第4話 A社と特許出願の打ち合わせ

文字数 4,158文字

 (四) A社と特許出願の打ち合わせ
「今日は時間通りに出られそう?」
 ナカジュンが僕に確認してきた。今日はナカジュンとともに仕事帰りにザ・バズミサイルのライブに行く予定だ。日比谷公園で野外ライブがあるのだ。ナカジュンは劇団員をしながらハラダ事務所でアルバイトをしている。劇団の公演があるときは連続で休みを取る必要があるから自由が利くアルバイトという働き方を選んでいるようだ。
 僕とナカジュンが話をするようになったきっかけは銀杏BOYZだ。事務所のデスクに『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』と『DOOR』のアルバムを置いてあるところをナカジュンが見かけて僕に話しかけてきたのだ。ナカジュンとは音楽の趣味が合う。
 僕は学生時代に銀杏BOYZをよく聴いていて、今でも大好きだ。銀杏BOYZのむちゃくちゃな歌とライブに衝撃を受けた。それからハイスタやブルーハーツも聴くようになり、僕はいわゆるパンクロックにハマっていった。好きなパンクロックを聴くと身体がカッと熱くなる。自分は自由で何だってできそうな気がしてくる。
 ナカジュンがザ・バズミサイルを僕に勧めてCDを貸してくれた。疾走感のある、いわゆる青春パンクという感じで僕はザ・バズミサイルがとても気に入った。特に「せーので!」が大のお気に入りだ。
「13時からA社で会議があって外出するけど、5時半には間違いなく戻ってきているから時間通りに出られるよ」


「野々宮先生、明細書を起案するのに必要な情報は以上でよろしいでしょうか」
 特許出願の打ち合わせのためにクライアント先のA社に来ている。A社の技術開発部門の佐川さんと、知的財産部の君島さんとの打ち合わせだ。
 佐川さんの発明のポイントとしては○○装置の性能向上として誘電体の材料を配置することで荷電粒子の流れを改善させること、そして誘電体の材料の一部を動かせるように設計することで、○○装置の動作中に荷電粒子の流れを変更することができる、ということだ。
「先ほど同意いただいたように、誘電体の材料を配置して荷電粒子の流れを改善することまでは従来技術にあるので、誘電体の材料が動くようにするための構造を請求項にする、ということで明細書の案文を起案します」
 従来にない新しい技術でなければ特許にはならない。そのためには、従来の技術にはない新しい部分を明確に特許出願の書類の中で説明しなければならない。そして、その新しい技術は何か、ということをモデル化する。つまり、請求項の中で言葉で定義するのだ。他者に利用を禁止する技術は、〇〇装置の中で誘電体の材料を配置するということではなく、誘電体の材料の一部を動かせる構造がある、ということだ。他者は、従来通りに○○装置の中に誘電体の材料を配置することは禁止されない。
 審査を経て特許になった請求項に書かれた技術は許可なく使用することができなくなる。請求項はいわば禁止事項を定める法律の条文のようなものだ。
「お願いした追加図面をいただければ、明細書の案文の作成を始められます」
 本件の明細書の構想はできたし、発明者の佐川さんと知的財産部の君島さんの合意も得られた。本日の打ち合わせはこれにて終了だ。

 だが、ちょっと気にあることがある。空間内に理想的な荷電粒子の流れを作るために、空間内に効果的に誘電体を配置するというのは電磁気学の理論に基づけば合理的な方策だ。ただ、荷電粒子の流れを制御する方策は他にもあり得るのではないか。そんな素朴な疑問が頭をよぎった。
「ちなみに、本件とは直接的には関係ないのですが、空間内の荷電粒子の流れを制御するための方策として、誘電体を使う以外の方法は検討されていますか?」
 気になることは聞いてみたい。第一線で研究開発している佐川さんはアイディアが豊富だ。説明も理路整然としていて分かりやすい。誘電体の動作についての技術説明はとても分かりやすかった。佐川さんなら他にもアイディアを持っていそうな気がするのだ。
「競合他社も当社も基本的には誘電体をいかに効果的に配置するかによって理想的な荷電粒子の流れを形成する、という方向で○○装置の開発は進んでいます。ただ、単なる思い付きなんですけど、ローレンツ力を使って荷電粒子の流れ制御する方法も理論的にはあり得るかと思ったことはありますね」
 体温が上昇するのを感じた。心拍数が上がる。ああ、この瞬間だ。新しいアイディアに出会えると知的好奇心をくすぐられる。だから弁理士の仕事は面白い。
「なるほど、ローレンツ力ですか。誘電体ではなく電磁石を使うわけですね。確かに電磁石に流す電流の向きや強弱をコントロールすることで空間内での磁場の大きさや向きをコントロールすることができますね。そうなると、荷電粒子は磁場からローレンツ力を受けることになるので、荷電粒子の流れを制御することができるのか」
 僕は佐川さんのアイディアに感心しながら、電磁気学に基づいた自分の理解を確認するように口に出してみた。
「そうなんですよ。電磁石を使った場合、誘電体を動かすよりも荷電粒子のコントロールをより素早く精密にできるんじゃなかともと思うんですよね」
 理系の(さが)か、技術の話となると佐川さんも前のめりになってくる。
「佐川さん。ちょっとよく分からないけど、どういうことですか?」
 君島さんは僕と佐川さんのやりとりにきょとんとしているが、何やら面白そうな展開だと感じている様子だ。
「あくまでも理論的には可能性がある、ということなんですけど、誘電体の代わりに空間内に電磁石をいくつか配置して、それらの電磁石の電流を個別にコントロールするということなんです。電磁石により空間内に磁場を発生させると、その磁場により荷電粒子が力を受けるので、荷電粒子の流れを制御することも可能なはずなのです。電磁石の数や配置にもよるとは思いますが、誘電体を配置するよりもの荷電粒子の制御をより精密に行うことができるかと思っているのです。今後、技術がより進んでいくとより精密な荷電粒子の制御が必要になってくるかもしれないので、将来的にはあり得るかもしれないと思っています」
 佐川さんの説明は分かりやすい。相手の立場や理解レベルに合わせて説明してくれる。
「それは面白そうですね。他社の特許文献を見た限りだと、○○装置の荷電粒子の制御に電磁石を使ったものは記憶に無いです。特許出願の価値もありそうです。佐川さん、どうですか。当社や他社が実施するための具体的な試験・研究を行う前の段階だと思いますので、今のうちに出願して特許を取得しておけば将来的に優位に立てます。具体的な試作機や詳細な設計案は無くてもいいので、特許出願のために、理論的な側面だけでも電磁石を用いる方法を検討して欲しいです」
 知財部の君島さんは他社の特許出願を非常によく監視している。君島さんの目利き力はA社の中でもずば抜けている。
「電磁石の数や配置、電流の制御について具体的な案はまだなくて、というよりどんな配置がいいのか僕には分からなくて。コンピュータシミュレーションを行うことである程度の方向性は見えてくるかもしれません。僕は装置の機械的な設計が専門でコンピュータシミュレーションはできないので、誰か協力してくれたらもう少し具体的な検討ができるかもしれません。久保田君なら協力してくれるかも」
「なるほど、久保田さんは特許に積極的ですからね。久保田さんには私からも協力をお願いしておきます。まだ他社がやっていないことなら早めに出願したいですね。私の方では従来技術の調査をしておきます」
 やるとなると君島さんの仕切りは実に素早い。研究者たちからも信頼されているのがよく分かる。僕も君島さんとは仕事がしやすい。
「野々宮先生、さすがですね。電磁石の方も社内で検討するので、また出願をお願いすることになると思います。もしかしたら、電磁石を使った荷電粒子の流れ制御のアイディア出しの会議にアドバイザーとして出席をお願いするかもしれせん」


 まだ午後3時ということもあり、帰りの電車は席に余裕があり座ることができた。電車に揺られながら僕は先ほどのA社でのやり取りを思い出していた。発明者の佐川さん、知財部の君島さん、ハラダ事務所の弁理士である僕。三者がそれぞれの役割を果たし、特許出願が行われていく。それぞれの歯車がしっかりとかみ合い、連動することで、一人では達成しえない大きな成果を生み出すことができる。A社の特許ポートフォリオを築いていくために、三者のうち誰も欠くことはできないという信頼関係がそこには存在している。今日の会議では次につながる新しいアイディアも生まれた。
 研究者からアイディアを引き出すのに必要なのは、最新の技術動向などの情報を知っておくことではない。必要なのは、基礎理論に基づいて他の可能性があることに気付くことや、新しいアイディアの可能性を理解して議論できる、という基礎力なのだ。最新の技術動向や業界動向はクライアント企業の研究者や知財部に聞けばよい。何ならネットでも情報は得られる。だが、技術を根本的なところから理解する基礎力は一朝一夕には身につかない。物理学の基礎理論をしっかりと身に着けることは、弁理士としての自分の武器になる。僕は弁理士として自分の努力の方向性が間違っていないことを確信した。
 今日の仕事はこれで終わりにしよう。事務所に帰ってからは、こまごまとした雑務や、完了した仕事の報告書を書くことくらいにして、ナカジュンとバズミサイルのライブに行こう。

 僕はイヤホンで耳を塞いでナカジュンに貸してもらったザ・バズミサイルの世界に入り込んだ。僕はもう走り出している。自分で考え、自分で決めた道を自分の足で走っている。今はどんなことでも肯定的に捉えることができるような気がする。部活を途中で投げ出したことも、勇気がなくて本当のことを言えなかったことも、研究発表の直前で怖くなって逃げ出したことも。自分に無いものは無い。できないことはできない。でも、できる事がある。できるようになったこともある。電車の音に混じりながらザ・バズミサイルの叫びが僕の血液の中に溶け込んでいく。

(つづく)
2022.3.27



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