第5話

文字数 1,370文字

 この頃、僕は図書館を転々とする羽目になったので、いろいろな図書館を知っている。自習スペースがある図書館、無い図書館。自習スペースがあるけど、書架から離れてロビーや廊下にある図書館。書架自体が体育館のような巨大なスペースの一角に設けられている図書館。電車の高架下のようなむき出しの鉄骨が屋根の図書館。ハローワークの隣り、学習塾の隣り、博物館の隣り、美術館の隣り。
 変な図書館も普通の図書館も、どこも少し埃っぽく、入射光は柔らかで、すこし冷房が弱く、椅子が安っぽかった。そしてなぜかしらないが、やけに視線を感じるのだった。普通、図書館で自習に勤しむ学生に、それも面識もない地味な学生に話しかける人なんているだろうか。僕はしょっちゅう話しかけられた。
「受験勉強、精が出ますね」
 ところが僕のしている勉強は、定期テストの復習であって、受験勉強ではなかった。
 僕はさっさと開放してほしい気持ちが強かったので、苦笑いでお茶を濁したり、礼を言ったりしたが、開放してくれる人はいなかった。それもほとんどが仁丹や、ぬか漬けの匂いがしたりするおじいさんだった。
「ここ出ますよ、ここですここ。ここ出ます。知ってますか。ここ出ますよ」
「止めてください、出ませんよ」
「こお、年上の助言は聞かなくちゃ嘘ですよ。出ます、ここ出ます」
 僕は荷物をまとめて席を立つしかなかった。
「受験勉強、がんばってください」
 だから受験勉強じゃないって。
 そして、席替えをした先でも他の人から絡まれたりした。
「お前さ、結構気合い入ってるじゃん。人文学部神道学科? 入学してからも大変だってよ」
 彼は背伸びした感じでネックレスをじゃらじゃらさせた小学生男子だった。後ろで彼女らしい女の子が待機していた。少年は頑張れよ、と、僕の肩をバシバシ叩いてから、乱暴に女の子の肩を抱えて去って行った。
 町の人々はどうしても僕にK大学の人文学部神道学科に入学させたいようだった。
 ようやく僕は自分の身に何が起きているのか把握しかけてきた。ミオを好きになったら町ぐるみなんだ。

 時として、学校の図書室も自習に利用することがあった。しかし、切り花を取り替えているミオが受付の図書委員と話し込んでいることがあった。ミオは僕の顔を認めると会話を切り上げて去っていくので、どうしても足が遠のいた。
「ねえ、今日が何の日か知ってる?」
 おでこ丸出しの女性の図書委員が僕に聞いてきた。冷や汗が出た。
 何の日だ? 誰かの誕生日じゃないし。記念日? 記念日って言っても、全く心当たりがなかった。
「ねえ、今日が何の日か、知ってるぅぅぅぅぅぅ?」
 女は顔を斜め45度回転さて目を見開いて聞いてくる。冷や汗が止まらなかった。
 そんな僕の手のひらの上に、図書委員は小さくリボンのついた包み紙を置いた。
「はい、ミオ様からプレゼント。クッキーだって。今日は小学生の君が引っ越してきた日らしいよ」
 自分では確かめるための細部すらも忘れてしまっていた。
「諦めちゃ、ダメだからね」

 その日、廊下を歩いているだけで、ピンポン玉、軟式テニスの玉、黒板チョーク、消しゴムが飛んできた。記念日を忘れた僕に対する罰なのか、記念日への祝福なのか、はたまたやっかみか、それら全てか。そして、下駄箱には誰の差し入れなのか分からない栄養ドリンクが入っていた。
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