待合室の足は語る

文字数 1,243文字

僕は月に一度、心療内科に通っている。かれこれ14年も通院していると、それが生活の一部として当然のことように感じてしまう。診察の順番が来るまで待機する待合室にも、何度来たことだろうか。僕は広々とした待合室で、退屈しのぎにイヤホンを付けて音楽を聴いているのだが、目はそこにいる人達を観察している。

先日のことだった。とある夫婦が僕の斜め右側の長椅子に腰を掛けた。僕とその夫婦の間には三メートル程の距離があった。彼は淡いブラウン系のスーツを着用しており、ネクタイは濃い単色の茶色だった。彼女の方は、黒系のスキニーっぽいジーンズに、半袖の淡いグリーンと淡黄色のツートンのパーカーを着ていた。二人とも、歳は三十代前半のように見えた。

彼女が不機嫌そうな表情で彼に向けて何かを言っているようだった。僕は音楽を聴いていたので再生を止めて、聞き耳を立てた。

「どうせわたしのこと、面倒くさいと思ってるんやろ?」
「そんなこと思ってないよ」
「こんな病気になったわたしと早く別れたいんやろ? 見てて分かるねんから」
「それは考えすぎやって。今は病気を治すことに専念しよ」

彼女の方がなにかしらの精神疾患を患っており、彼を失うことへの恐怖心や不安感があっての言動なのだろうと、普通に聞いていれば分かることだ。きっと彼の方は、職場に行く前に彼女の付き添いとしてやってきていたのだろうと推測出来る。

僕はふと、その二人の足下を見た。彼女の方は、椅子の下にある空間に足を引っ込めており、それも彼の方向に向けて足を開いていた。その足の表情は、彼に対して心を開いている表れだろうなと感じた。しかし、一方の彼は、彼女側にある右足を前に出していた。それは彼女に対する拒絶する心理が足に表れていた。自分の領域に入ってきて欲しくない心理からガートのように足を前に出す。それに彼の左足は、彼女とは真逆に方向に向いており、いつでもそこから逃げ出せるように出していた。

僕はその二人の足下を見て、彼は完全に彼女から心は離れており、彼女はすがるように彼の支えを必要としていると感じたのだ。

彼女は次から次へと、彼に対して文句のような質問をしているのだが、それを返答する彼は具体性の無い返事ばかりで、彼の表情からは早くその状況から逃げたいのだろうなと……。

診察の順番がやってきたので僕は診察室に入り、担当医とたわいも無い話を済ませて待合室に戻った。すると彼女の方は、泣いていた。彼はその彼女を励ますでもなく寄り添うでもなく、遠くの方を見ているかのように憂鬱な表情だった。

きっと彼は、そのうち焼き切れてしまうだろうなと僕は思った。

彼女には申し訳ないが、彼に対して「そこまで拒絶するのなら早く別れなさい。綺麗な思い出があるうちに。そのまま進むと、憎しみが世界を覆い悪魔と契約することになるよ」と言いたい気持ちだった。

綺麗事は通用しない。精神疾患の世界は永遠に鳴り続ける警報音と共に、遮断機は決して上がらない。開かずの踏切の前で呆然と立ち尽くす人生なのだから。
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