第6話 身代わり〜眞子の場合〜(2)

文字数 1,784文字

 男は、橋爪修司という名前だった。名刺には、劇団クライシスの責任者、劇団長だという。

「劇団クライシス……」

 眞子は、名刺を見ながら呟いた。

 怪しいと思ったが、どこかで聞いた事のある名前だった。確か風俗で働いている時の同僚が、「割の良いエキストラのバイトが出来る劇団」と言っていた記憶がある。意外と守秘義務の縛りがきつく、言われているほど割の良いバイトではないらしいが。

 そんな記憶もあったので、眞子はのこのこと橋爪についていった。連れて行かされた場所は、美容整形外科の裏手にあるビルで、一見劇団には見えなかった。外観だけなら普通のビルそのものであり、劇団というよりは事務所だった。実際、事務室があり、中年女性がエクセルを入力していた。その事務室の奥にある応接室に通され、ソファに座らされた。

 応接室も普通と言ってよい。変な神棚やお札もない。意外と飲食店や企業の事務所はそういったものがあったりする。

 さっきのエクセルを入力していた中年女性が紅茶とバームクーヘンを持ってきたが、それらの味も普通だった。劇団長と聞いて身構えたが、だんだんと拍子抜けしてくる。

 その劇団長が、一体自分に何の用だろうか。風俗だったらスカウトもあり得るが、今は一般敵な事務所もそんなものはやっていないらしい。モデルや女優志望なんて掃いて捨てるほどいるだろうし、効率が良い方法とも思えない。実はこの劇団が風俗で、そのスカウトと言われたら納得できるが、そういった雰囲気もない。この応接室は普通すぎるし、橋爪も性産業の人には見えなかった。

「 で、私に何か用ですか?」
「実は極秘で頼みたい事があるんだよ」

 橋爪は、ここで紅茶を飲み干した。

「きみ、砂原麗子にそっくりだよね」
「ええ。偽て整形しましたから、嬉しい」
「声も似てるし、身長も同じぐらいだね」
「そうなんですよ。こればっかりは天然なんです」

 顔は整形で麗子に似せたわけだが、身長は彼女と同じ168センチだった。女性では高い方なので、よくいじめの原因になっていたが、今は麗子と同じで自慢要素だった。声は整形できないはずだが、彼女とよく似ていた。確かに整形では無い要素も麗子と似たものがある。やっぱり運命だろうか。ますます麗子になりたいという欲望が増えてきた。

「で、極秘で頼みたい事って何ですか?」

 一番気になる事を聞く。この話の流れだと麗子に関する事だろうか。そういえばテレビのバラエティ番組では、芸能人のそっくりさんコーナーがある。あれの依頼かもしれない。一般人が出演しているように見えている番組だが、台本があるらしい。一般人に見える人も芸能関係者の可能性が多いと聞いた事がある。今の時代、SNSも発達しているし、子供を狙った誘拐や性犯罪もゼロではない。一般人をテレビに出すのは、テレビ局にとってもリスクがあるだろう。おそらく、これは麗子のそっくりさんとしてテレビに出て欲しいという依頼だろう。

 そう予想をたてるが、橋爪はそれとは全く違う事を言った。いや、大きく外れてはいないのだが、驚きで目を瞬かせる他なかった。

「実は砂原麗子として仕事をして欲しいんだよ」
「そっくりさんではなく、本人?」
「そう、事情があってさ」

 まさか麗子本人になるとは、聞いてない。しかし、事情を聞きと、協力したくなってきた。

 今、麗子は持病が悪化し、仕事が出来ない状況だった。来年末まで仕事が決まっていて、キャンセルすると、違約金も払う必要があり、彼女の事務所は困り果てているという。

「普通に休養って事にできないんですか?」
「今、麗子ちゃんは人気が上がっているからね。ここで休養となると、ライバルにも出し抜かれるかもしれない」
「それは嫌です。私も麗子ちゃんのファンなんですよ!」
「でしょう。彼女の事務所の人とも知り合いでね、困ってるんだ」

 いつのまにかにかこの場はしんみりとした雰囲気になっていた。橋爪は血も涙もなさそうに見える男だっが、目元を潤ませていた。眞子も泣きそうになってきた。

「やります。麗子ちゃんの為なら一肌脱ぎますって」
「おぉ、ありがとう! では、さっそく向こうに事務所の人も呼んで、契約書を書こう」

 契約書は意外と分厚く、細かい字もいっぱい書いてあったが、とにかくサインし、ハンコを押し続けた。ファンである麗子の助けになりたい。この時は、純粋な気持ちだった。
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