第2話

文字数 1,902文字

【大団円団】
 極太の勇ましい書体で看板を掲げているのに、その建物自体は裏の裏の裏の……とにかく裏路地の一番奥まで潜っていかないとたどり着けない場所にあった。
 人通りはなく、たまに黒猫の影だけを目の端でとらえる程度だった。この世の終わりのようなデッドスペース。大団円の文字がまるでふさわしくない。
 しかし、今の僕にはお似合いである。年末最後の駈けこみの仕事を期待したのだが、ウイルスはどこまでもしつこく人同士の接触を禁じた。片手だけアイドルの手に変化させ、もう片方の自分の手を握ってみたりした。ただただ孤独が増した。
 収入0のまま、大晦日である。大団円団は年中無休とチラシの片隅に小さく書いてあったのを信じ、こうしてやってきた。ため息さえ白く、身も心も懐も寒い。もう限界だ。なにもかも終わりにしてほしかった。
 年季の入った扉をそっと押す。予想より重い。僕はぐっと力をこめ、無意識にレスラーの手に変化させていた。腕力自体は変わらないのに。我ながらおかしな職業病だ。
 扉が軋みながらゆっくりと開かれる。中に入ると、意外なほど暖かい。大仰なテーブルが中央にどんと一つあり、そこの端と端とにそれぞれ男性と女性が座っていた。
 男性はすぐさま僕に気づき「やあ、いらっしゃい」と大げさに身振り手振りを加えて、歓迎の意を示してくれた。女性はなにやら手持ちの書物に夢中なようで、一切顔を上げない。
「ようこそ、大団円団へ! さあ、なにを終わらせようか?」
 ニッコリと微笑む男性は白髪混じりではあるが、内側からなんとも言えぬ若々しさが放たれていた。細身の古風なスーツが板についている。年齢は読めない。
「おい、クレ! お客さんが来ているんだから読書を中断したまえ」
 クレと呼ばれた女性は難しい顔をしながら、ようやく目線を上げた。分厚い辞書のような書物を置き、「うるさいな、ノセは」とぼやく。ノセというのが男性の名前らしい。
「こんな年末に来るってことは、よっぽどの大物なんでしょうね?」
 値踏みするようにクレは見つめてきて、僕はたじろいだ。ノセも「そりゃあそうだろう! 大事件に違いないぞ」と煽ってくる。謎の期待をかけられているようで恐ろしい。
「さあ、なにを終わらせようか?」
「あの……ぼ、僕の、僕の人生を終わらせてほしいんですっ」
 声が震えてしまわないよう注意した。なにせ人生を、命をかけた依頼だ。どう考えても大物で大事件だろう。こんなときでありながら、僕はどこか挑戦的な姿勢になっていた。
 しかし、予想に反して2人の落胆ぶりと言ったらなかった。ノセは肩をすくめ口をひん曲げて笑うし、クレはため息をついたあと読書へと戻っていった。
「いやいやいや! 僕の人生を依頼してるんですよ! そんな薄情なリアクションないでしょう!」
「あのねえ、君。われわれを自殺サークルかなにかと勘違いしてるんじゃないか? 君、チラシ見たんだろう? あれにはなんと書いてあった?」
 急に問われ頭が真っ白になったが、脳をフル回転させて記憶を呼びもどした。
「ええと……どんなことでも終わらせてみせます?」
「正解! しかし惜しい! 大事なのはその前! 美味しいものは先に食べるだろう?」
「私は最後だけどー」
「あ、僕もです」
「君たち、そこはそうですねって言ってくれないと先に進まないだろう? とにかく大事なのはその前! 世の中のすべてをハッピーエンドに! これだよこれ!」
 ノセはその場でターンした。まるでミュージカルのノリである。
「しかもね、ここの名前はなんだい? 大団円団だよ! すべてをまるく収める意味がこめられてるんだよ! そんなハッピーなわれわれに人生を終わらせろだなんて失礼極まりない」
 普通は慰められたり励まされたりする身分だと思うのだが。なぜかノセの機嫌を損ねてしまったようで僕は居心地が悪かった。
「じゃあ逆になにを終わらせられるんです?」 
「君が言ったこと以外ならすべてだ。われわれはハッピーエンドしか望まない。大団円に持ちこめるものならすべてだ。が、しかし命だけはいけない。人生を終わらせさえしなければ、必ず幸せな結末を約束しよう!」
 なんだか宗教みたいだ。こんな得体の知れない奴らを信じる余地なんて、平常時ならば持ちあわせていないのだが、今は違う。縋れるのならば、藁でもホラでも縋ってしまう。人間はなんと弱い生き物だろう。
「それなら……僕の不幸をなんとかしてください。今年の収入は0です。来年もこのままじゃ変わりません。ハッピーエンドにしてくださいよ!」
 ノセは不敵に笑い、クレも再び本から顔を上げた。
「よろしい。詳しく話を聞かせてもらおう!」
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