第8話 サブロウ

文字数 1,250文字

  5
 
 後に私は母親からヨシゾウの話を聞いた。
「ああ、あの足の悪いおっちゃんか。あのおっちゃんはな、そら気の毒な人なんやで」
 母はそう言ってヨシゾウの話をしてくれた。
 ヨシゾウは、包丁やはさみなどの刃物砥ぎを生業としていた。天気の良い日には広場の片隅で、また雨の日などは民家の軒下などを借りて砥ぎ仕事をしていたらしいが、私はその男が空き地のヨシゾウであるとは思いもしなかった。
 その技量は素晴らしく、使い古した包丁も裁ちバサミも彼の手に掛かると新品同様の切れ味を取り戻したらしい。母の気の良さもあったのだろう。何度も砥いでもらう内にヨシゾウは、すっかり気を許したのか、今まで他人に話したこともない身の上話をポツリポツリと母には話していたようだ。 
 元々ヨシゾウは大阪市城東区にある小さな鉄工所で働いていた。戦争がはじまり、技術者であるヨシゾウは召集を受けた後、エンジニアとして輸送船に乗ったが、その船が戦地に向かう途中に敵機の襲来を受け、あっけなく沈没。ヨシゾウは命こそ助かったが、その時に足を負傷し、その怪我のために片足が義足になってしまった。しかしその怪我のおかげで、再び出征することはなかった。
「あのおっちゃんがほんまに気の毒なんは、戦争に行ったことでも、片足がなくなったことでもないんや」
 母は泣きそうな顔をしていた。 
「空襲でな、目の前で小さいお子さんを亡くさはったんや。助けようにも足が悪くて助けられへんかったんや」
「もしかして、その子の名前って、サブロウなんか?」
「そうや、あんた、なんでそんなこと知ってるんや?」
「おっちゃんな、ぼくの顔見てサブロウって言うたんや」
「そう、あんたに似てたんかもしれへんね」
 私は何ともいたたまれない気持ちになった。
 当時、私の母も空襲で焼け出されていた。1945年6月7日昼過ぎのこと。大阪砲兵工廠を中心とした激しい爆撃によって母の住んでいた地域も焼け野原になったらしい。
 当時、自宅から少し離れた城東区の鉄工所で働いていたヨシゾウは、空襲警報が鳴るとすぐに自宅へと急いだ。戦闘機が飛び交い、容赦なく逃げ惑う市民への機銃掃射を行っていた。
 自宅にはヨシゾウの年老いた母親と五才になったばかりの三郎がいた。しかし何とか家の近所まで戻った時には、辺り一帯はすでに業火に包まれていた。足の悪いヨシゾウにはなす術がなかった。それでもヨソゾウは燃え盛る炎の中に飛び込もうとした。周りの人々に力ずくで制止されたのだ。
 何かが爆発する音よりも、大きく崩れる家屋の音よりも、もっと大きなヨシゾウの、「三郎ぉぉぉぉ」と叫ぶ声があたりに響き渡った。
 火の手が収まった焼け跡からは二人の重なり合って倒れている亡骸が見つかった。
「なんで俺みたいな半端者が生き残って、あんなに心のきれいな三郎が死ななきゃならんのや。俺が代わりに死ねばよかった」
 包丁を一心に研ぎながら、ヨシゾウはぽつりと言ったのだそうだ。
                                 続く
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み