第3章 中原中也

文字数 2,069文字

第3章 中原中也
 オノマトペはロジカルに定義された概念ではない。そのため、オノマトペの指し示す対象は必ずしも一つではない。気分や雰囲気をを表わすので、よく用いられるオノマトペであっても、多様性を持っている。

 「どんどん」は、「ドアをどんどんと叩く」や「どんどんと大砲が発射された」のように、激しい打音や爆音のオノマトペとして用いられる。しかし、それ以外にも、「どんどん食べろ」のように、勢いを表現する時にも使われる。「どんどん」には複数の意味がある。岡本喜八監督のコメディ映画『ダイナマイトどんどん』はタイトルにこの三つをかけ合わせている。ヤクザの野球チーム岡源ダイナマイツのメンバーは監督の「レッツゴー、ダイナマイツ!」のかけ声に合わせて、足を「どんどん」と踏み鳴らす。これは多義的なオノマトペの利用の一例である。

 そうしたオノマトペの多義性を表現する文学者として中原中也を挙げることができる。中也はオノマトペの柔軟性・不定形性を活用した次のような詩を著わしている。

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
(『一つのメルヘン』)

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処での一と殷盛り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安値いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
  咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

      屋外は真ッ闇闇の闇
      夜は劫々と更けまする
      落下傘奴のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
(『サーカス』)

 中也は、『一つのメルヘン』において、「さらさら」を段落によって異なった意味で用いている。それは視覚から触覚、聴覚へと移行する。このオノマトペはいずれの知覚でも使われる。陽の光、砂、川の流れが同じ「さらさら」によって表現される。中也は、多義性を利用して、一つのオノマトペを転調させる。

 「さらさら」は、『万葉集』にも登場するように、中也独自のオノマトペではない。この作品世界は日常からかけ離れた特殊なものではない。しかし、ここではそれが何かとつかんだ瞬間に変化する。この印象は、捕えたと手を伸ばしたら、蝶が逃げ去っていくことを思い起こさせる。すぐそこにあるはずにもかかわらず、捉えることができない。そんな世界を「さらさら」は示している。

 一方、『サーカス』のオノマトペは比較的独特なものである。サーカスは非日常の閉じられた空間で演じられる。その雰囲気を表現するには独特なオノマトペを必要とする。

 「ゆあーん」と「ゆよーん」の二つのオノマトペはいずれも空中ブランコの演技を表わしている。その直後に二つのオノマトペが「ゆやゆよん」と合成される。これは空中ブランコの2人の演者の動きを物語る。演技は成功、2人は手をつないで一つのブランコで空中を舞っている。そんな光景が目に浮かぶ。

 オノマトペは、すでに述べた通り、誰もが新しく作ることが可能である。複数のものを統合させてもかまわない。オノマトペは柔軟である。非日常的な空間で息の合った超人的なパフォーマンスが展開される。中也は、独特のオノマトペを語ったすぐ後にそれを合成し、この光景を表現する。

 オノマトペには、確かに、柔軟性がある。合成の他にも、隣接するオノマトペを連続させて変化を表わすこともできる。「コロコロコロコロゴロゴロゴロゴロ」とすると、坂道を転がっていて段々と勢いが増していく印象を受ける。

 ここまでの例示からも明らかなようにオノマトペには繰り返しを含むものが多い。ただし、その反復は「ザーザー」や「トントントン」のように、通常2〜3回である。それ以上繰り返す場合、強調のニュアンスが示される。「目がぐるぐるぐるぐる回った」と言うと、いつもよりもさらに回ったという印象がこめられる。

 このリピートを何十回と過度に行うなら、日常性を超える状態を表現することができる。それはダダイズムの詩人たちの得意とするところである。「蛇がにょろにょろしている」という言い回しがある。この「にょろ」を数十回繰り返せば、その蛇の尋常ではない長さや話者がいかにそれを君悪がって嫌いであるかといった気分が伝わってくる。こうした過度の繰り返しもオノマトペの多義性の表現の一つである。
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