第20話:豪ドル買い、旅行と父の死

文字数 1,576文字

 そこで、現在、投資資金はいくらかと聞くと2億円位と言うので、よくやったと言い、それだけの金額なら為替取引の方良いと言い、その中でも豪ドル円投資が良いと奨めた。売買の時に電話入れようかと言うと是非、お願いと言われ、息子の携帯電話番号を聞いた。そして電話したら言う言った通りにしろと伝えた。そのまま、2008年が終わり、2009年を迎えた。

 そして2009年2月2日に長男の博和に豪ドル買いを指示し、午後16時頃に、井方令二に電話して3135万円で豪ドルを買うように指示すると1豪ドル57円で買え、55万豪ドルになり残金が3865万円となった。善継も9400万円で165万豪ドルを買い残金が2.5億円になった。そして、指示するまで、そのままにしておくように井方令二に指示した。その年の夏は、数年ぶりに、善継が夫婦でで北海道旅行を企画した。
7月28日の朝7時に家を出て、羽田10時半発の函館空港行きの飛行機に乗り、13時に函館空港に着いた。

そして、函館に3泊、小樽に3泊、札幌に3泊して、レンタカーを借りて、ドライブを楽しもうと考えた。函館に着いて、タクシーで湯の川温泉のホテルにチェックインして、早速、温泉に入り、ゆっくりし、夕食も宿で食べた。翌日は、10時に、レンタカーを借りて、トラピスチヌ修道院見学に出かけた。きれいな建物と整備された庭園が印象的だった。散策して多くの写真を撮った。その後、五稜郭タワーを見に、五稜郭に向かった。

 もちろん五稜郭タワーにのぼり、遠くの景色を眺めた。この景色も素晴らしく、多くの写真を撮った。その後、その城の周りを散策したが、汗が書いたので、涼しい室内に入り、昼食をとった。その後、函館倉庫街に移動して、海辺の道を散策した。その後、青函連絡船記念館を見学し、その近くの函館朝市を見て歩き、酒のつまみになりそうな物を買い込んだ。その後、函館駅の周辺を散策して、16時過ぎにホテルに帰った。
翌日は、朝早く起きて、車で大沼公園へ向かった。そして大沼の遊覧船に乗って、駒ヶ岳の美しい景色を眺めた。その後、湖の周りの公園を散策して、昼食時間となり、旨そうなレストランを捜して入った。車を走らせていると函館大沼プリンスホテルを見つけて、一休みして、珈琲とケーキセットを食べて、周りを散策した。するとプリンスパン工房の店が目に入り、旨そうなパンをさがして、明日の朝食用に買った。

 そうして、夕方16時過ぎにホテルに戻って、温泉に入り、仮眠して、夜18時にホテルを出て車で、函館山に向かって、頂上に着いた。そして、屋上から、函館の町を見ると、以前絵はがきで見た景色と同じ景色が実際に見えて感激した。もちろん多くの写真をとって、ホテルに戻ると21時になっていて、少しお腹が空いたので、残っていた、パンにジャムを付けて食べた。その後、温泉に入って、床についた。

 2010年1月27日に早朝、母の井方律子が、お父さんが冷たくなっていると言い、飛んできた。善継が行き、脈を測ると、脈が触れず、亡くなっていることがわかった。そこで、警察と近くの病院に電話をした。すぐに警察官が来て、床で寝ていた、父の姿を見て、失礼しますと行って脈の触れてないのを確認し、確かになくなっていますねと良い帰って言った。その後、病院の若い先生が車で来て、ご臨終ですと言った。

 死亡診断書は今日中には書いておきますので、病院の受付か、時間外は守衛さんに渡しておきますから、取りに来て下さいと言ってくれた、死因を聞くと急性心不全と言った。それをじっと見ていた母の律子さんは、最初は、慌てていたが、次第に、ぼーっとして、お父さんが死んじゃったと繰り返す言うようになった。そのため、午前中に病院に行き、内科外来を受診させると、強いショックで、痴呆症状が出たのかも知れません。
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