孤独死かカレーか

文字数 916文字

今年で五十歳を迎え、身体も無理が利かなってきたことをよく実感する。
例えば食事の準備で、じゃがいもの皮をむく際に身長が高いが故に中腰でやっていたのが、その体勢では三分も持たなくなった。今では椅子に腰を掛けてじゃがいもの皮むきをすることになってしまっている。そして椅子から立ち上がる際に膝が些か重たく感じることも多くなり、こうやって衰えを実感するのだなと改めて老いというものを考えさせられてしまうのだ。

僕は長生き出来ないだろうし、死というものに対して受け入れてはいる。ただ僕が死んだ場合、すぐに発見されることはない。子供を授かることもなく孤独の身であり、孤独死は決定しているのだ。

孤独死で見つかるケースが年々増えているとネット記事で幾度も見てきたが、その度に自分自身と照らし合わせ死を見つめる。何かの病気を患い、病院のベッドの上で死を迎えたとしたら、それは恵まれた方の最期だなと思う。

明日が当然のように来ると背中で感じながら眠りに就き、そのまま永遠に目覚めること無く死を迎えることは、果たしてどうなのだろうか。そういう想像をしてみると、僕らしい死に様だなと思えてしまう。なぜなら、幼少期から家族の事は嫌いだったし人とコミュニケーションを取ることに苦痛を感じることがほとんどだったのだ。そこまでして気を遣うぐらいなら、一人の方が楽だなと。いつも人との距離には隔たりがあり、梅干しを漬けた壺の中に入っているような人生だった。

自らの選択で孤独という道を歩むことになったが、寂しさは常に付き纏う。孤独死という言葉の中には、『酷たらしい程の寂しさがある』という意味も含まれているように感じるのだ。

最後に見る光景は、どのようなものなのだろうか。今こうしてパソコンに向かって文字を打ち込んでいる日常的な光景なら、平和的な死に方になるだろう。何らかの災害や戦争で恐怖を感じたまま死ぬ方が、よほど辛いだろう。

今日はカレーが食べたい。ゴールデンカレーとこくまろを合わせた具だくさんのカレーが食べたい。僕はそのカレーを思い浮かべながら眠りに就こうと思う。

きっと目覚めるだろうと何の根拠もない未来を想像し、起きた先にある、そのカレーの匂いを鼻で感じながら……。
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