第9話 エピローグ

文字数 1,072文字

 エピローグ

 風が花びらを散らしていた。
「もう桜も終わりやな」
 私は葉桜になったソメイヨシノを見ながら言った。
「おおそうや、お前、知らんかったやろ?」
 それまで缶コーヒーを旨そうに飲んでいた足立君が言った。
「何を?」
「ヨシゾウやがな」
「ヨシゾウの何?」
 私は足立君の方を見る。彼もじっと桜を見ていた。
「ああ、あの空き地のことや」
 足立君は正面を向いたまま言った。その鬢の白くなった毛が、揉み上げに貼り付いている。
 自分たちの今居る公園の北側、ソメイヨシノの向こうには大きなタワーマンションが聳え立つ。私がガードマンに追い払われたあのビルも、すでに取り壊されてその跡地には、青い硝子の塔みたいなマンションが建っている。
 私は、ああ、と思った。足立君は桜並木を見ているのではない。その向こうの巨大な塔を見ていたのだ。
「あの空き地か……」
「ほかにも何か所かまだ空き地があったんやけど、お前はあの空き地しか行ったことなかったやろ?」
「ああ、うん」
「俺はほかの空き地もよう行った。けどな、ほかの空き地は遊べたもんやなかったんや」
「入られへんかったんか?」
「いいや、入れた。けどな、ゴミだらけや。瓶やとか缶やとか、ほかにも粗大ゴミとか捨てに来たり、犬の散歩させてその糞とか後始末もせえへんしな、みんなやりたい放題やったんや」
「なんであの空き地は?」
「あれな、俺は見たんや。ヨシゾウが一人で掃除してたんや」 
 私はそんなこと知らなかった。子供たちが、硝子の破片やゴミで怪我をしないように、片足を引き摺りながらコツコツとそれらを拾うヨシゾウの姿が想像できる。もしかしたら、あの夏の日、照り付ける日射しの中でヨシゾウは、ハンチングを被った男から、子供たちを守ろうとしていたのではなかったか。蹴られて、血を吐いて、それでも私にやさしい眼差しを向けながらヨシゾウは静かに去って行った。

「さてそろそろ帰ろか。孫にアイス買うて帰ってって言われてるんや」
 そう言いながら足立君はにっこり笑い、そしてゆっくりと立ち上がった。
 私たちは公園を出たところでもう一度青いタワーマンションを見上げた。
 その時、エントランスの自動ドアが開き、一組の若いカップルが通りに出て来るのが見えた。二人は仲良さそうに寄り添いながら、お互い手を取り合っている。幸せそうな二人の笑い声が耳に届いた。
              
                         
                              終わり  
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