7章―3

文字数 3,136文字

 崩れ落ちる彼女を腕で支え、ポーンはそっと床に下ろす。そして手記を拾い上げ、涙で滲んでしまった同胞の筆跡を見つめた。
 彼ら[守護神]の介入により、新しく始まった『この世界』は未だ『戦』を経験していない。だがRCによる一連の事件は、『戦』に繋がる危険性が充分にあった。ポーンは今回静観していたが、どうやら彼を除く四体の[守護神]が関わっていたらしい。

「……いや、私もだな。トゥーイに助言しなければ、[鍵]は奪われていただろう」

 ポーンは苦笑し、僅かに空いた本棚の隙間に手記を押しこんだ。
 この洞窟の外で、思い悩む彼女を勇気づけたのは二年近く前だったか。犯人が送検された後に村を訪れた時、トゥーイは『あの言葉があったから頑張れたの!』と誇らしげに報告してくれた。

 百年前までは、人間に対する情など一欠片も持ち合わせてはいなかった。彼が『カルデム=ニグル』として歴史の表舞台に立ったのも、愚かな振る舞いをする人間に痺れを切らしたからだ。
 しかし、あることをきっかけに認識が変わった。ニグル族長老を訪ねた際、生まれたばかりの孫娘を見ていけと、半ば強引に連れ出された時のこと。対面した乳飲み子はポーンを見て両手を伸ばし、無邪気に笑いかけたのだ。

 心が掻き乱されるような衝撃は、今なお忘れられない。成長したその少女は、ポーンが村を訪れる度に後をついて回った。彼女は好奇心の赴くままに質問を投げ続けたが、ポーンは真摯に向き合った。
 その少女とは、言うまでもなくトゥーイである。彼女と心を通わせることで、人間達が持つ温かな感情も見えるようになったのだ。

 ミルドは人間達にこの書物を見つけてほしい、と強く願い、この地に『宝』を封じた。ポーンは長い間その意図を理解出来なかったが、これもひとつの正解か、と今なら思える。
 本来なら[鍵]を使う前にトゥーイを止めるべきだったが、全てを理解した上でどう答えるか知りたかった。予想を上回る答えを出した彼女は将来、部族をより良い方向に変えてくれるはずだ。

『戦』の危機を回避したのは[守護神]だけではない。ニグル族の人々、[世界政府]の役人達、そして事件に巻きこまれた、とある承認団体とその関係者達。彼らが諦めずに行動した結果、事態は無事収束したのだ。
『守りたい』と思う心が、人々の力となる。彼らを正しく導くことが出来れば、もう二度と、悲劇は起こらないだろう。

「全ては君のおかげだ。……さぁ、そろそろ帰ろう」


――――
 その日の夜。トゥーイは父と祖父にかけ合い、[鍵]の破壊を懇願した。ガウィは『代々続く掟を破るつもりか!』と激怒したが、理由を述べると口をつぐみ、これ以上反論することはなかった。

[鍵]を処理したのは後日。ヤウィの提案により、岩の扉の前で儀式を執り行うことになった。
 見張り番以外の住民全員が集結し、太鼓や笛、踊り子達の舞で『神』への祈りを捧げる。そして[鍵]の守護者であるトゥーイは鎚を振るい、[鍵]と錠の穴を破壊した。爆発に耐えてみせた錠も、落としても曲がらなかった[鍵]も、不思議なことに一発で潰れたのである。

 こうして、『神』の宝は完全に封印された。岩の扉が開くことは、もうないのだ。

「これで、お前の役目もなくなったって訳だな」
「ちょっと、それだと私が全くの役立たずみたいじゃない!」

 儀式が終わり、この場に残ったのは二人だけ。思わず文句をつくと、スコードは「そんなこと言ってねぇよ!」と呆れ返った。

「そもそも、一番活躍したのはお前だろ。[鍵]を壊すなんて、よく思いついたな?」
「ふふっ、まぁね」

 トゥーイは得意げに笑い、彼の耳元に口を寄せる。

「実はね、[鍵]を使って『宝』を確かめたのよ」
「はああああぁ⁉」

 大音量で叫ばれ、耳を塞ぐ。スコードは「そんなことしたら罰が当たるだろ!」と捲し立てたが、トゥーイは必死に声を張り上げた。

「どうしても見たかったの! とっても貴重なものだったら[鍵]を壊そうって、最初から決めてたんだから!」

 スコードは返す言葉も見つからないのか、頭を抱えている。トゥーイはきょろきょろと周りを見回し、誰もいないことを確認してから再度、彼の耳元で囁いた。

「この中はね、金色の壁がずうっと続いてたの。きっとたくさんの金が採れるに違いないわ!」
「ほ、ほんとかよ?」
「ほんとうよ! 眩しくて目が潰れそうだったんだから!」

 岩の扉を呆然と眺め、スコードは力なく溜息をついた。

「そんな金鉱脈があるってばれたら、もっと狙われそうだな。……トゥーイ。このことは絶対、絶対誰にも言うなよ?」
「え、でも」
「でもじゃない。もし回り回ってガウィさんの耳に入ったら俺達、どうなるか分からないぞ?」

 最悪の状況を想像してしまい、さっと青ざめる。スコードは黙って自分の腕を取り、帰り道に引っ張り出した。

 トゥーイは後ろ髪を引かれるように振り返り、穴の塞がった錠を見つめる。[鍵]を使ったことも、壊したことも後悔はしていない。だが、心残りな点がただひとつ。 トゥーイは前を行くスコードに気づかれないよう、ひっそりと呟いた。

「はぁ……カルデム様には、見せたかったな」



――――
 ニグル族が『神』の宝を封印した、という一報は全世界に知れ渡り、交易日にはより多くの人々が村に詰めかけた。
 他の部族では既に観光客の受け入れも始まっており、商人以外の人々からも見学希望が出る始末。ガウィは否定的だったが、ヤウィが説き伏せたおかげで、一般人も村に入れるようになった。

『神』の宝の在処は定番の観光資源となり、岩の扉を一目見ようと、連日観光客で賑わった。トゥーイも案内役として他の[島]の人々と触れ合い、充実した毎日を過ごしている。
 感動で涙ぐむ者、潰れた錠を興味津々に観察する者、『神話』の時代に想いを馳せる者。彼らの反応は実に様々であり、自分の判断は間違いではなかった、とトゥーイは確信するのだった。

 ニグル族の村は完全に開かれたが、厳しい警備は未だ顕在である。ヤウィが引退し、長老となったガウィの指示により、岩の扉や村には常に警備隊が張りついていた。
 しかし、その厳格な振る舞いが観光客の人気を呼び、警備隊や狩猟部隊による模擬訓練が観光の目玉となった。提案したスコードのおかげか、ガウィも徐々に、この新しい状況を受け入れるようになったのだ。

 トゥーイとスコードが結婚したのはそれから四年後。五人の子宝に恵まれ、皆トゥーイに似て好奇心旺盛な子に育った。
 スコードはガウィの後継者として立派に成長し、トゥーイと共にニグル族を生涯守り抜いてみせた。そして彼らの子は、親譲りの柔軟な考えを活かし、ニグル族だけではなくポーン島全域の更なる発展に関わることになる。

 古くからの慣習に則り、閉鎖された環境で生きる部族はもういない。他の[島]の利便性を取り入れつつも、これまで築き上げてきた文化を捨てることなく、ポーン島の民は世界と共存し続けたのだった。



 また、カルデムは封印の儀式から二年後、[世界政府]代表を退いた直後に亡くなっている。新しく代表に就任したのは、『カルデムの弟子』を名乗るニグル族の青年だった。
 彼は二十代半ばであり、トゥーイとスコードも、彼とは幼少期から交流があったと認識している。二人がその青年と『初めて』対面したのはカルデムの葬儀の日だったが、その事実に気づくことはない。

 この日を境に、ニグル族および[世界政府]役人達の記憶はすり替わった。
 青年の正体も、『神』の宝の真実も、そして、破壊された『歴史』が存在したことも。その全てを知る人間は、誰一人いないのだ。



At the greatest mountain
(偉大なる山脈の麓にて)


(完)


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登場人物紹介

【トゥーイ=ニグル】

 女、17歳(初登場時は16歳)。ポーン島ニグル族長老の孫で、[鍵]の守護者。

 濃い茶色に黄色が混じる髪をお下げにしている。

 責任感が強く時々無茶をするが、年頃の少女らしい一面も持つ。

 甘い物に目がない。カルデムのことを尊敬しており、幼い頃からついて回っていた。

【ヒビロ・ファインディ】

 男、35歳(初登場時は34歳)。[世界政府]の国際犯罪捜査員。

 赤茶色の肩までの短髪。前髪は中央で分けている。

 飄々とした掴み所のない性格。長身で、同性も見惚れる端正な顔立ち。

 同性が好きな『変態』。

 [潜在能力]は『相手に催眠術をかける』こと。

【スコード=ニグル】

 男、21歳(初登場時は20歳)。ポーン島ニグル族の門番。

 濃い茶色に白が混じる肩までの短髪。冷静で物静かだが、少し抜けている。

 若いながらも剣術に優れる。

 トゥーイのことは幼い頃から気にかけている。

【ヤウィ=ニグル】

 男、84歳(初登場時は83歳)。ポーン島ニグル族長老で、トゥーイの祖父。

 ぼさぼさの白髪に、黄色が混じる。見た目はほぼ農民。

 根が呑気なため、多少の物事には動じない。

 トゥーイと同じように無茶をしがちである。よくぎっくり腰をやらかす。

【カルデム=ニグル】

 男、84歳(初登場時は83歳)。ポーン島ニグル族出身の[世界政府]代表。国際裁判の裁判長も兼任する。

 背中まで伸びた白髪。毛先は黄金色。

 冷静沈着な性格で、何事も客観的に見ている。哲学者として世界中を回り、[世界政府]を設立した。

 トゥーイを実の孫のように扱っている。

【シドナ・リリック】

 女、28歳(初登場時は27歳)。ミルド島出身の[世界政府]国際犯罪捜査員。シドルの姉で、ヒビロの部下。

 明るい緑色のストレートの長髪。真面目でしっかり者。策士な一面を持つ。

 海難事故により、[潜在能力]に目覚めている(『相手の記憶を操作する』こと)。

【シドル・リリック】

 男、27歳(初登場時は26歳)。ミルド島出身の[世界政府]国際犯罪捜査員。シドナの弟で、ヒビロの部下。

 明るい緑色の短髪。やや消極的だが、姉同様真面目な性格。

 海難事故により、[潜在能力]に目覚めている(『一度知覚したものを永遠に記憶出来る』こと)。

【ガウィ=ニグル】

 男、52歳。ポーン島ニグル族次期長老で、トゥーイの父親。

 濃い茶色の髪を短く刈りこんでいる。毛先は黄色。

 厳格で神経質だが民からの信頼は厚い。狩猟部隊の長を務めており、屈強な肉体を持つ。

 トゥーイを[鍵]の守護者に推薦した張本人だが、何かと子離れが出来ていない。

【ラテナリー・ルミナス】

 女、45歳。ミルド島出身の[世界政府]国際海上保安官。[島]の港の検問所を巡回している。

 マリンブルーの長髪を無造作に纏めており、飾り気のないはっきりした性格。

 2人の子を持つシングルマザー。

【サイラス・アイザー】

 男、44歳。クィン島出身の[世界政府]国際航空保安官。ヘリコプターでパトロールしながら[島]を巡回している。

 黄土色の肩までの長髪。明るく親しみやすい性格。

 [世界政府]移籍直後のヒビロとしばらく組まされ、大変な目に遭ったらしい。

【リンキット=ドナ・ハピアス】

 女、17歳。ポーン島ドナ・ハピアス族長老の孫。

 濃い茶色の肩までの短髪で毛先は緑色。

 背丈は低く、直径1メートルの帽子を被っている。

 陽気な性格で甘い物が好みのため、トゥーイとはすぐに意気投合した。

【フィオラ・ファインディ】

 男、9歳。ヒビロの息子。

 赤茶色に近い茶色の癖っ毛に、父譲りの整った顔つき。

 RCの捜査に出るヒビロ達に同行し、世界を見て回った。

 [潜在能力]は『あらゆる物の構造を透視出来る』こと。発動時のみ瞳が赤茶色に変わる。

【ベイツ・ブライン】
 男、56歳。フィロ島出身の[世界政府]国際裁判官。元『狩人』の経歴を持つ。
 氷色の短髪をきっちり撫でつけている。瞳は茶色。顔面には一本の大きな傷が走っている。
 自分にも他人にも厳しく、常に険しい表情をしている。

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