第6話 不思議なステッキ

文字数 1,640文字

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 それから数日後。
 その日は、一学期最後の日。終業式で学校は午前中で終わりとなった。明日からいよいよ待ちに待った夏休みが始まる。背中には大きなランドセルを背負い、手には図工道具や習字道具、それに一学期の間に作った作品の数々、そのようなたくさんの荷物を抱えて学校を出る。でもそれは私だけではなく、ほとんどの児童がみな同じような大荷物を抱えて家路を急いでいた。
 総合病院の前を通り過ぎ、高等学校の脇を抜け、例の空き地の前までやって来た時のこと。十人ぐらいの私と同じ学校帰りの子供たちが、空き地の角で一人の男の周りに集まっていた。一体何をしているのか? 私も足を止めて近付く。
 男は空き地の住人には見えなかった。背広こそ着ていなかったが、白のハンチングを被り、やはり白く清潔そうな開襟シャツにグレーのズボン、革の靴を履いていた。そしてその手には硬貨よりも少し大きなメダル状の物を持っている。
 よく見るとそのメダルには細長い指揮棒みたいな物が付いていて、男がその棒をさっと振りかざし、誰かの体の一部に棒の先端が触れた途端、さっきまで何も付いていなかったメダルに百円玉が載っている。突然現れた百円玉に、子供たちの歓声が上がった。
 手品だった。男は何度もその棒を振った。その度にメダルの上に百円玉が現れた。私は初めて目の前で見たそのマジックに驚き、まるで魔法を見ているような気がした。
「さあて、この不思議な、なんぼでもお金が出てくるステッキ、ほしい子はおるかな?」
 男は集まった子供たちをぐるりと見まわし、得意そうに言った。
「ほしい!」
「ほしい!」
 皆が声をそろえて言う。
「ほしいか。けど、おっちゃんも商売やからタダちゅうわけにはいかへんよ」
「なんぼ? なあおっちゃん、なんぼすんのん?」
「五百円、と言いたいところやけどみんなええ子やから、一つ百円にしとこか」
 ――百円! 当時の私からすれば大金だ。
「安いやろ? この魔法のステッキ一つあったら百円玉何枚でも出て来るんやからな」
 皆が顔を見合わす。しかしこの辺は、真法院、北山など、大阪でも帝塚山と並ぶ高級住宅街で、住人たちも裕福な家庭が多い。当然子供たちもいわゆる、大阪弁で言うところの『ええ氏』の子供たちばかりだった。だから百円ぐらい毎日貰う小遣い程度の金額だ。ちなみにその時の私のお小遣いは一日十円から二十円だった。
 すぐにその中の一人が「じゃあ」と言って百円玉をポケットから出した。
「おお、よっしゃ、毎度おおきに」
 男がにこにこしながらその針金棒を渡すと、皆が、僕も、私も、と次々に百円とそのメダル棒を交換し出した。しかし私にそんな大金はない。 
「おっちゃん、僕、今そんなお金持ってないわ」
 私は男の目を見ずに言った。
「ボク、なんぼ持ってる?」
「これ」
 私はポケットから二枚の銅貨を取り出して見せる。それは後で駄菓子屋に行くために持って来たお金だった。
「は、そらあかん、話にならんわ」
「ほんなら家から取って来る。家にはあるから」
 家の貯金箱にはこつこつ貯めたお金があった。
「そうか。ほんならなるべく早よ持っておいで。暑いからあんまり長いことおらへんで」
「わかった」
 そう言って私は家に向かって駆け出した。家に帰るや、ランドセルと荷物を放り出し、貯金箱の中から十円玉を八枚掴んでまた靴を履いた。
「これあんた、昼ご飯やで、どこ行くんや」
 母が声を掛けるが、私はそれには答えず、全速力で再び空き地へと向かった。
 上り坂の頂上に向かって、真夏の太陽に焼かれた道路から陽炎がゆらゆらと立ち昇っていた。 
 しかしそんな暑さも忘れて私はひたすら来た道を戻る。向こうに空き地の黒い焼き板が見える。
 と、その時、照り付ける日射しの中で、白と黒の対照的な二人の人間が対峙している様子が遠目に見えた。一人は先ほどのマジックの男で、そしてもう一人は、なんとヒゲボウボウだった。
                                   続く
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