第4話

文字数 1,301文字

 次は宅配便業者だった。
 インターフォンに映った時点でもうおかしかったんだろうが、当時のインターフォンの解像度やマイクの精度なんてたかが知れていた。とにかく何の警戒心もなく三文判を手に玄関を開けてしまったのだ。
 宅配便の男は開いた玄関の隙間にニュルンと体を滑らせてきた。変に汗をかいている。
「こ、こ、ここに、ここにここに、ここに」
 息を整えるまでしばらく待った。
「ここにサインか印鑑を…」
「え?」
「ここにサインか印鑑をぉぉぉぉぉ!」
 顔を急に近づけてくる。
「近い近い! 普通に、普通にお願いします!」
 受領書を固い靴箱の扉に当てて、受け取り印を押している間も、業者の男はブツブツとこちらに聞こえない呟きをこぼしていた。なんでなんでなんでなんで。
「あの、印鑑押しました」
 ところが男は荷物の段ボールを離さない。ぐいぐい綱引き状態になってしまう。
「あの、離して」
「問題です! 今すぐミオ様の魅力を三つ答えよ!」
「は? え?」
 僕がうろたえている間、業者の男はチッチッチッチと舌で時計の秒針の物真似をしていた。
「ぶぶー! 時間切れ! 時間切れです。このフェニシモさんの荷物はボッシュートぉぉぉぉぉ!」
 母の荷物だった。
「待ってください、楽勝だから待って!」
 僕は深呼吸をした。
 驚きや焦燥の中から、少しでも、ほんの少しでも平常心を逃がすことができれば、こんなこと造作もない。
 僕は業者の男の飛び出した鼻毛を必死でにらみつけた。
「まず、ひたむきな植物に対する慈しみ。毎日欠かすことなく手入れを怠らない律儀な態度。自分にではなく、他人に向かって開かれたこまやかな感情。心遣い。やさしい笑顔。むしろ、周囲の環境が悪い時にこそ発揮される芯の強さ。彼女に飼われるペットたちの健やかさ。愛する者たちの為に汚物に手を伸ばすためらいのなさ」
 あとは、あとは。
「いちいち仕草や態度が狙ってるんじゃないかってくらい可愛くて、動作に掛け声とか出されたときには喉をかきむしりたくなるし、自分の表情を隠すときに背を向けてくるけど、あれって抱きしめたらダメなやつですかね? すねたりむくれたりすると口の形がとんがってきて、僕の嗜虐心を試してるってわけじゃないんでしょうが、くそっ! ほっぺにキスしたい! でもあいつ、エッチなこととか本当にダメで、拒絶反応がすごいんですよ。蛍光灯を自分で取り替えたいとか言い出して、危ないから僕がやるって言っても聞かなくて、しょうがないから脚立の足を抑えてたんですが、バランスを崩すわけですよ。必死で抱きしめて、事故ですよ、事故。思いっきりおっぱい揉んじゃったんですが、ガリガリで肋骨の感触ならそれで良かったんですが、あるわけです。意外に。やわらかな感触、が! 着やせするタイプなんです。そしたらもうそれしか考えられないでしょう? 当然、事故でバランスを崩しているから、ハンチング帽は足元ですよ。全部筒抜けで、彼女、ダーって遠くへ逃げて行っちゃって。大嫌いって叫ばれて。しばらく顔を合わせる度に松ぼっくり投げてくるんです。届かないのに。空気抵抗すごいのに」
「あ、荷物はちゃんと届けましたので、私はこれで」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み