第3話

文字数 1,037文字

 忙しい勤労生活の中でもキバヤシは単位を落とすことなく、授業に出続けた。正直に言って大学の講義の内容はあまり面白いとは思えないものが多かった。タイトルは「西洋文化史」とか「スポーツ歴史学」といった面白そうな名前がついているわりに、中身は教授の特定の専門分野の論文をなぞるようなものが多かったからだ。1600年代のベルギーフランドル地方の民謡や、マレーシアのゴルフ文化から見る大英帝国の影響など、極めて限定的なテーマについて、教授が自費出版したようなテキストを使ってひたすら板書していくような授業が多く、キバヤシもそれに対して疑問を感じないわけではなかった。しかし「人生に無駄なことなんて一つもない」という有名なサッカー選手の言葉を思い出し、はるか昔のベルギーの民謡を自分でも真似して歌ってみたりした。

 2年生になり生活のリズムがつかめてきたこともあって、サークルでも始めてみようかなと思った矢先に仕送りが途絶えた。母親の務めていた介護センターが閉鎖され、実家が無収入となってしまったのだ。キバヤシはさらにバイトを増やし、土日にコンビニのバイトをはじめた。居酒屋のバイトも、次の日朝の授業がない日は志願して深夜のシフトに入った。さすがに若いキバヤシの体にも疲れがたまるようになり、年齢に似合わない翳が顔に出るようになったのもこの頃である。
 それでもファンタジスタキバヤシはファンタジスタキバヤシだった。バイト帰りに飲む缶コーヒーの甘さに幸せを感じ、たまのぜいたくで食べるびっくりドンキーのハンバーグに「うまい!」と喜びを覚え、バイト先の子に「キバヤシさんって意外とモテそうですよね」と言われた日は寝るまでニヤケ顔が収まらなかった。
 冬かと思うほどに冷え込んだ秋のある日、キバヤシは深夜シフトで朝まで働きそのまま1日授業を受け、その後再びバイトに向かおうとしていた。さすがの強行スケジュールに朦朧としていたキバヤシだったが、居酒屋が突如停電で臨時休業となり、店長以外のスタッフ全員がお休みとの連絡が入った。キバヤシはそのLINEを見た後、とりあえず学校近くのすき家に駆け込み、大盛の牛丼と味噌汁で腹を満たした。それから寝不足でふらつく足で部屋へと戻り、敷きっぱなしの布団にもぐりこんだ。冷え切った毛布を体に巻き付けていると体の芯が少しずつ暖かくなってくるのを感じた。明日は授業がない日。そしてバイトは夜から。「ファンタジスタ・・・」そう呟いてキバヤシは幸せな眠りに落ちていった。
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