2章―1
文字数 2,615文字
ヒビロが[世界政府]本部に帰還した頃、ニグル族の村では、鐘の音が響き渡っていた。
――ゴオオォン、ゴオオオオォン……
怪我の手当てを受けていたトゥーイは、思わず飛び上がる。高台にある鐘が鳴ったということは、山脈に赴いていた狩猟部隊が到着したのだ。
「伝令を遣わしたからのぅ。奴はきっと、血相を変えて飛んで来たんじゃろう」
ヤウィはトゥーイの右脚に木の棒を添え、布できつく縛る。トゥーイは不安げに俯いた。狩猟部隊には、最も恐ろしい人物がいる。
鐘の残響が消えて間もなく、足音が近づいてきた。開け放たれた屋敷の玄関に人影が映る。ヤウィはその人物に向けて、呑気に声をかけた。
「ガウィ、ご苦労じゃった」
現れたのは屈強な男。彼は黙ったまま歩み寄り、トゥーイの頬を力一杯に引っ叩いた。
「こ、これ! トゥーイは怪我を……」
「自分のしたことが分かっているのか!」
ヤウィの言葉を遮るように、ガウィは激しく捲し立てた。
「お前は[鍵]の守護者だろう? 不用意に村の外を歩き回り、[鍵]を奪われそうになるなど断じて許されない。守護者としての責任と自覚が足りないと思わないのか!」
一字一句が全て心に突き刺さり、トゥーイは涙を流した。ガウィは座りこみ、自分の肩にそっと両手を置く。
「それにお前が負傷したと聞き、どれだけ心配したか……!」
ガウィは声を震わせ、トゥーイを抱きしめる。トゥーイは彼の腕の中で、声を絞り出した。
「お父さん、ご、ごめんなさい……!」
ガウィはトゥーイの父であり、ニグル族の次期長老となる男だ。温厚なヤウィとは似つかぬくらい神経質であり、村中で最も優れた剣士だった。
ニグル族の村は山脈の麓にあり、森林から迷い出た獣による被害が度々起こる。そのため山の鉱物を使った武器を作り、代々狩猟が行われてきた。ガウィは、狩猟部隊の長を務めている。
実は、[鍵]の守護者の前任はガウィだった。しかし、彼は既に狩猟部隊に所属しており、いつ命を落とすか分からない。そのため、娘であるトゥーイを守護者に指名した。
父は昔から厳しく、守護者としてどうあるべきか、トゥーイは耳にタコが出来るくらい聞かされていた。それが今日、叱咤されて初めて実感したのだ。
「親父、話は大体聞いている。[世界政府]の協力を得たそうだな」
「うむ。わしは気が進まんのじゃが、トゥーイに側近をつけた方が良いと言われてのぅ」
ヤウィは苦い顔で顎髭を弄る。祖父は昔から、トゥーイに守護者を継がせることを反対していた。大切な孫を危険な目に遭わせたくなかったのだ。
トゥーイは守護者を続けたかったが、辞めさせられるかも、と思った。ヒビロは『君なら大丈夫だ』と励ましてくれたが、もし再び犯人達に狙われたら、守り切れる自信はない。
「側近、か……」
案の定、ガウィは眉間に皺を寄せた。そしてトゥーイから[鍵]を没収し、依然厳しい表情のまま宣告した。
「お前の怪我が完治するまで、[鍵]は預かっておく。しばらく頭を冷やせ」
トゥーイは思わず目を見開く。ガウィはトゥーイを抱え、そのまま屋敷を後にした。
――
その日の夜、屋敷近くの自宅にて。トゥーイは長老の家族だが同居はしておらず、岩を積み上げた質素な家で父と母、三人で暮らしていた。
「ほら、いつまでも悩まないの。今は食事の時間よ?」
トゥーイの母、トナは木製の皿を食卓に乗せる。イノシシ肉を使った、豪勢な料理だった。
狩猟部隊は月に一度、一週間かけて山に赴く。獲物は村全体で分け合っており、帰還日にはどの家でもご馳走が振舞われるのだ。今回は早めに引き上げたようだが、大漁だったらしい。トゥーイは考え事を止め、「いただきます」と声をかけた。
「疲れてるでしょうに、お父さんったら仕事熱心ねぇ」
トナは呆れたように頬杖をついた。ガウィはトゥーイを自宅に運んですぐ、屋敷に戻ったのだ。祖父と二人で、今後の相談をしているのだろうか。
「お父さん、守護者を続けさせてくれるのかな……?」
小さな呟きを捉えた母は、大きく肩をすくめた。
「それは私も反対だし、お父さんも本当はそう思ってるかもしれない。でもね、守護者にするなら、あなた以外考えられないって言ってたわ」
トゥーイは「えっ」と驚く。母は険しい顔を作り、父の声真似をした。
「『守護者に必要なのは戦いの技術ではない。いざ逃げる時の素早い身のこなしと、[鍵]を守るという強い信念だ』って。男の人は皆、目の前の敵を倒すことを考えているから、守護者には向いていないって言い張ってたのよ」
「じゃあ、お父さんはなんで私を選んだの?」
その疑問に、トナは自信満々の笑顔で答えた。
「自慢の娘だからに決まってるじゃない!」
守護者になるための特訓が始まったのは、物心がついた頃。正式に守護者を継いだのは三年ほど前だった。その間一度も父に褒められた記憶がなかったが、トゥーイは初めて、嬉しく思ったのだった。
「側近をつけること自体は私も賛成。でも、お父さんが許すかしらねぇ」
「どういうこと?」
意味ありげに笑う母に、トゥーイは疑問をぶつける。トナはにんまりとした表情のまま、面白そうに呟いた。
「お父さん、子離れが出来てないもの」
――
襲撃事件から数日が経過した。軽傷で済んだこともあり、トゥーイは日を追う毎に回復していった。
初めの二、三日は自分一人で動けなかったが、母や近所の子供達が手助けをしてくれた。特にスコードは、門番の日以外は必ず見舞いに訪れていた。
だが、あの日以来『側近』のことや、処分に関する情報は全く聞こえてこない。トゥーイはガウィに会う度に聞き出そうとしたが、父は難しい顔のまま一言も口を割らなかった。
「トゥーイ! カルデム様があなたに会いたいって!」
怪我がほぼ完治した朝。近所の岩場で体を慣らしている最中、母に呼び止められた。トゥーイは目を輝かせ、急いで家に向かう。
玄関先では、背の高い老人がこちらに手を振っていた。ニグル族出身の哲学者であり、[世界政府]代表のカルデムだ。トゥーイは彼に駆け寄り、勢い良く抱きついた。
「カルデム様! また会えてうれしいわ!」
「私もだ。この様子だと、怪我は治ったようだな」
「えぇ、もう大丈夫!」
カルデムは安堵したように息をつく。そして自分の目線の位置まで腰を屈め、穏やかに微笑んだ。
「それなら、今日は散歩に出かけようか」
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