第35話:沖縄旅行と再び、令二が体調不良

文字数 1,701文字

 それを抜けて、ぐるっと回るとユータンしたような形で332号線から331号線に入り、ゆいれーる沿いに走り、おもろまちに着き、レンタカーを返してきて、午後18時にホテルの戻った。そして、ホテルのデスクにゴールドディスクという、オールデイズ・パブのパンフレットが入っていて、割引券が着いていたので、もらって来た。そして20時45分に、タクシーを呼んでおいてフロントの人にお願いした。

 部屋で一休みして、19時に夕飯を食べに、おもろまちの繁華街に行き、ステーキを食べてきた。その後、ホテル入り、タクシーが来ましたと部屋の電話に連絡が入り、井方夫妻がタクシーに乗って10分足らずで,ゴールドディスクについた。割引チケット渡すと、飲み物とつまみセットを持ってきた。21時に第一回ステージが始まり1960年代のアメリカンロックのメロディーが流れはじめた。ポニーテールで派手な衣装の女の子と、リーゼントをビシッと決めた男が大きいマイクをもって登場した。

そして懐かしい曲を次々と歌い、リズムに合わせて女の子が踊る、お決まりのシーンが再現された。井方夫妻が、感激して、ショーを見入っていた。10時からの第二ステージを見終わり、眠くなったので、フロントで精算してタクシーでホテルに帰った。翌朝10時に起きて、モノレールで那覇空港について、12時過ぎの飛行機で羽田に15時前に到着し、横浜の家にに帰った。

 2016年7月に入り、梅雨と高温の日々が続き、令二の食欲が落ちてきて、少量しか食べられなくなり、体調不良を訴えたので、近くの大病院にかかるり、精密検査のために7日間の入院を宣告されて、胃、小腸、大腸、加増、膵臓、肺、心臓、腎臓、頭部を調べてもらった結果、膵臓に癌があるかも知れないと言われ、組織培養して、膵臓癌が発見されたと報告された。そのため点滴栄養で、食事の取れない分の栄養を補給した。

しかし,元気が戻ることもなく、7月が過ぎ8月を迎えた。そしてお盆を過ぎた頃には、あばら骨が浮き出てきて、顔はやつれて、苦しそうな表情になった。奥さんの富子さんは,毎日、病室に通い、疲れ切った顔になり、8月から、井方夫妻と1日交代で、病室を見舞った。そして8月17日、井方善継が呼ばれて、膵臓癌は、もう既に手術できないので、秋まで持たないかも知れないと宣告された。その宣告通り8月31日の深夜、令二は、井方夫妻と奥さんの富子さんに、見守られながら,息を引き取った。

 富子さんは、令二の遺骸に、とりすがり、号泣した。そして、あまりにも、短い結婚生活だったと、なげく声を聞くと、桂子さんが聞くも,涙が止まらなくなった。そして、朝があけてきた。一度病室から出て、井方夫妻が病院のコンビニで,おにぎりとパンと飲み物を買ってきた。そして、富子さんに,落ち着いたら食べてと、おにぎりと飲み物をテーブルの上に置いた。その後、善継が、そろそろ、葬儀の手続きをとろうかと言い、葬儀社を調べて、電話をし始めた。

そして、9月5日以降でないと、あいてないと言われ、9月5日、11時から家族葬を開いてもらう事にして、棺と冷却剤を用意して、みなとみらいのMタワーへ来て下さいとお願いした。そして、令二の遺体を冷却剤の入った棺に入れて、病院を後にして、Mタワーの令二のマンションの部屋に入った。その後、9月5日、葬儀場へ行き,荼毘にふされた。その後、葬儀社の車で、八王子の井方一族の眠る墓に葬られた。奥さんも看病疲れと暑さで体調不良になって、入院した。

 井方夫妻が,毎日、見舞いに言っても、あまり話すことはなく、もっと早く、令二さんと出会いたかったと、繰り返しているのを聞いて、桂子さんは、何て可愛い人なんでしょうと涙ぐんだ。そして5日間の入院で体調が回復した。しかし、口数が少なくなり、暗い感じになった。そして、みなとみらいに帰って1週間が過ぎた頃、富子さんが善継に、令二さんとの楽しい日々がつまった、あの部屋にいるのが耐えられなくなったと言い、私は、ここを出て行く決心をしたと9月8日告げ、賃貸契約を解消して下さいと言った。了解したと,善継が答えた。
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