第四章

文字数 6,131文字

「ふっ。雨の夢だったか」
 目覚まし時計のアラームに叩き起こされた昭裕はほっと胸をなで下ろす。絶対違う悪夢を見ると思っていたのだ。
 スカートひらひらの悪夢を、である。
 雨の夢がそれだけ確固たるものであるという証かもしれない。
 どの事実に悩むべきかということ自体が悩みの種になるという困った事態だ。
 時刻は午前十時。昼には文芸部に顔を出さなくてはならない。
 はとこ、朋香が手配してくれているものを受け取るためだ。彼女は文芸部の部長である。権力者であった。
 顔を洗い、パン、目玉焼き、ソーセージ並びにオレンジジュースで朝食兼昼食を終わらせて、服を着替える。
 ……なるべく第三者が脱がせにくいだろう服を万一に備えて選ぶ。必然的にジーンズ姿になった。暑苦しいが仕方ない。
 外は燦々の太陽が頑張っていた。昭裕は駐輪場から自転車を引っ張り出す。跨がったサドルはすでに熱くなっていた。汗が出そうになるところを風で中和しながらのんびりと走る。結果、二十分ほどで大学に到着する。
 悪名高き文芸部部室はクラブ棟の三階突き当たりにあった。それなりに大きな部屋のはずなのに廊下にまで物が溢れている。本以外にDVDやビデオテープ、それにフィギュアまでもが転がっている。
 そこは、部外者からは魔窟部屋と呼ばれていた。
「すいませーん。松本朋香の使いの者ですけど――」
 服を剥ぎ取られ、魔改造されたフィギュアに嫌な既視感を覚えつつ、昭裕は入室する。
「はっ! お待ちしておりました!!
 だらけた姿勢で雑誌や漫画を読んでいた男たちが競うように直立し始める。異常なほどにきびきびした動作だ。
「例のブツを受け取りに――」
「はっ! こちらでございます!!
 男の一人が大きく長いバッグを抱え持ってくる。
「これって、ゴルフのバッグですよね?」
 正体はキャディバッグだった。
「はっ! 生身で持ち歩くと不審尋問を確実に受けますのでこちらに入れておきました。消耗品も潤沢に揃えてあります」
「あっ。ご親切にどうもです」
 バッグを受け取る。ずしりとした重さが手に腕に伝わってきた。
「はっ! お気になさらないでください。松本の姉御のお達しですので」
「どうもすいません。では、お借りしていきます」
(一体どんな教育してるんだよ、トモ姉は。暴君、暴君なのか)
 昭裕は同情を込めながら頭をぺこりと下げる。
「はっ! またのご利用をお待ちしております」
 立ち去る昭裕を男たちは敬礼をしながら見送ってくれた。

「ただいま戻りました」
 汗だくの昭裕が四畳半探偵事務所に到着したとき、中には三人の女性がいた。
 跡切、朋香、それに私服姿の明日飛だ。明日飛の学校は、今日が一学期の終業式とのことだ。
「お、やっと来たね」「アキくん、お帰りー」「お邪魔しています」
「よっこらせっと」
 昭裕は部屋の隅にキャディバッグを置き、肩をトントンと叩いた。
「少年、爺臭いなあ。どうやら調達できたみたいだね」
「アキくん。わたしの子分たちはお行儀良かった?」
「う、うん」(良すぎでしたよ。悲しいほどに)
 昭裕はあいまいな返事をするしかない。
「まだ中身きちんとは見てないんですけど、この重さなら間違いないかと」
 人前ではとても取り出せない代物なのだ。職務質問は御免被りたかった。
「うん。それなら、すぐここで見てみよう。事前チェックもしとかないとね」
「わかりました」
 例のブツがようやくバッグから取り出される。ゴトン、ゴツンという音とともにテーブルに置かれた。
「すげぇ。こりゃ重いはずだ」
「ほぉ」
「うんうん、あの子たち良い仕事したわね」
「……」
 無言、いや唖然としていた明日飛がようやく口を開く。
「こ、こんなの持ってて捕まらないんですか?」
「大丈夫だと思うよぉ。あの子たち、変わってるけど悪い子じゃないから」
 明日飛の疑問に朋香が軽い口調で答える。
 四人はテーブルを囲んだ。
「さて、じゃあメンバーが揃ったところで作戦会議だ。概略を説明しよう。まずこの作戦は筑紫さんの持つ力、それを使うことを前提としています。メールでも確認しましたが、筑紫さん、本当にいいですね?」
 神妙な顔で跡切は明日飛に再確認する。
「はい、やります。それで早く解決できるのなら」
 少女は躊躇わなかった。
「ありがとう。感謝します。では、あなたには囮、単刀直入に言えば、あのインコをおびき寄せるエサになってもらいます。そして、なおかつアレに攻撃も与えてもらいます。倒すためではなく、その動きを止めるためにね」
 つまるところ、筑紫明日飛が依頼してきたこと、ほぼすべてを本人がやるということだ。
「所長、囮ならボクが。……恥ずかしいのは我慢しますから」
 昭裕は意見した。あのインコの危険性は身に染みてわかっている。女の子にやらせるわけにはいかないと思う。
「却下よ。オカマじゃなかった、偽者じゃ直ぐにばれちゃうでしょう。昨日やってみてわかったじゃない」
「どういうことです?」
 少女の問いに跡切は昨晩(正確には今日のことだが)の出来事を説明する。
「そんなことがあったんですか。でも私、やります」
 明日飛は昭裕の顔にある絆創膏を見つめながら、はっきりと宣言した。
「でも、やっぱり危険ですよ」
 昭裕はなおも食い下がる。
「うん。だから防衛策を用意しといた。これよ」
 跡切はテーブルに第二のアイテムを置き、にやりと笑った。

 午後十一時半、四人は並木通りに行くため、事務所を出発した。
「女子高生の振りって難しいわねえ」
 ぼやいているのは朋香だ。
「うん、もう若くないってことだね。そろそろ年齢肌用の化粧品が――、ウゲホッ」
「まだ二十歳だもん。ピチピチだもん」
「助手さん、今のはひどい発言です。セクシャルハラスメントに該当すると思います」
「アタシはどうなるのさっ!?
 昭裕は裏拳と言葉責めを受ける。
 明日飛は偽クラスメート、朋香の家に今晩泊まることになっていた。さすがに無断外泊はできない。明日飛の友人Aとして、彼女の母と朋香は電話で話をしたのだ。緊張したらしかった。
 やがて歩き続ける四人の目に桜の木々の青々とした葉が映り出す。
「さて、並木通りに間もなく到着となるわけだけど。筑紫さん、準備はいい?」
 跡切が小声で確認する。
「はい、もう機能してます」
 少女は先程まで胸に抱えていたものを今は左手に装備していた。
「少年は?」
「OKです。あとはもう引くだけの状態になってます」
 昭裕は例のブツを頑張って片手で掲げてみせる。
「よし。その時が来たら、しっかり走りなさいよ。朋香くんはしっかり隠れとくこと」
「はーい。プリーストは後衛が基本ですな」
 朋香は救急箱を掲げて見せた。
「では、ミッションスタートよ!!

 筑紫明日飛は深夜の並木通りをひとり歩き出した。
 周囲に彼女以外の人影は見当たらない。
 心臓がドキドキドキと激しく自己主張し始める。
 うまくやるんだ。その気持ちを左手にしっかりと流し込む。
 静謐を装った通りを明日飛は黙々と歩き続ける。
 数分後、彼女は鳥の羽ばたきを耳にしていた。

「来た! 走るわよ」「はいっ」
 跡切と昭裕は木々の影から飛び出した。
 それまでの中腰での移動を止めて、できる限りの速力で走り出す。
 目指すゴールは筑紫明日飛だ。
 しかし――、
 上空から突撃してくる、黄色い物体の方が遙かに早く少女に到達しそうだった。

 ――いた!
 明日飛にそう叫ぶ暇はなかった。
 どう対処するべきか。そんなことを考える余裕もまったくなかった。
 一瞬での邂逅だった。
 生気のない瞳に捕捉され、明日飛は一瞬恐怖に負ける。目をつむったのだ。
 直後、ガツン!という激しい音を聞く。
 ――弱気になるな、私!
 自分にきつく言い聞かせ、少女は急いで目を開ける。
 視界の中、ソレがはじき飛ばされていた。

「よし!」「やった!」
 跡切と昭裕の声が重なった。安堵と期待の入り交じった声だ。
 筑紫明日飛の左手が握っている盾は見事に機能していた。死してなお俊敏なインコの接近を的確に防いでいる。その名称は、バックラー。円形の小型盾である。
 これが跡切の提案した防衛策だった。
 むろん、現代に生きる少女に盾を扱うスキルなどない。
 少女の力により付喪神と化した盾が能動的に機能し、主を完璧に守っているのだ。
 これで作戦の第一段階は成功したと言える。けれど、探偵と助手は走るスピードを全く緩めなかった。
 やるべきことはまだまだ残っていた。

「おまえだ! 間違いない」
 明日飛は聴覚に頼ることなく、相手の声を聞いていた。
「連れて行け。オレを連れて行けえぇぇ」
 インコだったものがバックラーにぶつかるたびに声が響いてくるのだ。
「どこへ、どこへなの?」
 少女は尋ねる。
「おまえの中だ。おまえの持つ世界がオレの還るべき場所。おまえがオレを作ったのだから」
「そんな場所、私は持ってません!」
「乾くのだ、喉が、体が。喰っても喰っても、この世界の血肉はオレの飢えを満たしてはくれぬ!」
 インコだったものは狂気に彩られていた。言葉は通じていても、意思疎通はできていない。
「ごめんなさい。私の所為なんですね」
 少女は悔やみ、それから覚悟を決めた。

「バトンタッチよ」
 三人は集結した。打ち合わせ通り、手早く動く。
 バックラーは明日飛の手から跡切の手に移り、例のブツは昭裕の手から明日飛の手に移った。
「わわ」
 明日飛はその重みによろめくが、辛うじて踏ん張ってみせる。
 例のブツの正体は、マシンガンだった。
「一分しのぐ」
 跡切は明日飛と死鳥の間に立った。
「少年は伏せときなさい。邪魔になるから」
「はい」
 情けないが、徒手空拳ではどうしようもない。昭裕は大人しく地面に這いつくばる。
 元インコが再び明日飛に接近を試みていた。
「ダメよ。行かせない」
 跡切が明日飛の前に立ち、見事に死鳥の接近を防ぐ。明日飛の手から離れた付喪神の寿命が切れるのはおよそ五分後、それまでは盾に任せていればいい。

「用意できました!」
 集結一分後、明日飛が叫んだ。
「了解」
 跡切は素早く地面に倒れ込みながら、明日飛に指示を出す。
「ファイア!!
 直後、圧倒的な攻撃が始まった。
 明日飛による銃撃だ。
 マシンガンから銃弾が壮絶に吐き出されてゆく。
 むろん少女の手にあるのは本物の銃器ではない。ただのエアガンだ。エアピストルでもエアライフルでもなかった。装填されている弾丸も単なるバイオBB弾である。
 ――ただし、装弾数六千発以上、時間にして四分間は連射できる代物であった。
 そのデカ物マシンガンを筑紫明日飛が構えている。
 付喪神と化したエアガンの威力及び命中精度は果てしなく規格外になっていた。
 恐るべき速度でBB弾が死鳥を迎え撃つ。
 跡切と昭裕は可能な限り地面に密着してその様子を観戦していた。当たったらおそらく人生終了だ。
「全くもって、これはワンダホーな状況ね。少年、次の指示があるまで絶対動かないように。土手っ腹に風穴あけたいのなら止めないけど。あっ、でも、涼しくなっていいかも。試しにやってみるかい?」
「嫌です。むしろ、このまま気絶したいです」
 威力の割にマシンガンの射撃音は控え目だった。故に立ち上がっても大丈夫かな、などどつい思ってしまう。難しい判断を要する状況だった。それならば、いっそ気絶していた方が良いような気もするが、
「うん、意識はしっかり保っててね。うひゃひゃひゃひゃひゃ。――にしてもすごいわぁ」
 簡単に跡切は昭裕の言葉を却下した。次いで、目の前の光景に感嘆の声を上げる。
 低空飛行する死鳥を狙ったBB弾の内、数発が的から外れて、地面をえぐったのだ。土埃が激しく高く舞った。
 BB弾と死鳥。同様の力を纏ったモノ同士が激しくぶつかり合い続ける。
 その勝負は互角に見えた。だが、圧倒的な物量攻撃の前にインコだったものは次第に翻弄され始める。
 そして、一枚の羽根がついに宙を舞った。
「よし落ちた! これは預けた! しっかりさばくんだよ、少年ナイト」
「は、はい!」
 昭裕はバックラーを受け取った。盾の寿命はあと二分ぐらいか。
「筑紫さん、撃ち方止め!!
 明日飛はその指示にほっとした顔を見せ、引き金から指を放す。
 直後、銃撃が止んだ空間を跡切が走り出す。
「筑紫さんはボクの後ろにいて下さい」
 今度は昭裕は明日飛の盾になる番だ。

 ――五十七、五十六、五十五、五十四……。
 離れたところから聞こえてくる朋香のカウントダウンに昭裕は焦りを感じていた。
 あと一分足らずで盾の命がつきるのだ。明日飛が持ち直せば、その寿命は再延長されるのだろうが、助手として男として面子がある。
 もっとも昭裕が焦っている根本的な原因は、鳥を還す手段について具体的に何一つ教えてもらっていないことだ。
 見ていればわかる、いや見ないとわからないかな。跡切はそう口にしただけだ。
 もどかしいが、辛抱こそが助手として今するべき仕事だった。
 成果が見られたのは、朋香が残り三十秒を告げたときだ。
「インコ、こっちに来なさい」
 跡切が死鳥を呼ぶ。
 死鳥はその声には反応しなかったが、跡切の起こした現象には反応していた。
 跡切の左手には大きな砂時計のようなものが握られていた。右手には死鳥の羽根がある。
 羽根は砂時計もどきの天辺――もしくは底かも知れない――に空いていた穴に差し込まれ、その姿を一瞬で鍵に変化させる。
 そして、ただの空間に扉が生まれた。
 石の扉だ。
 砂時計に見えたものは『ドアノブ』だった。
 慣れた手つきの跡切により鍵が回され、扉が開かれる。
「あそこだ!?
 明日飛が瞳を大きくさせる。
 扉の向こうには、どこまでも続くあぜ道と風にそよぐ稲穂があった。

「インコ、行って!! 行くの!!
 少女の声に押されるように、死鳥は勢いよく扉に飛び込んだ。
 途端にくすんだ黄色が瞬時に鮮やかさを取り戻す。インコはすぐに稲穂をついばみ始めた。
 軽やかな動きだ。その様はどう見ても死鳥ではない。生きているとしか思えない。
「あなたはどうする? あっちに行きたいかしら?」
『ドアノブ』を握ったまま、跡切が少女に問いかける。 
「行きません。私にはあっちは無理です」
 明日飛は首を即座に振った。
「わかった。じゃ、閉めるわね」
 跡切はあっさりと扉を閉め、先程と反対方向に鍵を回す。ノブから抜かれた鍵はすぐに羽根に戻った。扉は痕跡の一つも残さず消えている。
 手元に残ったくすんだままの羽根を跡切は明日飛に手渡す。
「これでお墓を作ってあげなさい」
「はい。ありがとうございます」
 少女は切なく柔らかく悲しげに笑ってみせた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み