4章―2
文字数 3,301文字
「リンのその帽子、とっても可愛いよね!」
「これ? うちの村は日差しがすっごく強いから、これがないと頭が熱くて大変なの」
リンキットは足元に立てかけた帽子をちらりと見て、苦笑する。藁をざっくりと編んで作られた、つばの広い大きな帽子。直径は身長の半分ほどあり、頭どころか全身を日光から守る物のようだ。
トゥーイはカルデムに教わったことを必死で思い返した。ドナ・ハピアス族は、ニグル族の村から一番近い場所に集落を構える部族である。元々はハピアス族という一つの部族だったが、土砂崩れにより村の敷地面積が狭くなったため、部族を二つに分けたらしい。
日差しの強い岩場の上で暮らすドナ・ハピアス族と、豊かな土壌の麓で暮らすエタ・ハピアス族。ポーン島の言語でドナは『上の』、エタは『下の』という意味だ。
一方、リンキットはトゥーイの首にかかった[鍵]を指差した。
「トゥーイのその鍵も可愛いよ。この古い感じと紐の色も、すっごくおしゃれに見える!」
「うーん、ただの飾りだったらよかったんだけどね」
トゥーイが苦い顔で[鍵]を手に取ると、リンキットは察したのか「あっ」と声に出した。
「それってもしかして、あの『伝説』の?」
頷くや否や、背後のスコードが「盗ったら斬るからな」と凄みを効かせる。リンキットは彼の物凄い表情に、ぷっと吹き出した。
「盗らないよ! 『神』様の宝物に触ったら罰が当たる、って言われてるもん。でもそんな[鍵]を任されてるなんて、トゥーイはすごいよ!」
「そんなにすごくないわ、お父さんやおじいちゃ……じゃなかった、長老からは散々文句言われてるし」
『人と話す時はわしをじじぃ呼ばわりするでない!』と言われていたことを思い出し、トゥーイは慌てて訂正する。すると、リンキットは急に目を輝かせて顔を近づけた。
「えっ、トゥーイって長老の孫なの? 実はね、私もなんだよ!」
「うそぉ! 私達、似た者同士ね!」
トゥーイも驚いて声を上げ、リンキットの両手を取る。はしゃぎ出す二人を見下ろし、スコードは再び溜息をついた。
「そうだ、トゥーイって甘い物好きなんだよね? これ、あげる!」
リンキットは肩に下げた布袋を探る。彼女が取り出したのは、つるつるとした素材の、掌に収まる大きさの物体だった。素材の表面には、鮮やかな赤と青の模様が描かれている。
「ギザギザした端を両手で摘まんで、縦に裂いてみて」
彼女に言われるまま手を動かすと物体はつるんと裂け、中から茶色い正方形が飛び出した。
地面に落としそうになり、慌てて受け止める。「そのまま食べてみて!」と言われ、恐る恐る口に運んだ。トゥーイは目を見開く。それは今まで口にしたどんな食べ物より甘く、美味しかったのだ。
「おいしい! リン、これなんて言う食べ物なの?」
「『チョコレート』っていう、他の[島]のお菓子なんだって。私も甘い物好きだから、きっとトゥーイも気に入ると思ったんだ!」
すると、スコードは「ちょっと待て」と反応した。
「何でお前が、他の[島]の菓子なんて持ってるんだ?」
リンキットはチョコレートの包装をトゥーイから受け取り、嬉しそうに話す。
「最近うちの村に他の[島]の商人さんが来るんだけど、村で採れた野菜や果物なんかと交換してもらったんだ」
「えー、何それうらやましい!」
「トゥーイ達の村には来てないの?」
トゥーイは元門番のスコードに目を向ける。彼は息を吐き、静かに腕を組んだ。
「一年くらい前から怪しげな奴は来てたな。だが、よそ者を村に入れる訳にはいかないから、追い返してやった」
トゥーイは愕然とし、彼に掴みかかった。
「スコ、何で入れなかったの? もしかしたら他の[島]のおいしいもの、いっぱい食べられたかもしれないのに!」
「長老達の指示なんだ。仕方ないだろ?」
トゥーイは膨れっ面のままスコードから手を放す。「そういえば」と、リンキットは思い出したように切り出した。
「その商人さん、ニグル族の村だけまだ入ったことがないって言ってたな。生活に便利なものやおいしいもの、いっぱい持ってきてくれるから悪い人じゃないと思うよ?」
スコードは難しい顔のまま、何も返さない。『もしその者が[鍵]を狙っていたらどうするんだ?』という、父の声が聞こえた気がした。
トゥーイは二人の様子を見守りながら、外の世界のことを何も知らない自分に焦りを感じていた。
――
トゥーイ達は日が暮れる前に村に戻り、カルデムに荷物を届けたことをヤウィに報告した。祖父は『随分長ーいおつかいじゃったのぅ』と文句を口にしたが、神経質な父のように、これ以上詮索することはなかった。
そして夜になり、村は次第に静まってゆく。
「おじいちゃん、ちょっといい?」
トゥーイは長老の屋敷に一人で訪れ、ヤウィに声をかける。祖父は椅子に腰かけ、古い石板の資料を読んでいた。
「おお、なんじゃ」
ちょいちょいと招かれ、ヤウィの隣に座った。部屋は薄暗く、机の上の蝋燭の火がゆらゆらと揺れる。
「他の[島]の商人さんを追い返したって、ほんとうなの?」
ヤウィは「スコードに聞いたんか」と、苦々しく唸る。祖父の袖を掴み、トゥーイは真っ直ぐな目で見つめた。
「村にやって来る人が全員[鍵]を狙ってるだなんて、間違いだと思うの。ヒビロさんもいい人だったし、きっと、商人さんもいい人に違いないわ」
ヤウィは沈黙する。長い溜息を吐き、祖父は重々しく口を開いた。
「実はのぅ、長老会議でも急かされとるんじゃ。近年は他の[島]の文化を取り入れる方向に進んでおる。商人による行商は今や、わしらを除く全ての部族で行われとるのじゃ。それに、近々旅人の受け入れまでしようとする部族もおる。ニグル族だけなんじゃよ、時代に逆らっとるのは」
ヤウィは机上の石板を両手で持ち、じっと眺める。
「もし『神』の宝がこの村になければ、喜んで迎えたかもしれぬ。じゃがな、今のわしらには使命がある。たとえ周囲から孤立してでも、守るべきものがあるのじゃ」
祖父の目元は、諦めたようにくたびれている。トゥーイはぎゅっと拳を握り締めた。
「宝があるのは森の奥深くじゃない。門があって、見張りの人もいて、[鍵]も別の場所にあって。こんなに固めてるのに、外の人はみんな敵だと決めつけて村に入らせないようにするなんて、そんなのおかしいわ。宝も守って、世界の人とも交流できる方法がきっとあるはずなのに!」
昔から無意識に思っていた。『神』の宝を守る、という理由だけで、必要以上に閉じこもる
「……トゥーイ。お前さんの柔軟な発想、実に羨ましいのぅ。頭の固いわしらには、到底思いつかんわい」
ヤウィは石板を再び机に置き、トゥーイの頭を優しく撫でる。そしてそのまま、椅子に深くもたれかかった。
「世界は刻一刻と変わっておる。周りも徐々に変わりつつあるこの時に、わしらだけが取り残されるのはやはり、悲しいものじゃ。従来の方法に固執せず、時代に合わせて変える良い時期かもしれぬな」
「じゃが」と嘆息し、ヤウィは忌々しげに続けた。
「お前さんの父は、わし以上に頭が固い。あやつを納得させるには骨の折れることじゃろう……いや、骨がいくらあっても足りぬかもしれんわい」
激怒する父の顔が嫌でも思い出される。トゥーイもまた、祖父と同じように椅子に身を預けた。
「(お父さんを説得するには、どうしたらいいの……?)」
規則を破る行為は決して許さない、厳格で神経質な次期長老。恐らくトゥーイの提案は一蹴され、場合によっては厳しく叱られることだろう。
それでも、ヒビロやリンキットと出会って分かったのだ。自分を襲う卑劣な人々もいたが、世の中には絶対、良い人の方が多いはず。
静かに揺れるか細い灯りを見つめながら、トゥーイは夜遅くまで、物思いに沈み続けた。
Opened tribes and the isolated tribe
(世界を受け入れるか、それとも孤立するか)
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