3章―2
文字数 3,706文字
シドナは事務室付近の廊下にて、ヒビロと待ち合わせしていた。明日からは次の捜査のため、ポーン島を出発する。彼を問いただすなら、今日しかない。
指定した時間の五分前に、ヒビロは到着した。彼はこちらを見るなり、大げさに両手をひらひらさせた。
「何だ、そんな怖い顔して。報告書は期限前にちゃーんと提出したさ」
「当たり前です! ……ではなく、今日呼び出したのはその件ではありません」
思わず突っこんでしまい、シドナは恥ずかしげに訂正する。
「もしかして、捜査に関することか? だったら俺の部屋に来いよ。人目がない場所の方がいいだろ?」
ヒビロは踵を返し、ついてくるよう手で合図した。シドナは怪訝な顔で黙っていたが、仕方なく後を追った。
この屋敷には、役人専用の住居が併設されている。国際裁判に出廷する関係者向けのゲストルームもあり、[世界政府]本部、というより高級ホテルのようだった。
ヒビロは自室の鍵を開け、シドナを招く。だが『変態』と呼ばれる上司の部屋に入るのは、抵抗感があった。
「ははっ、大丈夫さ。ここではまだ何もやってねーから」
こちらの様子を見て、ヒビロは盛大に笑い飛ばす。シドナは恐る恐る足を踏み入れ、ドアを閉める。その途端、廊下からの雑音が消えた。
「さて、要件は何だ?」
ヒビロは椅子に腰かける。シドナは固い声で、切り出した。
「先日の、団体承認会議に関することですが」
その表情から、飄々とした雰囲気が消えた。シドナは彼に三歩近寄り、淡々と述べる。
「あなたが[オリヂナル]を擁護したことに、ずっと違和感がありました。否定派の全員が賛成に回ったのもそうですが、退屈そうだったあなたが、急にやる気を出したのはどう考えてもおかしいです。……なので、経歴を調べました。あなたと[オリヂナル]の創設者は同じ孤児院の出身で、ご友人だったのですね」
ヒビロの目が険しくなる。その赤茶色の瞳は、明らかに警戒していた。
「元孤児だったあなたなら、世界が直面する問題を放っておけないはずです。『家族』とも言える彼らの活動も、応援したいところでしょう」
シドナは一呼吸置き、ヒビロを真っ直ぐ見据えた。
「そうなるとやはり、多数決で全員の意見が一致したのは不可解です。あの時は自分の意思に反して体が動きました。ヒビロさん、何か仕かけを施したのではありませんか?」
睨み合ったまま数十秒。ヒビロはフッと目を伏せ、両手を小さく上げた。
「分かった分かった、降参するさ。その代わりに、今から話すことは決して、誰にも言わないでくれよ?」
シドナは「不正行為なら直ちに通報します!」と言いかけたが、ヒビロに右手で牽制された。
「確かに俺は居場所のない孤児だった。だが『家族』と出逢ったおかげでたくさんの
シドナは口を挟もうとする。しかしヒビロに鋭く睨まれ、思わず黙りこんだ。その気迫は、有無を言わせぬ勢いだった。
「あいつらは必ず、居場所のない人々の希望になる。たとえ違反だとしても、絶対に邪魔はさせねぇからな」
沈黙は一分を超える。シドナは観念したように息を吐き、ヒビロから目を逸らした。
「分かりました、しばらく様子を見ることにします。なので一体何をしたのか、そろそろ白状していただけますか?」
緊迫した様子は何処へやら、ヒビロはへらへらとした表情に戻る。
「ありゃ、誤魔化せると思ったのになー」
「その手は通用しませんよ」
「分かった、正直に話すさ。ただ、お前にとっては信じられない話だと思うぜ」
ヒビロはシドナを手招きし、耳元で語り始めた。
「俺が使ったのはずばり、[潜在能力]だ。全ての生き物はこの力を必ず持っていて、生まれつき、または命の危機に曝されると発揮出来る」
シドナは耳を疑った。その言葉の意味を考える間もなく、ヒビロは話を続ける。
「俺の場合は前者で、[潜在能力]は[催眠術]。目が合った相手を操れるのさ。会議の時は反対派の全員と目を合わせて、ほんの少し動かした。あんな大勢を同時に操作するのはほんと疲れたんだからな……」
ぺらぺらと説明が続く中、シドナは冷や汗が止まらなくなった。科学的ではない、まるでフィクションのような特殊能力。普段なら「有り得ません!」と一蹴するのだが、シドナには心当たりがあった。
こちらの様子に気づいたのか、ヒビロは「おーい、どうした?」と手を振っている。シドナは確証を持てないまま、仮説を口にした。
「ということは、私とシドルは後者でしょうか」
「……は?」
「シドルも呼びますので、少々お待ちください」
シドナは携帯電話を出し、通話を始める。ヒビロはしきりに説明を求めたが、一分も経たないうちにシドルが入室した。
「姉さん、『不思議な力』が分かったとはどういうことですか!」
動揺する弟を宥め、シドナは[潜在能力]について説明する。一通り済んだ頃を見計らい、ヒビロはわざとらしく咳払いした。
「もしかして、お前らも[潜在能力]に目覚めてるのか?」
「確証はないですが……以前、海難事故で重体になったことがありました。『不思議な力』があると感じたのは、よく考えるとその頃だったように思います」
ヒビロは肩をすくめ、労うような視線で姉弟を見た。
「そうだったのか……俺の先生に聞いてみないと分からないが、きっと[潜在能力]が目覚めたんだろうな。お前らの力が何か、聞いてもいいか?」
弟はこちらに目を向け、小さく頷く。今までは二人だけの秘密だったが、ヒビロなら、他者に言い触らしたりはしないだろう。
「私の力は、人の記憶を書き換えられることだと思います。恐らくヒビロさんと同じように、目を合わせた時に発揮出来るタイプでしょうね」
「僕は、記憶力が異常に良くなりました。元々物覚えが悪い方だったのですが、今ではちらっと見ただけでも細部まで覚えていたり、何気なく聞いたことも一字一句思い出せます」
「なるほど、どっちも捜査に重宝しそうだな」
シドルは「実際に役立てていますよ」と笑う。自分達はこの力を駆使し、[政府]入りから僅か数年という異例の速さで、[世界政府]に抜擢されたのだ。
無尽蔵の記憶力を持つ弟と、黙秘し続ける犯人を数多く落としてきた姉。二人揃えば、どんなに難しい事件も解決出来るだろう。
「今回は見逃しますが、これ以上違反を重ねたら、記憶を書き換えて洗いざらい白状させますから」
ヒビロの耳元で囁く。その端正な顔が台無しになるほど強張り、シドナは胸のすく思いをした。普段の自分も、彼同様に『不正行為』をしているのかもしれない。
――――
「……おかあさん」
物思いに耽るシドナの膝上で、フィオラが寝言を零す。すかさず、ヒビロが後部席から身を乗り出した。
「なんだ、フィオラもいたのか」
「ホテルで一人きりは危険ですからね。到着する頃にはすっかり寝てしまいましたが」
シドルは運転しながら答える。ヒビロは眠っているフィオラの頭を優しく撫で、座席に戻った。
まだ幼さの残る寝顔は、どこか寂しげだ。彼の癖っ毛に優しく触れ、シドナは不安げに呟く。
「フィオラさんはやはり、[オリヂナル]に預けるべきではないでしょうか」
上司から返答はない。それでも構わず、意見を続ける。
「彼らとご一緒して分かりました。ヒビロさんのおっしゃる通り、[オリヂナル]は居場所のない人々の希望です。今後の捜査次第では、私達も危険かもしれません。もしこの子に、万が一のことがあれば……!」
沈黙が続く。数分後、ヒビロはようやく口を開いた。
「実はな、ポーン島を出る前に聞いてみたのさ。それでも、一緒がいいって聞かなかった」
姉弟は同時に息を飲む。ヒビロは長い溜息をつき、仕方なさそうに笑った。
「本当に危なくなったら、無理やりでも連れて行くさ。まぁ、安全に捜査出来れば、一番良いんだがな」
「そうあってほしいですね」
シドナは苦々しく返答した。だが、本日得られた情報を考えると、捜査は一段と厳しくなるだろう。そうなると、命懸けで臨まなければならない。
しかし、[オリヂナル]と出会ったことで希望が生まれた。社長令嬢のナタルが狙われる危険性はあるが、RC側に気づかれない限り安全なはずだ。
「(実際に会ってみないと、何も分からないままですね)」
シドナは三年前を想い、反省する。団体承認会議では、申請団体の活動内容のみが資料に記載される。その団体が持つ雰囲気、温もり、活動に対する熱意は決して伝わらない。シドナは[オリヂナル]と出会い、現行の会議に疑問を持ち始めていた。
事件の関係者が[オリヂナル]に辿り着き、偶然にも自分達と繋がった。この出会いは、自分達をより良い方向に導いてくれるかもしれない。
一抹の希望を願いながら、シドナは車窓を眺める。真っ暗だった景色は、次第に白み始めていた。
Then, he hid “the fact”
(彼と私だけが知る真実)
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