第4話 ヒゲボウボウ

文字数 1,860文字

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 高度経済成長も後半に入ると、その勢いに陰りが見え出した。
 空き地はたくさんあったが、その多くはすぐに建設が始まることはなく、半年や一年、長いものでは三、四年ぐらいは空き地のままずっと放置されていた。だから、大人たちにとっては好まざる輩もけっこう住み着いたりして、度々問題になっていた。
 その連中について、大人たちは皆、眉をひそめて「ルンペン」などと言う。今で言うホームレスたちだ。彼らは、管理者が来ないことをいいことに、いつの間にか粗末な板とシートで小屋を造り、火を起こし、煮炊きしてその空き地にすっかり住み着いてしまっていた。
 小屋の数は日増しに増え、それはまるで小さな貧民窟のようになっていた。
 当然大人たちは、子供にそこへ行ってはいけないと言う。しかし道路では危なくて遊べないので、子供たちの安全な遊び場はそんなに多くなかった。だから行くなと言われても、自然とそこへ集まって来る。
 やがて成り行きで私たちとホームレスとの間で縄張り争いのような日々が始まった。しかしホームレスもいろいろな人がいた。私たちが空き地に入ると、頭ごなしに出て行けと怒鳴るオッサンもいれば、何も言わずにただ子供たちをじっと見ている人や、中には女性のホームレスもいて、もういい年のお婆さんであったが、怒らずにやさしく声を掛けてくれたりもした。みんながみんな子供を敵視しているわけではなかった。
 その中で一人、今でも強く印象に残っている人がいる。ぼろぼろの服を纏い、頭に薄汚れたタオルの鉢巻きを巻いて、いつも酔っぱらっている。顔も真っ黒、白髪交じりのヒゲをぼうぼうに生やしている。そして足が悪いらしく、いつも杖をついてひょこひょこと歩いていた。
 もちろん名前は知らないので、私たちはそのオッサンのことを見たままに、ヒゲボウボウと名付けて恐れていた。ヒゲボウボウは、私たちを見つけるといつも大声で怒鳴り散らし、杖を振り上げ、とにかく空き地から追い出そうとした。
 でも私たちも負けてはいない。空き地は子供に取って貴重な遊び場だったので、ヒゲボウボウとはいつもちょっとした小競り合い、いや、戦争ごっこのようになっていた。煽るだけ煽って、足の悪いヒゲボウボウがひょこひょこ追いかけて来ると、皆、わーっと逃げ出すのである。まったく禄でもない悪ガキたちだった。

 それは夏休みに近い七月のある日のこと。教室の外から蝉しぐれに混じって笛や太鼓の音が小さく聞こえていた。生國魂神社(いくたまじんじゃ)の祭礼が行われている。谷町筋に沿って行列が大阪城まで練り歩くのだ。そして今夜は夏祭りの夜だ。夜店の屋台や、奇妙な見世物小屋などもやって来る。私も含めて子供たち皆が楽しみにしていた。 
 終業を知らせるチャイムが鳴る。
「起立!」
「礼」 
「ええかぁ、お前ら、いくたまさんには絶対に子供らだけで行くなよぉ」
 最後に担任が声を掛ける。夏休み前の授業は短縮だったので、祭りまでにはまだまだ時間があった。皆一度、家に帰ってお小遣いを持って、仲良しグループだけで再び集まるのだ。もちろん子供だけで。担任の言いつけは、女子は別にして男子たちは、きっとほとんど誰も守らない。
 集合場所は例の空き地であった。
 気の毒な掃除当番を残して、私たち仲良しグループは我先にと一斉に教室を飛び出した。校門を走り抜けて最初の角を曲がり、東を見れば、遥か青い空の下に濃緑の生駒山地が横たわり、街はビルも道路もその陰影をくっきりと浮かび上がらせていた。そんな暑い昼だった。
 私は一度家に戻り、母親からお小遣いをもらって、再び空き地を目指した。
 空き地にはすでにもう数人の友達が来ていた。小遣いはいくら持って来ただの、何を買いたいかだの、私たちはもうすっかり祭りムードになっている。十分も経たないうちにグループ六人全員集合となる。
「よーし、さあ行くか」
「おう」
 まだ祭りに行くのではない。声を掛けたのは、仲間うちでも一番成績の良いリーダー、足立君だ。誰がそう決めたわけでもないが、子供の社会と言うものは実力主義である。
 実は、この日、祭りの前に、大事な計画があった。夏休みを前にして、今日と言う今日は、いよいよヒゲボウボウとの全面戦争を想定していた。何としても長い休みの間の遊び場を制圧して子供たちの安寧を勝ち取らなければならない。 
 私たちは意気揚々と、例の秘密の通路の焼き板をめくり、次々と中に入る。
 はたして、ヒゲボウボウは居た。
                                   続く
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