第4章 太宰治

文字数 4,066文字

第4章 太宰治
 太宰治の作品に目を通すと、印象的なオノマトペの記述に思わず惹きつけられる。失敗作であっても、この使い方は並々ならぬものである。ただ、それは新規でも多義的でもない。だが、ここでこのオノマトペが来るのかと思わずやられたという気にさせられる。

 太宰の同時代的人気において最も成功した小説である『斜陽』の次のような冒頭はそうした好例である。

朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
 と幽かな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
 お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。ヒラリ、という形容は、お母さまの場合、決して誇張では無い。婦人雑誌などに出ているお食事のいただき方などとは、てんでまるで、違っていらっしゃる。

 「すぅっ」や「ひらり」は珍しいオノマトペではない。けれども、それらはこの場面で通常使われることはない。

 しかも、太宰はこの「ひらり」の用法が決して一般的でないことを承知している。しかし、この形容にはこれしかないと登場人物の語りを通じて言う。それらのオノマトペのニュアンスを借りつつ、通常では考えられない場面で効果的に登場させる独自のレトリックとして活用している。それによりその対象の個性が明確化される。

 日本文学においてオノマトペだけのタイトルの作品として最も知られているのは太宰の『トカトントントン』だろう。これは1947年に発表された書簡体小説である。主人公は26歳の福音青年で、敗戦から今に至るまでの体験や心情を書いた手紙をある作家に送る。彼は「トカトントントン」という音に囚われている。

 主人公はこの「トカトントントン」のオノマトペについて次のように述べている。

 昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、そうして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれなかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に駈けあがって、
「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し、降参をしたのだ。しかし、それは政治上の事だ。われわれ軍人は、あく迄までも抗戦をつづけ、最後には皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。いいか。よし。解散」
 そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡をはずし、歩きながらぽたぽた涙を落しました。厳粛とは、あのような感じを言うのでしょうか。私はつっ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく、つめたい風が吹いて来て、そうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くように感じました。
 死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。前方の森がいやにひっそりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡麻粒を空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。
 ああ、その時です。背後の兵舎のほうから、誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、眼から鱗が落ちるとはあんな時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑つきものから離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持で、夏の真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何なる感慨も、何も一つも有りませんでした。
 そうして私は、リュックサックにたくさんのものをつめ込んで、ぼんやり故郷に帰還しました。
 あの、遠くから聞えて来た幽かな、金槌の音が、不思議なくらい綺麗きれいに私からミリタリズムの幻影を剥はぎとってくれて、もう再び、あの悲壮らしい厳粛らしい悪夢に酔わされるなんて事は絶対に無くなったようですが、しかしその小さい音は、私の脳髄の金的きんてきを射貫いてしまったものか、それ以後げんざいまで続いて、私は実に異様な、いまわしい癲癇持ちみたいな男になりました。
 と言っても決して、兇暴な発作などを起すというわけではありません。その反対です。何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、トカトントンとあの金槌の音が聞えて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです。
 さいしょ、私は、この郵便局に来て、さあこれからは、何でも自由に好きな勉強ができるのだ、まず一つ小説でも書いて、そうしてあなたのところへ送って読んでいただこうと思い、郵便局の仕事のひまひまに、軍隊生活の追憶を書いてみたのですが、大いに努力して百枚ちかく書きすすめて、いよいよ今明日のうちに完成だという秋の夕暮、局の仕事もすんで、銭湯へ行き、お湯にあたたまりながら、今夜これから最後の章を書くにあたり、オネーギンの終章のような、あんなふうの華やかな悲しみの結び方にしようか、それともゴーゴリの「喧嘩噺」式の絶望の終局にしようか、などひどい興奮でわくわくしながら、銭湯の高い天井からぶらさがっている裸電球の光を見上げた時、トカトントン、と遠くからあの金槌の音が聞えたのです。とたんに、さっと浪がひいて、私はただ薄暗い湯槽の隅で、じゃぼじゃぼお湯を掻かきまわして動いている一個の裸形の男に過ぎなくなりました。

 「トカトントントン」は金槌で釘を打つ音である。トンカチの打音は「トントントン」が一般的だが、一打目は釘を材木にめりこませる必要があるので、「トカ」が前についても必ずしも奇異ではない。この手紙を受けどった作家からの返信に『マタイによる福音書』10章28節の引用があることから、釘を打ちつける音にはイエスが大工だったことをふまえていると思われる。

 「トカトントントン」は確かに打音のオノマトペであるが、ここでは比喩として扱われている。しかも、それは大工仕事に関連する物事の象徴ではない。金づちで釘を叩く音であることに間違いないけれども、その指し示すものは目覚ましである。

 この音は主人公にとって幻聴であり、それを本人も自覚している。ただ、精神状態が異常をきたしているわけではない。むしろ、この音が聞こえてくると、主人公は我に返った気になっている。「トカトントントン」は盲信から主人公の目を覚まさせる音である。オノマトペなので、理性に訴えて論理的に説得してはいない。一種の警告音で、注意喚起を感覚的に主人公へ促す。「トコトンヤレ」には「トカトントントン」だ。「トカトントントン」は考える前に、それを無批判的に信じるなと立ち止まらせるアラートである。そこには大工だったイエスの布教が踏まえられている。

 軍国主義的狂信から主人公を解き放ったその音は、しかし、戦後になっても次のように彼には聞こえ続けている。

私は局員たちを相手にキャッチボールをはじめました。へとへとになるまで続けると、何か脱皮に似た爽かさが感ぜられ、これだと思ったとたんに、やはりあのトカトントンが聞えるのです。あのトカトントンの音は、虚無の情熱をさえ打ち倒します。
 もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞をひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、こないだこの部落に火事があって起きて火事場に駈けつけようとして、トカトントン、伯父のお相手で、晩ごはんの時お酒を飲んで、も少し飲んでみようかと思って、トカトントン、もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもトカトントン、自殺を考え、トカトントン。
「人生というのは、一口に言ったら、なんですか」
 と私は昨夜、伯父の晩酌の相手をしながら、ふざけた口調で尋ねてみました。
「人生、それはわからん。しかし、世の中は、色と慾さ」
 案外の名答だと思いました。そうして、ふっと私は、闇屋になろうかしらと思いました。しかし、闇屋になって一万円もうけた時のことを考えたら、すぐトカトントンが聞えて来ました、
 教えて下さい。この音は、なんでしょう。そうして、この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう。私はいま、実際、この音のために身動きが出来なくなっています。どうか、ご返事を下さい。
 なお最後にもう一言つけ加えさせていただくなら、私はこの手紙を半分も書かぬうちに、もう、トカトントンが、さかんに聞えて来ていたのです。こんな手紙を書く、つまらなさ。それでも、我慢してとにかく、これだけ書きました。そうして、あんまりつまらないから、やけになって、ウソばっかり書いたような気がします。花江さんなんて女もいないし、デモも見たのじゃないんです。その他の事も、たいがいウソのようです。
 しかし、トカトントンだけは、ウソでないようです。読みかえさず、このままお送り致します。敬具。

 「トカトントントン」は意識的に何かを思い立つ時に聞えてくる。それは自意識への警告音である。その音は自意識による認知行動には偽りや自惚れ、我欲、があるのではないかという問いかける。そうした自意識の先行にはを眉唾と疑ってかかった方がいい。これは理性的と言うよりも、感性的判断である。こうしたアラートを表現するには概念ではなく、オノマトペがふさわしい。

 太宰は既存のオノマトペを通常使われる文脈から切り離し、そのニュアンスだけを残して、それを独自のレトリックとして用いる。彼のオノマトペは比喩であり、対象に関する個性の表現である。
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