第1章 オノマトペとは何か

文字数 1,910文字

ザラッとくるオノマトペ
Saven Satow
Dec. 23, 2021

「いいなー、この味のある絵。ザラッとくるなー、水木しげるは」。
内田勝

第1章 オノマトペとは何か
 日本語は、朝鮮語ほどではないものの、オノマトペが多い言語とされている。「オノマトペ(onomatopée)」は音や声、物事の状態・活動などを表音により象徴的に示した語である。それには擬音語・擬声語・擬態語が含まれる。

 オノマトペは世界中の言語に認められるが、用法には違いがある。インド=ヨーロッパ語やセム語などでは幼児語を代表に語彙が限定的で、日常会話でさえあまり使われない傾向がある。一方、日本語では、天皇のおことばといった厳粛さが要求される場面では控えられるものの、国会審議のような公的場面でも時折使われる。政治腐敗の伴う間柄を指す「ずぶずぶの関係」はそうした一例である。

 近代教育を推進する際に、文部省は音楽において唱歌を導入する。その代表的な曲の一つである『虫のこえ』は歌詞が次のように擬声語に満ちている。

あれ松虫が鳴いてゐる。
 ちんちろちんちろ ちんちろりん。
あれ鈴虫も鳴き出した。
 りんりんりんりん りいんりん。
あきの夜長を鳴き通す
 あゝおもしろい虫のこえ。

 これは1番で、続く歌詞にも同様の擬声語が登場する。ここから文部省がオノマトペを近代学校教育から排除すべき表現ではないと捉えていると理解できる。それはオノマトペが日本語のリテラシーにおいて不可欠だと当局が認識していたことを示している。

 実際、文学作品においてもオノマトペは古くから用いられている。『万葉集』にその用例が確認することができる。

 『万葉集』164に次のような擬態語が用いられている。

 多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき

 これは労働をテーマにした東歌である。選者にオリエンタリズム的動機があると推察でき、都の貴族がオノマトペを歌に織りこむことを率先していたわけではないだろう。けれども、以後の古典文献にもオノマトペは登場し、必ずしも意識的に言及が避けられているわけではない。事実、文字史料をテキストにして日本語におけるオノマトペに関する歴史研究が積み重ねられている。

宮さん宮さんお馬の前に
ヒラヒラするのは何じやいな
トコトンヤレ、トンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗じや知らないか
トコトンヤレ、トンヤレナ

一天萬乗の帝王に
手向ひすろ奴を
トコトンヤレ、トンヤレナ
覗ひ外さず、 覗ひ外さず、
どんどん撃ち出す薩長土
トコトンヤレ、トンヤレナ
(『宮さん宮さん』)

 近代に入って西洋文明の影響を受けてからもオノマトペをめぐる認識が大きく変化してはいない。

 夏目漱石は、『虞美人草』において、次のような擬態語を使っている。

 忽然として黒田さんが現れた。小倉の襞を飽くまで潰した袴の裾から赭黒あかぐろい足をにょきにょきと運ばして、茶を持って来る。煙草盆を持って来る。菓子鉢を持って来る。六尺の距離は格かたのごとく埋うずめられて、主客の位地は辛うじて、接待の道具で繋がれる。忽然として午睡の夢から起きた黒田さんは器械的に縁えにしの糸を二人の間に渡したまま、朦朧たる精神を毬栗頭の中に封じ込めて、再び書生部屋へ引き下がる。あとは故もとの空屋敷となる。

 漱石は独自の当て字を頻繁に使ったり、多様な語りを取り入れたりするなどレトリックに意欲的な作家である。ただ、ここでのオノマトペの利用は一般的な文章表現と隔たりはなく、個性的ではない。

 なお、この漱石の「にょきにょき」はテレビ番組『ニョキニョキ植物王国』のタイトルに引用されている。これは1994年10月から翌95年3月までテレビ東京で放映された植物をテーマにしたクイズ番組である。テレ東制作のため、放送エリアは限定的だったが司会の楠田枝里子が頭に両手を置いて「しょくぶつ~ニョキニョキ」と摂るポーズが印象的で、ナインティナインなどがモノマネに取り入れている。『虞美人草』の初出は1907年であり、87年後に引用されたように、漱石の「にょきにょき」にはユーモラスさがあることは確かだろう。

 しかし、漱石と違い、中にはオノマトペを日常的な使い方を超えて独自のレトリックとして駆使する文学者もいる。個性的な用法はその書き手の文体の特徴の一つでもある。これは、自己表現の発想が乏しい近代以前には、必ずしも見出すことのできない現象だ。

 そうした作家はオノマトペならではの可能性を追求して、日本語における文学表現を拡張している。西洋近代文学の影響を受けつつも、言語の特徴の一つを活用した独自の展開である。それを検討してみよう。
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