第3話 熊倉亜美との一瞬の遭遇

文字数 1,328文字

 (三) 熊倉亜美との一瞬の遭遇
 血糖値が下がってきているようだ。思考力が落ちてきている。午後4時を回っていた。
 特許庁による審査をクリアしないと特許権は認められない。従来にない新しい技術であり、さらに従来の技術から容易には到達できない技術でなければ特許は認められない。
 特許出願中の技術について、従来技術から容易に考えつくものではないかという特許庁の意見(拒絶理由通知書)が来ている。特許庁が提示してきた従来技術の文献を読み込み、対応策を考えていたところだ。
 集中して仕事をしていると空腹を感じにくい。僕はお腹は空いていなかったが、集中力の低下を感じたので糖分補給をすることにした。ハラダ事務所には休憩用のフリースペースがあり、お菓子が常備されている。定期的にお菓子を補充してくれるサービスを利用しているのだ。
 フリースペースに行くと亜美さん達が出ていくところだった。やはり亜美さんは一人でいることは少ない。フリーススペースから出ていく亜美さんと目が合った。なにか意味ありげなものを感じた。そういえば、亜美さんは僕とランチに行ったことが知られると女性陣に怒られると言っていた。亜美さんの言葉を信じるならば、亜美さんは僕と二人でランチに行ったことは誰にも話していないのだろう。僕も誰にも話していない。さっきのは秘密を共有する二人のアイコンタクトだったのか。また一緒にランチに行きましょうね、ということだろうか。
 我ながら都合のいい妄想に呆れてしまう。こんな呆れるような妄想をしてしまうのも『熊倉場』の影響だろうか。しかし、亜美さんは既にフリースペースから立ち去っているから、理論的にはここに『熊倉場』は存在しないはずだ。もしや、『熊倉場』は航跡場(こうせきば)をも励起するのか。一瞬の遭遇により時間的に圧縮された超強力な『熊倉場』が航跡場を励起して、僕はフリースペースに残された航跡場に影響を受けている、と考えられなくもない。
 僕は、チョコレート菓子を食べながら、ジェームスのことを考えた。アメリカ人の先生が亜美さんにわざと負けることを要求してくるとは。アメリカ人は安易に他人に同調することは嫌いでい、教育としても、自分の考えを主張することや、堂々としていることを求める文化だと思っていた。わざと負けてその場を丸く収めようなんて、むしろ日本人っぽい発想な気がする。クレームを受けたらとりあえず謝罪しておけ、という日本的な感じ。でも、アメリカ人だって色々か。アメリカ人かどうかではなく、単にジェームスはそういう先生だったというだけの話だろう。
 それは亜美さんにしても同じだ。亜美さんは明るくて美人で皆に人気があり、いわゆる一軍女子で、と思っていた。もちろん、その通りのところもあるのだけど、それだけではない。亜美さんは亜美さんとして生まれ、亜美さんだけの経験があり、それらが亜美さんを形作っている。僕はカテゴライズされていない亜美さんと向き合いたい。
 僕はまだ亜美さんに聞きたいことがある。この前のランチでは、空気を読んでしまって自分の意見を言いにくい、ということは分かったが、モヤモヤの正体をつかめなかった。亜美さんのモヤモヤとはどんな感情なのか、なぜモヤモヤするのか。
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