2章―2

文字数 2,856文字

 長老の屋敷の裏には、山へと続く道がある。狩猟部隊はここから山に入り、帰還時には必ず、入口に備えつけられた鐘を鳴らすのだ。
 トゥーイはカルデムに連れられ、麓の森を散策していた。道は幾度も踏みならされており、歩きやすい。程良い間伐のおかげで森の中は明るく、鳥のさえずりが心地良く聞こえた。

 しばらく進むと、道は二方向に分かれていた。二人は右側の細い道を行く。辺りは暗く、足元は若干不安定だ。しかし奥に進むにつれて、空気がひんやりと澄み切ってゆく。
 急に視界が開けた。うっそうと生い茂る森の先に、大きな岩肌がそびえていた。岩肌には杭が四ヶ所、均等に打ちつけられている。杭の対角線上には鎖が何重にも通され、これらの交点は錠で固定されている。そう。この地は、『神』の宝が眠る場所なのだ。

「やはり、いつ来ても心が洗われる」

 カルデムは、重々しい錠を見つめながら呟いた。よく見ると、岩肌は扉になっている。錠と鎖は頑丈な金属製であり、破壊するのは難しいだろう。トゥーイは錠に触れ、扉を見上げた。

「この[鍵]は、ここを守るためのものなのね」
「おや、ここに来るのは初めてか?」
「お前はきっと開けたくなるから行っちゃだめだ、ってお父さんに言われたの」

 守護者になる前から、『神』の宝を一度見てみたかった。しかし父には勘づかれており、早々に釘を差されている。それ以来、トゥーイは定期的に忠告され続けていた。

「実際に見て、どう思う? やはり中身が気になるか?」

 トゥーイは扉を見上げる。気にならない訳がない。だが、静かに佇む扉からは、只ならぬ圧を感じる。

「えぇ。とっても気になる、けど……開けちゃだめだ、って思ったの」

 トゥーイは胸元の[鍵]を握りしめ、思考を整理するかのように言葉を零した。

「よくわからないけど、とにかく開けちゃだめなんだと思う。『神』様の宝物だもの、私達が見ていい訳ないわよね。お父さんの言ったことは正しいし、私のしたことは……」

[鍵]を掴まれた瞬間を思い出す。トゥーイは扉から目を背け、俯いた。

「やっぱり私、守護者に向いてないのかな」

 鋭い風が通り、森が騒めく。静寂の中、両肩にそっと手が添えられた。

「トゥーイ。君はこの扉を見て『開けては駄目だ』と思ったのだろう? その想いが、[鍵]とこの地を守る力になるのだよ」

 トゥーイは振り向く。カルデムは力強く、頷いて見せた。

「守護者に向き不向きはない。もし先日のように窮地に陥った時は、この情景を思い出すのだ。守りたいと思う心さえあれば、やるべきことは自然と見えてくる」

 カルデムの言葉が、心に染み渡ってゆく。これまで抱えていた疑問、不安、恐怖が溶け出すのを感じた。

「それに、君はもう独りではない。この地を守りたい者は守護者だけではないのだ」
「えっ、カルデム様、どういうこと?」

 カルデムはそれ以上答えることなく、トゥーイの手を引き、道を引き返した。



 二人は森を抜ける。高台から村の様子が見え、トゥーイは首を傾げた。最下段の区画に、何やら人が集まっている。屋敷の玄関先に祖父を見つけ、トゥーイは傍に走り寄った。

「おじいちゃん、何見てるの?」
「おお、帰っておったか」

 ヤウィはトゥーイ達に気づくと、石畳に座ったまま呑気に笑った。しかし、その表情はどこか不安げだ。

「お前さんの側近を決めたんじゃが、ガウィの気が済まないようでの。今、実力を測るために手合わせしておる」

 人混みに目を向ける。遠目で判別出来ないが、二つの人影が相対している様子が見えた。
 気がつくと、トゥーイは走り出していた。

「はぁ、……はぁ……っ!」

 トゥーイは群衆を掻き分け、その先の光景に絶句する。スコードが地面に転がり、苦しげに喘いでいたのだ。全身は痣だらけで、何度も倒れたのか土まみれになっていた。
 彼は手元に転がる木の棒を掴み、それを支えにして立ち上がる。棒をぎゅっと握りしめ、目の前に立ちはだかるガウィを鋭く睨んだ。

「まだまだ……っ!」

 スコードは棒を手に飛び出す。だが簡単に薙ぎ払われ、再度吹っ飛ばされた。

「(もしかして、スコが側近なの?)」

 彼は何度も弾かれては立ち上がり、ガウィに切りかかる。トゥーイは見守ることしか出来ず、口を噛みしめた。

 スコードは二十歳を超えたばかりだが、剣の腕前は相当なものだった。今は門番を務めているが将来は狩猟部隊に入り、いずれは部隊を統べるのだろう。誰もがそう思っていた。
 しかし、ガウィの実力は部族一なのだ。スコードをもってしても全く歯が立たないとは。実力の差を痛いほど感じ、観衆は次第に静まってゆく。

「(お父さん、まだ続けるつもり?)」

 ガウィは何度も何度も棒を振るい、スコードを軽々と払い退ける。スコードは地面に膝をついた。ガウィは彼に止めを刺すことなく、ただ静かに見下ろしている。

「この程度の力では、何も守ることは出来ない」

 ガウィは、感情のない声で静かに呟く。

「守護者は[鍵]を守ることが使命であり、敵を倒すことではない。だがあのような輩は、今後も容赦なく襲いかかってくるだろう。分かるか? 命懸けで守らなければ、自分自身も、トゥーイも、ニグル族全体も危機に晒されるんだ」

 息を深く吸いこみ、ガウィは辺り一帯に響く声で叫んだ。


「お前に全てを守る覚悟はあるのか⁉」


 スコードは体を震わせ、よろよろと立ち上がる。満身創痍だったが、目の輝きは衰えていない。

「トゥーイが傷つくのは……もう、見たく、ないんだっ!」

 残った力を振り絞り、スコードは突進する。ガウィは彼の攻撃を受け止めたが、棒はがっちりと組み合わさり、一歩も動かない。

「うおおおおおお‼」

 スコードは一気に畳みかける。するとガウィは一歩、後ろに押された。
 その瞬間、スコードは真横にはねられた。観衆は残念そうに溜息を漏らす。トゥーイは胸を押さえ、その場に膝をついた。

「(一瞬だったけど……お父さんを、一歩押し返した?)」

 スコードは悔しげに、地面に何度も拳を打ちつける。彼を見下ろしながら、ガウィは静かに呟いた。

「トゥーイの側近になることを許可する」
「えっ?」

 スコードは面食らったように見上げる。ガウィは表情を全く変えずに、彼を鋭く睨んだ。

「ただし、毎日最低三時間、お前を一から鍛え直してやる。覚悟しておけ」

 そう言い残し、ガウィはこの場を去った。観衆はようやく歓声を上げる。トゥーイは慌ててスコードの傍へ駆け寄った。

「スコ! 大丈夫⁉」
「はぁ、はぁ……っ、大丈夫な訳、ねぇだろ」

 彼は肩で息をしながら笑いかけた。傷だらけの体を目の当たりにし、トゥーイは自然と涙を零す。スコードは震える手でトゥーイの頬を拭い、息を切らしつつ、しっかりとした口調で宣言した。

「はぁ、っはぁ、……これからは、俺が、お前を守る。だから、もう……泣くな」

 トゥーイは泣きながら笑顔になった。そして、同時に決意する。[鍵]を守る守護者として精一杯尽くそう、と。



Little guardian’s aide
(守護者の保護者)


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登場人物紹介

【トゥーイ=ニグル】

 女、17歳(初登場時は16歳)。ポーン島ニグル族長老の孫で、[鍵]の守護者。

 濃い茶色に黄色が混じる髪をお下げにしている。

 責任感が強く時々無茶をするが、年頃の少女らしい一面も持つ。

 甘い物に目がない。カルデムのことを尊敬しており、幼い頃からついて回っていた。

【ヒビロ・ファインディ】

 男、35歳(初登場時は34歳)。[世界政府]の国際犯罪捜査員。

 赤茶色の肩までの短髪。前髪は中央で分けている。

 飄々とした掴み所のない性格。長身で、同性も見惚れる端正な顔立ち。

 同性が好きな『変態』。

 [潜在能力]は『相手に催眠術をかける』こと。

【スコード=ニグル】

 男、21歳(初登場時は20歳)。ポーン島ニグル族の門番。

 濃い茶色に白が混じる肩までの短髪。冷静で物静かだが、少し抜けている。

 若いながらも剣術に優れる。

 トゥーイのことは幼い頃から気にかけている。

【ヤウィ=ニグル】

 男、84歳(初登場時は83歳)。ポーン島ニグル族長老で、トゥーイの祖父。

 ぼさぼさの白髪に、黄色が混じる。見た目はほぼ農民。

 根が呑気なため、多少の物事には動じない。

 トゥーイと同じように無茶をしがちである。よくぎっくり腰をやらかす。

【カルデム=ニグル】

 男、84歳(初登場時は83歳)。ポーン島ニグル族出身の[世界政府]代表。国際裁判の裁判長も兼任する。

 背中まで伸びた白髪。毛先は黄金色。

 冷静沈着な性格で、何事も客観的に見ている。哲学者として世界中を回り、[世界政府]を設立した。

 トゥーイを実の孫のように扱っている。

【シドナ・リリック】

 女、28歳(初登場時は27歳)。ミルド島出身の[世界政府]国際犯罪捜査員。シドルの姉で、ヒビロの部下。

 明るい緑色のストレートの長髪。真面目でしっかり者。策士な一面を持つ。

 海難事故により、[潜在能力]に目覚めている(『相手の記憶を操作する』こと)。

【シドル・リリック】

 男、27歳(初登場時は26歳)。ミルド島出身の[世界政府]国際犯罪捜査員。シドナの弟で、ヒビロの部下。

 明るい緑色の短髪。やや消極的だが、姉同様真面目な性格。

 海難事故により、[潜在能力]に目覚めている(『一度知覚したものを永遠に記憶出来る』こと)。

【ガウィ=ニグル】

 男、52歳。ポーン島ニグル族次期長老で、トゥーイの父親。

 濃い茶色の髪を短く刈りこんでいる。毛先は黄色。

 厳格で神経質だが民からの信頼は厚い。狩猟部隊の長を務めており、屈強な肉体を持つ。

 トゥーイを[鍵]の守護者に推薦した張本人だが、何かと子離れが出来ていない。

【ラテナリー・ルミナス】

 女、45歳。ミルド島出身の[世界政府]国際海上保安官。[島]の港の検問所を巡回している。

 マリンブルーの長髪を無造作に纏めており、飾り気のないはっきりした性格。

 2人の子を持つシングルマザー。

【サイラス・アイザー】

 男、44歳。クィン島出身の[世界政府]国際航空保安官。ヘリコプターでパトロールしながら[島]を巡回している。

 黄土色の肩までの長髪。明るく親しみやすい性格。

 [世界政府]移籍直後のヒビロとしばらく組まされ、大変な目に遭ったらしい。

【リンキット=ドナ・ハピアス】

 女、17歳。ポーン島ドナ・ハピアス族長老の孫。

 濃い茶色の肩までの短髪で毛先は緑色。

 背丈は低く、直径1メートルの帽子を被っている。

 陽気な性格で甘い物が好みのため、トゥーイとはすぐに意気投合した。

【フィオラ・ファインディ】

 男、9歳。ヒビロの息子。

 赤茶色に近い茶色の癖っ毛に、父譲りの整った顔つき。

 RCの捜査に出るヒビロ達に同行し、世界を見て回った。

 [潜在能力]は『あらゆる物の構造を透視出来る』こと。発動時のみ瞳が赤茶色に変わる。

【ベイツ・ブライン】
 男、56歳。フィロ島出身の[世界政府]国際裁判官。元『狩人』の経歴を持つ。
 氷色の短髪をきっちり撫でつけている。瞳は茶色。顔面には一本の大きな傷が走っている。
 自分にも他人にも厳しく、常に険しい表情をしている。

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