるまってくれた。
 こんなに楽しいのは、生まれて初めてかもしれない。
 他愛のない会話と、美味しいお酒。瞬く間に夜が更けて行った。
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