第2話

文字数 1,196文字

「えっと、牧田、さん? でしたっけ?」
 表情は前髪で見えない。しかし以前と違って少し高くて嫌に澄んだ声が私の耳に溶け込んだ。
「こんな所で、どうしたの? っていうかなにそのお酒の量?」
 指さしてしまった、須崎が手に持つかご。
 私が指摘すると、彼女はさっと自分の後ろにかごを隠して半歩後ろに下がった。隠せてない。
「さ、さぁー? なんでしょうか。あ、ちょっと失礼しますねー」
 しどろもどろになりながら、この場を去ろうとする彼女。私はその腕を掴んで引き留めていた。
「まあ、そう逃げなさんな」
「ちょ、ちょっと、急用がー」
「少しくらい良いでしょ?」
 唯一見えている口がパクパクと鯉のように動いている。
「ねえ、これから暇? ちょっと、お酒好きなら付き合ってよ」
「あ、え? ええ?」
 困惑する彼女を無理やり引き連れ、というか彼女の家に案内させて、私はまんまとやけ酒に付き合わせる哀れなスケープゴートを手に入れた。
 ひどく動揺する彼女はしきりに自分の家は狭いだの、とても人をお招きできないゴミ屋敷だと言って私を追い返そうとしたが、すでに私は彼女の事が気になり始めていた。
 会社ではぼそぼそとと小声でしゃべり、猫背で縮こまっている姿は、卑屈で見ているだけでどうにもイライラしていた。
 それが今はちゃんと聞こえる声でしゃべるし、なにより心地よいくらいの声を聞かせてくれている。
 姿勢だってしゃんと伸びているし、首から上以外は全然別人である。
「そんな事より、会社と雰囲気違い過ぎない?」
「え? そうですかぁ?」
 大量の酒瓶が入った重いエコバックを肩にかけた彼女は小首を傾げる。ひ弱そうに見えて、そんな事はないらしい。
 ふりふりと動く首と、揺れる髪の毛がよく目につく。こんなにひらひら動いていれば、会社でも印象がだいぶ違うだろうに。
「ええ。全然」
「そうですかねぇ?」
 んーと細い顎に指を充てながら考えるのは、少し演技っぽいが、まあ悪くない。声が可愛らしいので大概は許せる。
「あ、眠たかったからですかね? お仕事してる時って、いっつも眠たくてぼーとしちゃうんですよ」
「ちょ、最悪じゃない」
「ミスはしてないから大丈夫です」
「まあ、たしかに貴女がミスしてる所なんて見たことがないけど」
「チェックだけは何回もしてますから」
 自信満々に胸の前で腕を上げる彼女。いちいちあざとい。それに自身満々に言う所ではない。
「あ、ここです」
 そう言って着いたのは、よくあるワンルームアパート。入口にはオートロックがあり、最近流行りの女性向け物件と云う奴だ。
「きれいなお家ね。最近越してきたの?」
「そうなんですよ! 会社からも近いですし、なにより防音しっかりしてるんです!」
「へえ」
 防音が、というのが気になったが、まぁ入れば分かるだろう。
 彼女の部屋は1階の一番手前の部屋だった。そして入ってすぐに、まぁ、えらく驚いた。
「え、うそ。すご……」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み