第2章 宮沢賢治

文字数 1,740文字

第2章 宮沢賢治
 日本近代文学において最も個性的なオノマトペの使い手は間違いなく宮沢賢治である。彼の作品の多くに独特のオノマトペが登場する。その中でも最も知られているものは次の二つだろう。

二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳はねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
 上の方や横の方は、青くくらく鋼のように見えます。そのなめらかな天を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンはわらっていたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『それならなぜクラムボンはわらったの。』
『知らない。』
 つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のように光って斜めに上の方へのぼって行きました。
 つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いいました。
『わからない。』
 魚がまたツウと戻って下流のほうへ行きました。
『クラムボンはわらったよ。』
『わらった。』
 にわかにパッと明るくなり、日光の黄金は夢のように水の中に降って来ました。
(『やまなし』)

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな学校がありました。
 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗の木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴く岩穴もあったのです。
(『風の又三郎』)

 いずれの引用も作品の冒頭である。どちらも彼の作品以外では耳にすることはない。このオノマトペを聞くと、象徴するように、賢治のあの作品とすぐに思いつくほどである。賢治は物語を独特のオノマトペによって始めている。

 オノマトペは指し示す対象に関して論理的に明確化・厳密化する単語ではない。むしろ漠然とした気分や雰囲気を表わす。「ボールが「ころころと転がっていた」と耳にしても、ボールの転がり具合は厳密にはわからない。用法の経験から何となく様子が推測できるだけである。

 また、オノマトペは誰もが新しく生み出すことができる。一般的に言って、言葉は他者と意味や用法を共有されなければ、意思疎通できないので、新規に作ったとしても、普及せず消えてしまうものだ。しかし、オノマトペは気分や雰囲気の表現であるため、その限りではない。誰かが新たに思いついたオノマトペが広まったり、限定的ながらも定着したりする。「ビシバシ」や「サクサク」などオノマトペの流行語もそうした現象が認められる。

 賢治はどちらの作品でも冒頭に独自のオノマトペを登場させる。それはその表現の特徴を活用している。これから始まる物語は今まで聞いたこともないオノマトペが示す独特の気分の世界を舞台にしている。それは具体的にイメージできないかもしれないが、読者は不思議なオノマトペから受ける未知の世界を味わうことができるだろう。賢治のオノマトペは彼が構築する世界の独自性を表わすものである。この世界はそうとしか語り得ぬものだ。

 いきなり言及される「クラムボン」が何ものなのかわからない。それは「かぷかぷ」笑うものだと言う。けれども、その「かぷかぷ」という笑い方が想像できない。「クラムボン」は「かぷかぷ」笑うものとしか言いようがない。また、「風邪の又三郎」は謎少年である。彼の登場には「どっどど どどうど どどうど どどう」と風が吹く。それがどんな様子なのかは考えが及ばない。ただ、尋常ではないと思えるだけだ。このように賢治の独自のオノマトペはこうした想像力を超える世界の気分を象徴する。未知の世界を構築するために、新たなオノマトペを創造する。これがこの表現に対する賢治の姿勢である。
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