第3話
文字数 1,635文字
「ははあ……シェイクハンドプレイヤー。なかなかどうして珍奇な仕事だねえ」
ノセは目を細めてふむふむうなずいているが、どことなく馬鹿にされているような気がする。珍奇さで言えば、お互い様だと思うのだが。
ノセに反して、クレは大いに興味を持ってくれたようだ。読書を中断し、ひたすら僕にリクエストをしてくる。「アイドルの土野小波ちゃん」「ハリウッドスターのケアレ・スミス」「作家の豊後先生」と次々要望しては握手を交わし、きゃあきゃあ黄色い声を上げている。クールな性格と思いきや、意外とミーハーな一面もあるようだ。
「あなた、すごい。この枯れて骨ばった手、まさに豊後先生だわ」
「クレ、君は豊後先生の手を見たことがあるのかい?」
「写真でならあるわ。でも間違いない。私にはわかる。これは間違いなく豊後先生!」
クレは目を輝かせて僕の右手を包みこんできたが、ノセはあきれている。不思議なものだが、自分が触れたいと強い思いを抱いている相手なら、人は疑いなくその手を握るのだ。
つまりは詐欺まがいのことも容易くできてしまう能力なのだが、不正はしないと自分を戒めていた。触れるということは、希望だ。つかむということは、握るということは、その人にとって未来なのだ。
「ノセもリクエストしたらいいのに」
「ふん。気持ちだけいただいておくよ」
「ノセは世情に疎いからね」
「なにを! 時代の動きなどすべて把握しているとも!」
ノセは偉そうにふんぞり返り、僕をにらみつけた。
「で、こんな世の中だから、その珍奇な商売も続けていけないと」
「そ、そうです。距離を置かなきゃいけない時代に、握手なんてとんでもないという状況で」
「私は気にしないけどな」
クレは豊後先生の手がお気に召したらしく、無邪気に触ってくる。僕自身、人の手に触れるのが久しぶりすぎて、なんだか背中のあたりがぞわぞわしてしまう。
「ならば終わらせよう!」
「え。この状況を終わらせられるんですか?」
「ノンノン。君の商売を終わらせよう! そちらのほうが話は早い! 単純明快!」
ノセは軽快なステップを踏む。踏むたび掃除が行きとどいていないのか埃が舞う。床もぎしぎしと不安な音を立てた。
「ちょっと待ってください! それじゃここに来た意味ないじゃないですか!」
「しかし今の商売だから収入が0だと。0だから君は苦しい。来年もどうなるかわからない。だったら見込みのない今の商売を終わらせるのが一番正しいじゃないか!」
「それはそうなんですけど……でも、僕はこの仕事を誇りに思っていて。僕にしかできない仕事だと……」
「果たして本当にそうかな?」
ノセの真っ直ぐな視線に僕はたじろいだ。その動揺で僕の手は豊後先生から元に戻り、クレは「あ、豊後先生!」と別れを嘆いた。
「自分の胸に、自分の手を置いて考えてみるといい。本当に、君はそう思っているのかね?」
僕の手。なんの変哲もない、僕の手。胸にその手を当てた。「素直」とクレが揶揄したが、僕はノセの言葉をしっかりと考えた。
僕にしかできない仕事。本当にそうだろうか?
これは自分にしかできない仕事だ、ここは自分にしか務められないポジションだ。
そう思っている大半が、実は退いたところで代わりがいるのを知っている。認めたくないから虚勢を張る。打ちのめされたくないから意地になる。そして視野が狭くなる。もっと広い世界や多くの選択肢があることに気づけなくなる。
仕事なんて、そんなものかもしれない。
特に今年に入って、いろいろな業界が下火になるのを目の当たりにしてきた。行きつけだったラーメン屋が閉店したり、大手企業の希望退職のニュースを連日見たり、会社員の友人たちも給料が減った、ボーナスがなくなったと肩を落としていた。
皆、実は不安定なのだ。僕だけじゃない。自分だけが特別じゃないと知るのは、寂しい反面、時に救われることもあるのかもしれない。
僕は僕の両の手をじっと見つめた。もう長いこと、この両手を求めてくれる人と出会っていない。
ノセは目を細めてふむふむうなずいているが、どことなく馬鹿にされているような気がする。珍奇さで言えば、お互い様だと思うのだが。
ノセに反して、クレは大いに興味を持ってくれたようだ。読書を中断し、ひたすら僕にリクエストをしてくる。「アイドルの土野小波ちゃん」「ハリウッドスターのケアレ・スミス」「作家の豊後先生」と次々要望しては握手を交わし、きゃあきゃあ黄色い声を上げている。クールな性格と思いきや、意外とミーハーな一面もあるようだ。
「あなた、すごい。この枯れて骨ばった手、まさに豊後先生だわ」
「クレ、君は豊後先生の手を見たことがあるのかい?」
「写真でならあるわ。でも間違いない。私にはわかる。これは間違いなく豊後先生!」
クレは目を輝かせて僕の右手を包みこんできたが、ノセはあきれている。不思議なものだが、自分が触れたいと強い思いを抱いている相手なら、人は疑いなくその手を握るのだ。
つまりは詐欺まがいのことも容易くできてしまう能力なのだが、不正はしないと自分を戒めていた。触れるということは、希望だ。つかむということは、握るということは、その人にとって未来なのだ。
「ノセもリクエストしたらいいのに」
「ふん。気持ちだけいただいておくよ」
「ノセは世情に疎いからね」
「なにを! 時代の動きなどすべて把握しているとも!」
ノセは偉そうにふんぞり返り、僕をにらみつけた。
「で、こんな世の中だから、その珍奇な商売も続けていけないと」
「そ、そうです。距離を置かなきゃいけない時代に、握手なんてとんでもないという状況で」
「私は気にしないけどな」
クレは豊後先生の手がお気に召したらしく、無邪気に触ってくる。僕自身、人の手に触れるのが久しぶりすぎて、なんだか背中のあたりがぞわぞわしてしまう。
「ならば終わらせよう!」
「え。この状況を終わらせられるんですか?」
「ノンノン。君の商売を終わらせよう! そちらのほうが話は早い! 単純明快!」
ノセは軽快なステップを踏む。踏むたび掃除が行きとどいていないのか埃が舞う。床もぎしぎしと不安な音を立てた。
「ちょっと待ってください! それじゃここに来た意味ないじゃないですか!」
「しかし今の商売だから収入が0だと。0だから君は苦しい。来年もどうなるかわからない。だったら見込みのない今の商売を終わらせるのが一番正しいじゃないか!」
「それはそうなんですけど……でも、僕はこの仕事を誇りに思っていて。僕にしかできない仕事だと……」
「果たして本当にそうかな?」
ノセの真っ直ぐな視線に僕はたじろいだ。その動揺で僕の手は豊後先生から元に戻り、クレは「あ、豊後先生!」と別れを嘆いた。
「自分の胸に、自分の手を置いて考えてみるといい。本当に、君はそう思っているのかね?」
僕の手。なんの変哲もない、僕の手。胸にその手を当てた。「素直」とクレが揶揄したが、僕はノセの言葉をしっかりと考えた。
僕にしかできない仕事。本当にそうだろうか?
これは自分にしかできない仕事だ、ここは自分にしか務められないポジションだ。
そう思っている大半が、実は退いたところで代わりがいるのを知っている。認めたくないから虚勢を張る。打ちのめされたくないから意地になる。そして視野が狭くなる。もっと広い世界や多くの選択肢があることに気づけなくなる。
仕事なんて、そんなものかもしれない。
特に今年に入って、いろいろな業界が下火になるのを目の当たりにしてきた。行きつけだったラーメン屋が閉店したり、大手企業の希望退職のニュースを連日見たり、会社員の友人たちも給料が減った、ボーナスがなくなったと肩を落としていた。
皆、実は不安定なのだ。僕だけじゃない。自分だけが特別じゃないと知るのは、寂しい反面、時に救われることもあるのかもしれない。
僕は僕の両の手をじっと見つめた。もう長いこと、この両手を求めてくれる人と出会っていない。