第7話

文字数 1,515文字

「本当の意味で、人間にとっての一番の脅威が、同じ人間たちになった期間はそんなに長くない。人類の歴史からしたらたかだか数百年のことだろう。したがって生物学的な進化や淘汰が働いているとは到底思えない。では我々はどう対応してきたか? それは文化的に対応してきたに決まっている。引っ越しって言ったら、手伝い合って、煤払いっていったら、手伝い合って、冠婚葬祭、手伝い合って、なんとか暗闇を照らし合いながら、なんとか両手を伸ばし合って、どうにかどうにかやってきたんだ。恩義を感じれば、長い手紙のお礼を書いて、手紙だけだと物足りないから、押し花なんか添えたりして、お中元を贈り合い、暑中見舞いを贈り合い、年賀状を送り合ってどっこいどっこい、ぼちぼちって感じでさ。ああ、この浅漬けおいしいな。ポリポリ」
 帰ってきた父親も母親も、シホがどんな人物かよく把握していたので、おったまげて大仰に扱おうとした。慌てて食材の追加調達に走ろうとした母親を止めたのはシホだ。僕も少しづつ分かってきた。この人をもてなすには冷蔵庫の残り物の方がいいのだ。
 でもそれだとさすがに… と秘蔵の大吟醸を開けたのは父親で、この男はすぐ横で太鼓持ちをしている。
「資本主義の弊害ってやつですね、はい」
 理解も相槌も薄っぺらくて聞いてられない。ところがシホは自分の理論を開陳することが気持ち良いらしく、大吟醸のぬる燗を片手に弁が止まらなかった。
「資本はサービスを利用し続ける主体という新しい自立の道を拓いた。旧来的な助け合いにメリットがほとんどなくなって、デメリットばかりが目立つ、煩わしい助け合いに変わった。参加者がひとりひとりと脱落していき、やがて倒壊していったんだ。だからもう、人の心の闇はお金を払ってサービスで満たす以外にないんだよ。でもこれって、根本的な解決といえるのか? じゃあ、お金がなかったらどうすればいいんだ? それは… もう一杯いただけたらお教えできるかもしれない。グビグビ」

 僕は姉貴に手招きで廊下に呼ばれた。
 スリッパも履かず靴下のまま駆け寄ると、姉貴は受話器を僕の耳に押し付けた。
「ミオ様だよ。替われって」
 姉貴は頑張れよと僕の耳元で囁いて二階上がって行った。僕は電話線をぎりぎりまで伸ばして風呂場の手前の廊下の隅で体育座りになってミオにもしもしと言った。
『なんでシホちゃんが良太君のおうちに行ってるの!』
 松ぼっくりの一件と同じくらい怒っている。
「僕が呼んだ。僕なりに決意を表したかったんだ」
『もう!』
 世界一可愛いもう! だった。
『認めないって言われたでしょ。不合格だって。ちゃんと反論してくれた?』
 ここにきて、好きバレ以降の流れを悟った。水面下でミオVSシホが繰り広げられていたんだ。はみ出した氷山の一角が、八百屋であり、宅配業者であり、図書館のおじいさんだった。
「一通りの受け答えはできたつもりだよ」
『なんて言ったの? 教えて』
「僕は、僕の態度が十全だと主張していないって言ったんだ。だから、シホさんの理論も十全だと主張しないで欲しいって。どこまで突き詰めても完全に完璧ににならないのだから、不十分な態度を改めて、より良き態度を目指すには、対話をするしかない。でもその対話の相手はシホさんじゃない。ミオ。君だから。君との対話の果てに、より良き態度を実践するにあたって、権力が邪魔立てするなら、その時は改めて蒲公英の絵手紙を出すよって言った。そしたらシホさんもそうだなって。それが一番かもしれないなって」
『態度ってなに?』
「君と僕との人生に対する態度だよ」
 電話の向こうからため息が届いた。
『ちゃんと愛って言って! 伝わらないの!』

― 終わり ―
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