第7話 居所

文字数 6,674文字

 冷たいドリンクを傍らに、オーダー用紙に食べたい物を書くのに彼女は夢中である。
 今いる所は喫茶店、山ほど書き連ねて、下に刻まれた小さな魔法陣をペンの裏でトンと叩けば、厨房まで飛んでいく。
 この先進的注文のしやすさだけは、時代の最先端と言えよう。

「遠慮がねぇな。胃袋だけは立派なドラゴンしやがって」
「そんなこと言ったって、言い出しっぺはジャガーじゃん」
「弱いくせに好きよね。賭けをするの」
「運に頼った勝負が苦手なだけだ」
「あら、殴るポーズが好きなだけかと思ってたわ」

 思わず握った拳をジャガーは見つめる。
 確かにじゃんけんではよくグーを出す。今度もそれで負けた。

「チョキは良いとしても、パーってのは女の出すもんってイメージがあってな」
「ほっぺでもよく引っ叩かれてきたの? そういうタイプには凄く見えるけど」
「確かに。女泣かせって感じがこうひしひしと」
「てめぇらな、寄ってたかった好き放題言いやがって」

 軽く舌打ちを入れ、煙草を出して切れていることに気付き、彼は席を立つ。
 ちょっと買ってくると一声掛けて、店を出た。

 しかし何気なく向けた視線の先に妙なものが映り込んで、思わず凝視。
 なんだありゃあ、と首を傾げたくもなった。
 火事の煙にしては色が綺麗というか、光ってもいて不可解。

 そう思った瞬間にはバックして、テーブルまで戻り、器具入れ(カトラリーケース)からナイフとホークを取り出し、その二つを手元で遊ばせていたクリームの手を上から押さえつけ、待ったを掛けもする。

「食ってる場合じゃねぇかもしれねぇ。クリーム、時計塔の辺りだ。探ってくれ」
「何かあったの」
「妙な煙が上がってる。光っててな」

「伝達に使われる魔法かな」
「あれって光るパターンで伝えるのよね。門外漢だから解読はできないけど、軍の人間だと思うわ。よく使うもの。でもよ、だとしたら」
 
「きなくせぇよな。NWか」
「もしかするとだけど、先に見つけちゃったとか」 
「昨日の今日だろ。俺らに頼んだ意味な」

 ないという訳でもないだろうが、大金を逃すことにはなった。
 前金まで戻す必要はなく、楽に稼げはしたが、喪失感も強い。

 それはいつ襲われるかもわからない、というスリルを失ったことからもきている。
 金儲けだけではないのだ。それも求めてこんな仕事をやっているところもある。
 思わずジャガーは項垂れた。

「はぁーあ、パーかよ」
「まだ可能性の話じゃない」
「悪い予感ってのは、当たるようにできてる」
「――二人共、ちょっと待って。煙を上げてるのフォウちゃんと一緒にいた男の人だよ。怪我してるみたい。別の男の人に脇を抱えて貰って歩いてる」

 はあ、と顔を顰めたくなるくらいには、状況の整理が追いつかない。
 いや、すぐに何をやったか察しがついて、頭を掻きむしりたい衝動に駆られ、
 苦虫噛んだように彼は吐く。

「あんのバカ、相手見てやれよ。両タマの代金じじいに請求されるかもしんねぇ。どうすんだ、真ん中までミンチにしてたら終わりだぞ。腸詰にしたって戻りやしねぇ」
「ぐろいぐろい、フォウちゃんがやったのお腹みたいだよ。でもかなり深そう。氷張って止血してる。――あ、救急車来たよ」
「ほう、腹だったか。なら正当防衛で済みそうか。竿なし野郎で生きていかずに済んで良かったな」
 
「妙な倫理観持ってないの。どっちにしろまずい状況だと私は思うけど」
「女と男のいざこざなら、悪い方にされるのはいつだって男だ。問題ねぇ。それよりあいつはどこいった。どこまで逃げてった。今の時間なら追いやすいんじゃねぇか」
「夜よりはだけど、影に潜って逃げてるだろうし、一応見てみるけど」

 一度目に光を灯しただけで、溜息がこぼれ落ちていた。
 クリームの口からはさもありなんという言葉が出る。

「緊急事態だって。掻かれたような傷が風車のとこに入ってた」
「風車? ああ、近くにあるとこか。知ってっから、さっさと戻って来いばかやろうって思念伝達しておいてくれるか」
「できません、もう。それと傷があって見えにくいけど、なんか地面に文字が書かれてるね。――ゲット?」
「おう、やっぱタマをとったか。胸にある方だが、できてねぇだろ喜ぶな。つーかお前は何考えてんだ」

 ミークのことである。
 唇に指を添え、一人思案げな表情で、何か言うのをただ彼は待った。

「――ねぇ、不自然に思わない。普通それだけ書くかしら」
「知らねぇよ、他の文字も書かれてるってのか。どうなんだ」
「後ろにはないみたいだけど、前は傷で隠れちゃってるから、あるかも」
「そう、前は見えない。ならありそうね」

「なんだよ、隠してんじゃねぇ」
「行けばわかると思うわ」
「今聞かせろ。お前はどう予想した」
「ターゲットよ」

 全部キャンセル掛けて払うもの払い、さっさと店を出る。
 すぐさま一斉に駆け出した。
 が、クリームがまったくついてこれず、早々に彼はUターン。
 人攫いに間違われないよう丁重に抱き上げて、改めて駆け出す。

「あら、羨ましいわね。でもパパって風には見えないわよ」
「王子様だからな」
「間の

が余計かな。最後の

に変えましょう」
「それじゃただのおじさんだろうが。その通りではあるんだがな」

 ほぉら、じょりじょりしてやると冗談で近付けた頬に肘鉄を貰いつつ、現場がそこまで離れていなかったこともあり、大して時間も掛からず着いたが、
 その場で屈みこみ、見聞するかのように地面を眺めていた男と鉢合わせる。

 見ていたのは、そこに書かれていた文字だ。ミークの予想は当たっていた。
 膝を立て、直後に話し掛けられる。

「煙を見て来たか。解読したのはそこの元プレシャスブラッドか」
「言って信じて貰えるかはわからないけど、専門外。ただ変に思って来ただけっていうか」

「今はそういうことにしておこう。時間もない。この文字は君らのお仲間が残したものだ」

「ターゲットって書いてあるな。つまりあいつは見つけた訳だ。で、今まさに追いかけてる」
「その認識で合っている。私はこの道を真っすぐ行くつもりだが、他にも道は沢山ある」

 今いる場所はレトロな雰囲気漂う住宅街で、抜け道のような細い道がいくつも走り、逃げるには事欠かない場所だ。
 しかし運が悪い。見つかった相手が最悪だ。
 行き先を示す目印もしっかり現場には残されており、今度も大手柄と言える。
 
 ただ見やすい位置だ。迂闊に目を向ければ気付かれよう。
 だから何食わぬ顔をして、話を合わせることに彼はした。
 
「わかった。別の所にしよう。あいつが戻って来たらどうにかして伝える」
「ふっ、物分かりが良くて助かる。ではな」

 背中が小さくなるまで見届けたあと、皆で道標を見る。
 水晶を隠しおいた傍に佇む古びた風車、その壁面には、
 新しくつけられた三本の引っ掻き傷があり、右側が判り易く長い。
 顔を向け合った。

「同行されずに済んで良かったな」
「真っ直ぐも行ってくれたし、明後日な所を探して貰っている間に私達は追加報酬を狙うと」
「それもある。だがまぁそれよりクリームだろ」
「私?」
「鏡を見てみろ。子供が映る。危険な所に連れていくか。怪しまれるのが目に見えてる」

 それは至極真っ当な意見ではあったろう。
 しかしそれゆえか、二人からは驚きを持って返される。

「ごもっとも。ではあるんだけど」
「意外には思っちゃうわよねぇ」
「全部秘密にしてあるんだ。当然だろ。自分から話すなら止めはしねぇが、お前はしねぇだろ」

 道の煉瓦は苔むし雑草伸びるこの場には、哀愁みたいなものが漂う。
 それがクリームの顔にも覗いた。

「まあね。フォウちゃんみたくはいかないよ」
「あの子は怖いもの知らずなだけよ。ロキさんも苦笑してたじゃない」
「良い拾い物をしたなとか言われたなぁ。てことで、幸運の女神のもとまで颯爽と駆けつけるとするか」

 頷きが返ってきて、道標を追う。伸びている側に進めばいい。
 右へ、左へ、追っ手を撒くような動きだが、人ひとりが通れるくらいの狭い道に入っていないのが、気に掛かる。察しがつくと、彼はニヤりと笑みをこぼす。

「だろうとは思ってたが、奴さん気付いてねぇな」
「あの能力だものね」
「ああ、振り払うような乱れた経路じゃねーんだ。こりゃ完璧に案内して貰えるな。あとは」
「どう調理するか」
「腕の見せどころだよな。茨の貴公子さんの活躍には期待してる」
「その名はもう捨てちゃったんだけど。愛剣も取り上げられちゃったし」

 今代わりに扱う二刀はミークの腰にはないが、普段の装いに合わせた派手なロッドケースに入れて担いではいる。
 堂々と下げておくのはまずいのだ。この国だと目立つ。早い話が通報される。

 終着点はやがて訪れ、迷路のような道の先に待っていたのは、変わったものではない。
 ここまでで散々見てきたものだ。沢山あるボロ家の一つ。
 しかし、そこに入ったことを確かに示すように玄関前に残された傷は真ん中が伸び、クリームを下ろすと彼は手のひらを向け、二人に静止を促す。

「ちょっとここで待ってろ。俺が鍵を開けてきてやる」

 そろりそろりと近付くような不審な動きを見せたりはしない。
 通行人の素振りで寄っていき、先ずは側を半周。
 どの窓にもカーテンが掛かっており、覗かれているような感じもない。
 だからそのままぐるっと回ろうとすると、上の窓が開いているのが見え、
 周囲に目を配った。

 しかし周りの地面、壁にも何も残されておらず、トラップであろうことを察す。
 逃げ込んだ人間の家のいるだ。もしもの際は、そこから出ていったとでも思わせたいのだろう。
 だとしたら屋根裏にでも潜んでいるか、地下という線もある。
 ただ思うこともあって、一度二人のもとまで戻った。

「そもそも俺が鍵を開ける必要はねぇように思ってな。あいつは何で出てこねぇ」

 二人も顔を見合わせていたが、わからないと言うような表情を揃って返す。

「もしかしてよ、見つかっちまったとかか。もうやられてるとか勘弁してくれよ」
「もしくはそうね――、出られない状況に陥ってる」
「それあるかも。フォウちゃん、隙間が真っ暗だと抜けられないみたいだから」
「ありそうだな」
「そう仮定すると思い浮かぶのは地下なんだけど、あなたはどう」
「入ってみりゃわかる。久しぶり過ぎてわくわくするな」

 ポケットから使い慣れたピッキング道具を出しつつ、その時彼の頭に浮かんでいたのは
 昔の記憶。
 銀行強盗よりも易く、金持ちの家にはよく忍び込んだ。
 その際、暴力を使うことはなかった。
 朝起きた時にどんな顔をするかと、想像する方が好きだったからだ。

 だからいつだって気付かれないよう鮮やかにこなし、どんなにむかつく顔の奴がいようと、
 飛びつきたくなるような美人が仮に裸で寝ていようとだ、
 絶対に手は出すなと、仲間にも徹底してきたくらいである。

 そのやり方を、言ったら美学を理解できない奴まで誤って引き入れてしまい、今に至る。

 クソッタレになったものだと思っていた。
 殺人にまで手を染めるはめになるとは思ってもみなかった

 子供の頃に思い描いていたのは、国の英雄のような誰からも愛される人気者だ。
 昔その男を目にし、大観衆に迎えられ声援を送られる姿に痺れ、強い憧れを抱きもしたが、同じ生き方は選べず。

 生まれた場所が悪かったからだ。クソとしか言いようのない悪臭漂う肥溜め(スラム)であり、親に愛情も注がれず、こんな悪逆非道ができあがった。

 確かに才能はあると自覚していた。
 母親譲りの暴力性と、置いてどこかへ消えてくれた父親譲りの逃げ足。
 悪党には必要不可欠なその二つを生まれながらに持っていたからだ。

 いや、もしかすると、これもそうなのかもしれない。

 するりと挿し込み、器用にねじって、終わりだ。音だってほとんど立ててはいない。
 鍵が掛かっていたのは一度ノブを下ろして確認済み。今一度下ろせば開く。
 二人に手招きしつつ先行して入り、足音を殺して、彼は階段を上っていく。

 いると思っていれば、無論一人で向かうなんて無謀な真似はしやしない。
 いくつかあった部屋はやはりもぬけの殻。

 天井裏にでも行ったかのように、これ見よがしの梯子が立て掛けられてあったのは、
 誤った認識を持たせる為だろうと察しもつく。

 そこにはいないはずだ。で、普通ならこう思う。足止めする為の罠だったかと。
 そしてやっぱりあの窓からと、見当違いな答えを導き出して、信じて疑わない。
 人の心理とはそういうものだ。

 同じ手を使ったことがある。その経験則から言っても間違いはない。

 フォウという情報源がなくとも妙に思うくらいはしたろうが、余計な手間は省けた。
 階段を降りて合流。
 予想通り相手は地下にいるということを指を下に向け、彼は二人に伝えた。

 そこからは出入口を探して家探しだ。本命くさいキッチンの床収納スペースは外れ、
 棚の中も見て、手分けして家具の下、浴室やトイレだって覗いてみたが、
 それらしきものは一向に見当たらず、募る苛立ちと共に煙草が欲しくなり、
 二人の背を押して、一度外に出る。

 気分を紛らわす為には場所を変えるというのは大事だ。
 代わりに新鮮な空気で肺を満たす。吸い応えはない。

「ふぅ、ちょっと休憩だ。モクがなくて頭が回らねぇ」
「それにしたって全然ないわよねぇ。どうなってるのかしら」

「引っ掻き傷も残ってなかったよね。密室殺人みたいというか、縁起でもないからアレだけど、感じは似てない?」
「言えてんな。実は俺も似たようなこと考えてて、こいつはテレポーテーションなんじゃねぇかって」
「馬鹿なこと言ってないの。あれって真相は双子だったりするそうよ」

 彼にとっては、目玉をひん剥く程の衝撃の走る言葉であった。
 わぁおと言わんばかりに全身で驚きを表現する。
 
「マジかよ! だがエスパー能力なら説明がつくだろ。あれは魔法とは違う宇宙的な力で、空間を操れる」
「私は全部手品の一種だと思ってるわよ。ネタ晴らし番組とかあるじゃない」
「もう二人共、話が脱線してるって。そもそもえすぱーとか、てれぽーてーしょんって何」

「知らねぇのか。遅れてんな。さっきも言ったが宇宙的な」
「はいはい、お黙んなさい。早い話がカルウェナンで信じられてる不思議な力で、魔法でもできないことをできちゃう力な訳ね」

「ああ、だから空間を操れるって。できないことの代表格だもんね」
「そうね。他にもたちどころに傷を塞いじゃうとかはないけど、病を一瞬で治したり、でもそんなこと本当にできるなら医者要らないじゃない。だからインチキ」

「おいおい、そう思うのは勝手だが、他にもこの世には摩訶不思議と言える力があんだろ。天使が授ける神の奇跡」
「あれ魔法だから、魔力使うし」

 またもや衝撃の走る言葉であった。今度は神に祈りたくさえある。

「嘘だろ――」
「本当だから。フォウちゃんにもあとで聞いてみたら。魔力使うって言うから」

 そこまでと、静止を掛けるようにミークが両手を広げた。
 
「落ち着きましょう。非現実的なことを考える前に、今見えてる現実を見つめ直すことから始めてみない」

「隠し部屋かもな。お前ら間取りを確認したか」
「ちょっと切り替え早過ぎない」

「だから頭が回ってなかったんだよ。やっと少しは回ってきた。家の大きさに対して中が狭けりゃ、そこには何かがある。冗談はここらにして戻るぜ」

 二人から何とも言えない顔で見つめ返されはしたが、首の動きで促して、再度中へ。
 間取りに注視すれば、角にある寝室に怪しさを覚える。

 奥行が足りていないというか、入ってすぐ横の壁が近く、
 それと一体化したクローゼットを彼は開く。

 服が詰まっていたのは確認済みだが、そこまでだったので全部退かし、何かないかと
 中を隈なく探る。するとだ、奥の板に手応えあり。

 地下なのだから、床から入るという固定観念に囚われていたようだ。
 押し込めるようで、スライドさせると地下階段がお目見えだ。
 
 下の方に明かりが見えるが、上の方にはなく、閉じられた状態であれば暗闇に閉ざされもするだろう。
 追跡の最中だ。咄嗟の判断を要求されたはず。

 誤って一緒に入り、それで戻ることができなくなったと結論も出たところで、
 押し込めていた身を戻すと戦闘準備を始めるミークの肩を叩き、クリームと一緒に外に出る。

 あとは任せておけばいい。仲良く突入したところで足手纏いになるのが目に見えている。
 何より今は煙草が欲しく、近い所はどこだったかと考えつつ、ひとまず通りへ向かって駆け足だ。

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