第1話

文字数 1,526文字

 佐藤ミオは他人の心の声を聴くことができたが、普段は心の声が聴こえなくなる帽子をかぶっているので、心の声を聴くことができなかった。とにかく心の声を聴くことができたし、できなかった。
 心読みの能力は佐藤家の女系家族に代々現れたので、玉依姫(タマヨリビメ)からの授かりものだとし、佐藤家は神社に奉職する伝統があった。ミオもそのうち巫女になるものと、町の人々から思われていた。
 心の声が聴こえなくなる帽子はお清めがなされた古い黒のハンチング帽で、本人の小顔もあいまってよく似合っていた。そして、ミオが帽子を外しているのを見つければ、誰かが心の中で「かみさま! かみさま!」と叫んだ。その声を聴いた彼女はあわてて帽子を被りなおす。あまりのチョロさに町内の人々も毎日安心だった。
 佐藤家の娘が人の心を読めるということは、信じる人と信じない人がいるとかそういう問題ではなく、周知の事実として町の人に受け入れられていた。帽子を脱いでもらい、「私が何を考えているのか当ててみて」とか、そういう遊びもほとんど見られなかった。先代の巫女、先々代の巫女と、ひょんなことからいきなり人心を掌握するエピソードがあり、ミオにも少なからず存在した。
 この女、クラスメイトが企てたサプライズパーティーで、自分だけ除け者にされ、不安に駆られて帽子を脱いだことがある。いそいそと当人を楽しませようと苦心する素敵な友達の粋な計らいを全て台無しにし、彼女は、氏子の真城家の玄関で、両目からボロボロと涙を流して「ごべんなさい」と謝罪した。六月生まれだったので背後には満開の紫陽花があり、水瓶からは蓮の花がニョッキリと伸びていた。
 僕たちは急いで彼女の口の中にショートケーキを押し込んだ。

 玉依姫(タマヨリビメ)の性質から考えるに、佐藤家の巫女には胎児の具合を察知するためにその能力が顕現するのかもしれない。
 ただ、佐藤家の娘たちの心根はやさしく大らかなので、心の声を聴いてほしい訪問客は数多くいた。痴漢被害者、ペットロス、受験浪人、失恋者。そのひとりひとりにミオは、そっとハンチング帽を脱いで、両手を握り、心の声を聴いていっしょに涙を流した。
 特にミステリーにも、サスペンスにも発展する気配がなかった。それどころか、ヨシキリの鳴き声も、アブラゼミの鳴く声も、この町ではどこかコメディータッチである。

 佐藤家の二百坪の敷地で動物たちは健やかに育った。ヤギが二頭、中型犬二匹、オウム一羽、チャボ五羽、ツバメの巣二つ、アシナガバチの巣一つ、ヤモリ数匹。だが、三匹の雄猫だけは例外的にきっちり去勢され、家猫として育てられていた。そのせいか知らないが、三匹の猫たちはかなりヤンキー気質に育った。張り替えたばかりの障子を突き破り、通し柱で爪を研ぎ、自由にあこがれて虎視眈々と玄関が開くのを待ち望んでいた。そして気の弱そうな郵便局員が引き戸を開けた瞬間に、ぶち猫ベンゾーは未知のロマンスへと駆け出したのだった。

 ミオが血相を変えて僕の一家を訪ねてきた。この時、僕はスーパーカブのエアクリーナーを交換していた。外したレッグシールドをそのままに、眼鏡レンチとドライバーをツールボックスに戻して姉貴を呼びに家の中に入った。姉貴はグレーの上下スウェット姿のまま二階から降りてきて、入口のミオの姿を確認すると、僕の背中をバンバン叩いて大喜びした。すぐさまベンゾー捜索隊が組織された。
 通りの左側は姉貴が探し、通りの右側は僕が探し、先頭にはミオが立って「ベンゾー! ベンゾー!」と呼びかけた。
 姉貴は僕の脇腹を肘でつついてきた。
「ミオ様、お帽子かぶってないよ」
 最高にゲスな小声だ。
「お前の恋心、ばれちゃうかもよ!」
「うるせえ! もっと真剣に探せよ!」


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