第9話 祝勝会に乱入者
文字数 6,912文字
酒にも種類がある。甘いのから辛いのまで。高いのから安いのまで。
冷やす冷やさないでも差が出て、この国の労働の後に飲む酒は、常温が適している。
ダークな色合いの酒が、並々注がれ運ばれていく。
繁華街の一角、賑わうには早い時間から腰を下ろし、乾杯の音頭を取るのは、
纏め役を務めるジャガーである。ジョッキを握り、軽く掲げた。
「依頼達成を祝して、追加報酬はなかったが、大儲けには違いない。今回も俺らの勝利だ。勝利の美酒に酔おう」
乾杯と、締め括ると、仲間達と杯をぶつけ合う。
全員が酒という訳ではないが。飲めない人間は、お決まりのミルクで代用である。
「いやぁ、この瞬間の為にやってるとこってあるわよねぇ。戦場は変われど味は変わらず。実際には変わってるんだけど、エールも悪くはないわ」
「それよりもうお腹ぺこぺこでさ、早く何か入れたい。酒場ってお料理からこないから嫌い」
「まさか昼抜き? これ食う? ナッツだけど。こいつもどうせ食えんし、ほれ」
今回は一人、オマケがいる。
フォウの言葉に笑っていたが、腹に響いたようで、そこを押さえて「いつつ」とこぼす。
「中は無事だったから食べられはするんだけどね。いや、自分の命が失われるって、あんな感覚なんだって、今回のことでよく理解できたというか、あんなに暑かったのに寒く感じたんだ。不思議だったよ」
「生きてたんだから良かったじゃん。借りは返したかんな」
「なんのかな。僕は何も貸した覚えはないけど」
「アイスと紅茶。忘れた?」
「ああ、それ。それはまぁ、男として当然のことと言うか、デートに誘った訳だしね」
ぱちっと入ったウインクに、しみじみと感じ入るような顔で、深い溜息がもれていた。
大怪我押して、病院を抜け出してきた彼の話しぶりに、いや男ぶりだろうか、
思うところでもあるのか、内に秘めたる茨を覗かせ、それをちくりと隣に刺しもする。
「紳士ねぇ。どこかの誰かとは大違い。そうは思わない?」
「誰のこと言ってんだ。俺も昼に奢ってやっただろうが」
「賭けに負けてでしょ」
逆側から擁護の声も上がった。クリームのものだ。
「ジャガーも二人でやってた頃は、何も言わずに出してくれてたよ」
「あら、そうなの。意外」
「ガキに払わせるかよ。そこまで腐った大人になった覚えはねぇ。手本となるような生き方をしねぇとなぁ」
「私子供じゃありません」
触れなければ、ただの子供の戯言だろう。
示し合わせたように二人で無視を決め込んだ。
「どの口が言ってるのよ」
「見てわからねぇか。この口だよ」
ハッハッハと笑い声を響かせ、酒が入る度、飲みも盛り上がっていく。
酔えば口も軽くなり、初対面のニックという彼ともすぐに打ち解け合う。
色んなことをジャガーは尋ねられた。
年齢、向こうでの暮らしぶり、ロキとの出会いにも触れることとなり、
その時を少し、思い返す。
生きていく上で必要な物と言ったら、衣食住。
その内の二つに困らない場所を手に入れたまでは良かったが、
退屈な日々を送らされていた。
その生活は、言ったら一般人にとっての幸せな暮らしであり、
朝起きて、夜眠る、健康的な暮らしでもある。
ついこの間まで死と隣り合わせ、その前とて泥棒稼業でスリルを味わっていた人間にとっては、物足りない。
心底つまらない。性に合わない、相応しくない。
今にも爆発しそうなストレスも抱えていたが、何より心が死んでいくような感覚があって、
このまま本当に死ぬのでは、そう思っていた、そんな折だ。出会ったのは。
空から降りてくる姿が、まるで天使のように見えた。
「詩人ですね。僕が気になっているのはそこからで、どうやってあの幽霊城に入ったのか――。そこに踏み入ろうとした者等が、誰一人として戻らなかったというのは有名な話。骨も残さず灰にされたとか、実際はどうなんです」
「その通りなんじゃねぇか。俺が住むようになって、訪ねてきたのはあのじじいだけだ。もう少しで細切れにされてた。止めたのはビスケ、いや、城のお姫様だ」
「ほう、あの月夜の晩に時折姿を現わすという、幽霊城の麗しの姫」
「よく知ってるな」
「まぁ、お伽話にもされるくらいですし、それで少し気になっていたのですが、そのビスケという姫のことです。ミヤベル・エルガルテではない?」
「誰だそりゃ」
「誰って、ご存じではありませんでしたか。パールフェバー辺境伯と共に処刑されたご令嬢のことです。やはり彼女ではないのか」
ミヤベル嬢じゃないですよ、とクリームが横から答え、
猫だしな、と茶化しつつ、フォウがそんな言葉も付け加える。
「少し話が取っ散らかってきましたね」
「そもそもその何たら言う伯爵様は誰だよ」
「伯とは付いても、伯爵ではないのですが――」
彼から説明を受けた。汚名を着せられ、処刑を受けた幽霊城のある地の最後の領主であると。
住んでいた場所など言わずもがな、その死を皮切りに、あの地は呪われ退廃することとなったとも聞かされる。
無論、黒騎士の仕業にはされていたが、ビスケから聞いたものはエピソードが違った。
焼き払ったという話は、出てこなかった。
「雑に伝わってんだな」
「それはもう何百年も前の話ですから、ところでその姫は、いつ頃からあの城に」
「知るわけねぇだろ。聞いたことなんかねぇよ。興味がなかった」
「ニック、だから猫だって」
「だから、それは知ってるんだけど、又聞きだけど聞いてね。何者かって話を今してる」
「えぇ、クリームパス」
「どうして回す、ミークお願い」
「人のこと言えないじゃないの。仕方ないわね。お姫様になる猫なのよ」
「その通りだ。ちげぇねぇ」
わっはっはと笑い合って、共に出来上がっていた。
そんな良い気分を覚ますように、そいつらはその時、現れた。
態々扉をぶち破るようにして入ってきて、ギャングかマフィアか、格好から区別はつかないが、でかい図体したのが寄ってくる。
後ろに見覚えのある奴がいる。ミイラ男のような顔ではあるが、ここへ来て早々、ぶちのめしてやった奴に違いない。懲りない奴だと思うと同時に仕返しに来たことを告げてくる。
「俺を覚えてるか。お礼をたっぷりしに来てやったぜ。賞金首のジャガーさんよ」
「生憎と人違いだ。誰だてめぇ、どこのピラミッドから這い出てきた。北の方か?」
「どこまでもふざけた野郎だな。だが今度はそうはいかねぇぞ。ゴンズ」
大槌振り下ろすかの如く、握り固められた巨拳が降ってくる。
バゴン、と破砕音が響き渡って、テーブルがぶっ壊されると同時、何かがぷつりと切れる音を彼は耳にした。
頭の中からだ。ただ血が昇ってくるような感覚もなく、冷静に席を立って、
でかいのの顔面目掛け、拳のフルスイングをお見舞いした。そのままド派手にぶっ飛ばす。
「どべあっ!?」
「てて、てめぇ! この数が見えねぇか!」
ひい、ふう、みいと数えていくのも面倒になるくらいよく揃えたものだ。
しかしだ、数を揃えて何になる。いいや、獰猛な獣を狩るには狩人の数が足りてはいない。
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ。良い気分が台無しだ。だがお前らみたいなのは嫌いじゃねぇ、むしろ好きだぜ。なんでか、わかるか」
俺より弱いからだと続けると、乱闘という名の馬鹿騒ぎが始まった。
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、そんな言葉がしっくりくる。
一人で圧倒する暴君がそこには居た。
窓を突き破っていった奴は材料にはできないが、喧騒が鎮まると一人ずつ引きづっていき、
椅子をこさえていた。
今回は玉座となる。
最後まで勝ち残ったチャンピオンに相応しい物であり、高く積み上がると、上に腰掛け煙草を吸う。尻の下から戯れ言がした。
「ぐく、てめぇはもう助からねぇぞ……、こんなことして、組織全員がてめぇを追う……」
「慣れてるよ。大体どの口がほざいてんだ。賞金首ってほざいたってことは、端からそのつもりだろ」
ミイラ男の額に煙草の火を持っていき、押し付け、彼は炙った。
えぁあっ、と囀る。
呻き声上げる死者ではなく、小鳥だったか。良い声で鳴くものだ。
「丁度寒くなってきたしな。キャンプファイヤーするには良い頃合いだと思わねぇか。人間バーベキューだ」
気分が乗って高笑いをかますと、「悪魔」と怯え混じりの声が聞こえ、彼は鼻で笑い返す。
そいつはもっと奥に行った所にいるよ、と思った丁度その時。
嫌な音が耳に届く。狼の遠吠えのように伸び響くサイレンの音である。
傍ではない。が、ここへ来る気がしてならない。誰かが通報したか。
ロキには常々こう言われている。
こちらで悪事は働くなよと。
悪いことをした覚えなどないが、この惨状を見て、相手がどう判断してくるかは、
また話が別だろう。
まずいとしか言いようのない状況であり、どう申し開きするか、
少し彼は考えて、頭が回らなさ過ぎて諦め、玉座を降りて席に戻った。
丁度ミークがほとんど口をつけていないジョッキを握っており、ひったくって、飲み干した。
流し込んだ酒が良い具合に記憶を呑んでくれたはずだ。隣を見て、目を丸くする。
「なんだこれは、誰がやったんだ! 俺以外の奴だろ」
「馬鹿なこと言ってないで、お縄になんなさい」
「なんでだよ。覚えてないんだ。知ってるか、酷い酩酊状態の場合、罪に問えない」
そんなケースもあるにはある、という事例を知っているだけで、無駄な足掻きなことくらいは理解できていた。
いや、できてしまっており、これは駄目だと額をはたき、もう一杯と注文を飛ばす。
「おーい、酒だ」
返ってきたのは無反応であり、予想通りの事態も起きる。
喧しいサイレンの音が傍まで来ており、車のとまる音もした。
窓の外に目を向けると、降りてくる女の姿が見えた。
この国では司法も軍が担い、民間の取り締まりも憲兵が行う。
しかし珍しい。軍は男の職場。しかも男に開けさせ、あごで使うとは。
人生の大半を追われてきた身。入り口に背を向けるような座り方を彼はしておらず、
ぶっ壊れた入り口からまず、目に留まった女が入ってきて、後ろには部下と思しき男が二人、ご対面となる。
女は店内を見回すように軽く視線を横に滑らせたのち、玉座に寄っていく。
前まで行くと蹴り上げた。椅子が業火に包まれる。
人間バーベキューとなった材料共が悲鳴を上げながら転げ回り、指鳴らしでその火は消え、
呻き声と、肉の焼けた匂いだけが残った。随分ぶっ飛んだ性格をしているようだ。
「焼却施設の手間を省いてやろうと思ったが、必要なことを思い出した。死なぬよう連れていけ」
戸惑いを見せつつも、部下の男二人は引き締まった返事と共に敬礼を返し、素早く行動に移る。
焼肉共が運び出されていく、その最中、
「どうしてジェシカが、これは何かあるね」
ニックの口からそうもれ、知り合いであることがわかった。
将校であることを示す胸に輝く六芒星、えらく別嬪であること、気になる点は様々ある。
だが一番は、やはりこれか。
「あの女はなにもんだ、どうしてあんないかれた真似をしやがった」
「んー、そうですね、鏡の話とかしたいところではありますが、あんな性格なんです。いつも無理してる」
「無理か。俺にはとてもそうは見えなかったが、女だからってことかぁ?」
「ええ。舐められないようにって、そこ突っつくと凄く怒るんですけど、だから無理してるってばれちゃうんだよって、これ内緒ですよ」
聞こえているぞ、と声が飛んでくる。かつかつ軍靴鳴らして寄ってもきた。
「ニック、お前は不覚にも犬に腹を食い破られて入院するはめになったと聞いていたが、何故ここにいる」
「命を救って貰ったお礼でかな。一杯奢ろうとね」
「そういうわけだ。ここの代金は全部こいつが持つ。弁償費もな」
「流石にそこまでは、言ってませんし、ご遠慮したく」
「ダチじゃねぇか。頼むよ」
「僕にではなく、そこの綺麗なおねえさんに言ってみては」
目を向けると、「構わんぞ」とくる。ただこうも続けた。
「お前しだいだ。新しい依頼を持ってきた。今回の報酬と一緒に前金も入れてある」
女から革袋を受け取り、彼はテーブルにひっくり返す。
全員で中身を数えた。金の小板が百枚あった。
示すところは、今回と同じく命に関わる仕事ということだ。
「あまり考えたくはないが、また俺を餌にしようってか。御免被るぜ」
「いいや、お前にはカルウェナンに渡って貰う。あまり聞かれたくない話だ。足を上げろ」
疑問に思った瞬間には、足元に冷気がきて、反射的に床から靴を離していた。
床が凍りついていく。氷の壁が周りを覆うようにそびえ立った。
外側が見えないくらいのぶ厚さを誇り、防音効果はかなりありそうだ。
「例のハッピーフラワーの原材料、できればその製造法まで掴んできて貰いたい」
「話を聞けよ。俺は御免被るって言ったんだぜ。家に帰って彼氏にでも慰めて貰ってろ」
「例え話をしよう。もしお前が売れば高値の付く獣を飼っていたとして、それ以上の価値をその獣が示さなくなったら、どうする」
「さあな。お前らのボスでもファックさせるんじゃねぇか。俺の話じゃねぇぞ」
「売るに決まっているだろう」
彼は盛大に笑ってみせ、それを返答とした。
「何が可笑しい」
「これが笑わずにいられるか。俺が住んでる場所はどこだ」
「何が言いたい」
「城に籠っちまえば、手は出されねぇよ。あそこの悪霊が誰を追い返したと思ってんだ。カルウェナンの英雄だぞ。あの千騎士グラムス・リブル・ロックストーンだ」
「だとしても一生引き籠るつもりか。二度と外には出られなくなるぞ。お前も、お前の仲間もな」
「へぇ、手配書でも回そうってか。えぐいやり方だな。じじいの入れ知恵か」
「どう動かすかは私に委ねられている」
「そうか。嫌なこった。帰りな」
溜息が戻ってきて、彼も一服で返す。
完全に酔いは覚めていた。頭に浮かぶのは、嫌な思い出ばかり。
幼少期のものではない。逃げていた当時の血みどろの光景だ。
他の思い出も沢山あるというのに、何故か浮かんでこず、その時の記憶ばかりが浮かぶ。
こんな風になったのは、あの時からだ。森での話。
しつこく追ってきた追っ手の一人を、殴り殺したのがきっかけだった。
そんなつもりはなかった。聞きかじっただけの蘇生法も試みてはみた。
息を吹き返すような様子もなく、喉が張り裂けんばかりに叫んで、
何度も傍にあった木に拳を打ちつけていた。
指の皮が裂けていた。血に塗れた手で喉を押さえて、胃の内容物をもぶちまけ、
追い詰めるからだと、自己を正当化していく中で、タガのようなものが外れていき、
そうしてその森に一匹の獣が産み落とされることになった。
いいや、魔物だろう。
獰猛で残虐、黒豹という異名に恥じぬ人の血を啜る飢えた怪物だ。
「この場で拘束しても良いのだぞ」
「なら従順なフリでもすりゃいい。解放しなきゃなんねぇだろ」
「いつまで駄々をこねるつもりだ。――新しいものではないが、お前を売った男の情報もある。エルマー・ギイは罪を逃れ、今は羽振りの良い暮らしを送っている。住処を変えながら、お前が怖いのだろう」
言葉を発す前に、彼は少し溜めを作った。
状況をのみこむ時間が欲しかった。思考を回す間も。
「どうして最初に言わなかった」
「考え合ってのことじゃない。苦し紛れに言っただけだ」
「正直者だな。ブラフじゃねぇのか」
「得意分野だろう。こちらの掴んでいる情報くらいは既に持っていると、考え過ぎていた。買い被りが過ぎただけだ。もう少しあるが、どうする」
答えは決まっていた。
聞かされてしまった以上、もうノウノウとは生きていられない。
「誰がやったのか、あんま考えないようにしてたんだ――。あいつら気の良い奴らでよ、全員を嫌いにはなりたくなかった。あいつのことも嫌いじゃなかったよ。今の今まではな。クソやろう」
気持ちを吐露して、彼は続けた。
「良い情報なんだろうな」
「追う手掛かりにはなるだろう。使っている偽名も教えてやる」
「いいだろう。だがこれは俺の問題だ。ミーク、お前はどうする」
目を向けると、ミークは肩に手をやる。
少し考え込むようにして、言った。
「そうねぇ。この傷だし、私も色々あってこっちに来た身だから、あまり戻りたくはないのよね。とはいえ、あなたみたいに指名手配にされてる訳じゃないわ。放ってもおけないし」
「ありがとよ。信用してる」
「嘘おっしゃい」
「俺の目はな、もう信用できたもんじゃねぇが、ビスケ の目は信用してんだ。心を見透かしてきやがるからな。つまりはお前も信用できるってこった」
「そう言えば、みんな同じこと言われたのよね」
「ああ? そりゃ初耳だ」
今その彼女の目は、城の上、夜空に湧き出で、星々の彩り取りこむ精霊の泉 へと向けられる。
姿を変えていく。
月光のような淡い金の色合いの髪が吹く風に棚引いて、白いドレスが揺れた。
上っていたバルコニーの塀の上で、くるりと身を回して、内へと降りる。
トン、と。
透き通るガラスの靴が、床を蹴った。
冷やす冷やさないでも差が出て、この国の労働の後に飲む酒は、常温が適している。
ダークな色合いの酒が、並々注がれ運ばれていく。
繁華街の一角、賑わうには早い時間から腰を下ろし、乾杯の音頭を取るのは、
纏め役を務めるジャガーである。ジョッキを握り、軽く掲げた。
「依頼達成を祝して、追加報酬はなかったが、大儲けには違いない。今回も俺らの勝利だ。勝利の美酒に酔おう」
乾杯と、締め括ると、仲間達と杯をぶつけ合う。
全員が酒という訳ではないが。飲めない人間は、お決まりのミルクで代用である。
「いやぁ、この瞬間の為にやってるとこってあるわよねぇ。戦場は変われど味は変わらず。実際には変わってるんだけど、エールも悪くはないわ」
「それよりもうお腹ぺこぺこでさ、早く何か入れたい。酒場ってお料理からこないから嫌い」
「まさか昼抜き? これ食う? ナッツだけど。こいつもどうせ食えんし、ほれ」
今回は一人、オマケがいる。
フォウの言葉に笑っていたが、腹に響いたようで、そこを押さえて「いつつ」とこぼす。
「中は無事だったから食べられはするんだけどね。いや、自分の命が失われるって、あんな感覚なんだって、今回のことでよく理解できたというか、あんなに暑かったのに寒く感じたんだ。不思議だったよ」
「生きてたんだから良かったじゃん。借りは返したかんな」
「なんのかな。僕は何も貸した覚えはないけど」
「アイスと紅茶。忘れた?」
「ああ、それ。それはまぁ、男として当然のことと言うか、デートに誘った訳だしね」
ぱちっと入ったウインクに、しみじみと感じ入るような顔で、深い溜息がもれていた。
大怪我押して、病院を抜け出してきた彼の話しぶりに、いや男ぶりだろうか、
思うところでもあるのか、内に秘めたる茨を覗かせ、それをちくりと隣に刺しもする。
「紳士ねぇ。どこかの誰かとは大違い。そうは思わない?」
「誰のこと言ってんだ。俺も昼に奢ってやっただろうが」
「賭けに負けてでしょ」
逆側から擁護の声も上がった。クリームのものだ。
「ジャガーも二人でやってた頃は、何も言わずに出してくれてたよ」
「あら、そうなの。意外」
「ガキに払わせるかよ。そこまで腐った大人になった覚えはねぇ。手本となるような生き方をしねぇとなぁ」
「私子供じゃありません」
触れなければ、ただの子供の戯言だろう。
示し合わせたように二人で無視を決め込んだ。
「どの口が言ってるのよ」
「見てわからねぇか。この口だよ」
ハッハッハと笑い声を響かせ、酒が入る度、飲みも盛り上がっていく。
酔えば口も軽くなり、初対面のニックという彼ともすぐに打ち解け合う。
色んなことをジャガーは尋ねられた。
年齢、向こうでの暮らしぶり、ロキとの出会いにも触れることとなり、
その時を少し、思い返す。
生きていく上で必要な物と言ったら、衣食住。
その内の二つに困らない場所を手に入れたまでは良かったが、
退屈な日々を送らされていた。
その生活は、言ったら一般人にとっての幸せな暮らしであり、
朝起きて、夜眠る、健康的な暮らしでもある。
ついこの間まで死と隣り合わせ、その前とて泥棒稼業でスリルを味わっていた人間にとっては、物足りない。
心底つまらない。性に合わない、相応しくない。
今にも爆発しそうなストレスも抱えていたが、何より心が死んでいくような感覚があって、
このまま本当に死ぬのでは、そう思っていた、そんな折だ。出会ったのは。
空から降りてくる姿が、まるで天使のように見えた。
「詩人ですね。僕が気になっているのはそこからで、どうやってあの幽霊城に入ったのか――。そこに踏み入ろうとした者等が、誰一人として戻らなかったというのは有名な話。骨も残さず灰にされたとか、実際はどうなんです」
「その通りなんじゃねぇか。俺が住むようになって、訪ねてきたのはあのじじいだけだ。もう少しで細切れにされてた。止めたのはビスケ、いや、城のお姫様だ」
「ほう、あの月夜の晩に時折姿を現わすという、幽霊城の麗しの姫」
「よく知ってるな」
「まぁ、お伽話にもされるくらいですし、それで少し気になっていたのですが、そのビスケという姫のことです。ミヤベル・エルガルテではない?」
「誰だそりゃ」
「誰って、ご存じではありませんでしたか。パールフェバー辺境伯と共に処刑されたご令嬢のことです。やはり彼女ではないのか」
ミヤベル嬢じゃないですよ、とクリームが横から答え、
猫だしな、と茶化しつつ、フォウがそんな言葉も付け加える。
「少し話が取っ散らかってきましたね」
「そもそもその何たら言う伯爵様は誰だよ」
「伯とは付いても、伯爵ではないのですが――」
彼から説明を受けた。汚名を着せられ、処刑を受けた幽霊城のある地の最後の領主であると。
住んでいた場所など言わずもがな、その死を皮切りに、あの地は呪われ退廃することとなったとも聞かされる。
無論、黒騎士の仕業にはされていたが、ビスケから聞いたものはエピソードが違った。
焼き払ったという話は、出てこなかった。
「雑に伝わってんだな」
「それはもう何百年も前の話ですから、ところでその姫は、いつ頃からあの城に」
「知るわけねぇだろ。聞いたことなんかねぇよ。興味がなかった」
「ニック、だから猫だって」
「だから、それは知ってるんだけど、又聞きだけど聞いてね。何者かって話を今してる」
「えぇ、クリームパス」
「どうして回す、ミークお願い」
「人のこと言えないじゃないの。仕方ないわね。お姫様になる猫なのよ」
「その通りだ。ちげぇねぇ」
わっはっはと笑い合って、共に出来上がっていた。
そんな良い気分を覚ますように、そいつらはその時、現れた。
態々扉をぶち破るようにして入ってきて、ギャングかマフィアか、格好から区別はつかないが、でかい図体したのが寄ってくる。
後ろに見覚えのある奴がいる。ミイラ男のような顔ではあるが、ここへ来て早々、ぶちのめしてやった奴に違いない。懲りない奴だと思うと同時に仕返しに来たことを告げてくる。
「俺を覚えてるか。お礼をたっぷりしに来てやったぜ。賞金首のジャガーさんよ」
「生憎と人違いだ。誰だてめぇ、どこのピラミッドから這い出てきた。北の方か?」
「どこまでもふざけた野郎だな。だが今度はそうはいかねぇぞ。ゴンズ」
大槌振り下ろすかの如く、握り固められた巨拳が降ってくる。
バゴン、と破砕音が響き渡って、テーブルがぶっ壊されると同時、何かがぷつりと切れる音を彼は耳にした。
頭の中からだ。ただ血が昇ってくるような感覚もなく、冷静に席を立って、
でかいのの顔面目掛け、拳のフルスイングをお見舞いした。そのままド派手にぶっ飛ばす。
「どべあっ!?」
「てて、てめぇ! この数が見えねぇか!」
ひい、ふう、みいと数えていくのも面倒になるくらいよく揃えたものだ。
しかしだ、数を揃えて何になる。いいや、獰猛な獣を狩るには狩人の数が足りてはいない。
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ。良い気分が台無しだ。だがお前らみたいなのは嫌いじゃねぇ、むしろ好きだぜ。なんでか、わかるか」
俺より弱いからだと続けると、乱闘という名の馬鹿騒ぎが始まった。
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、そんな言葉がしっくりくる。
一人で圧倒する暴君がそこには居た。
窓を突き破っていった奴は材料にはできないが、喧騒が鎮まると一人ずつ引きづっていき、
椅子をこさえていた。
今回は玉座となる。
最後まで勝ち残ったチャンピオンに相応しい物であり、高く積み上がると、上に腰掛け煙草を吸う。尻の下から戯れ言がした。
「ぐく、てめぇはもう助からねぇぞ……、こんなことして、組織全員がてめぇを追う……」
「慣れてるよ。大体どの口がほざいてんだ。賞金首ってほざいたってことは、端からそのつもりだろ」
ミイラ男の額に煙草の火を持っていき、押し付け、彼は炙った。
えぁあっ、と囀る。
呻き声上げる死者ではなく、小鳥だったか。良い声で鳴くものだ。
「丁度寒くなってきたしな。キャンプファイヤーするには良い頃合いだと思わねぇか。人間バーベキューだ」
気分が乗って高笑いをかますと、「悪魔」と怯え混じりの声が聞こえ、彼は鼻で笑い返す。
そいつはもっと奥に行った所にいるよ、と思った丁度その時。
嫌な音が耳に届く。狼の遠吠えのように伸び響くサイレンの音である。
傍ではない。が、ここへ来る気がしてならない。誰かが通報したか。
ロキには常々こう言われている。
こちらで悪事は働くなよと。
悪いことをした覚えなどないが、この惨状を見て、相手がどう判断してくるかは、
また話が別だろう。
まずいとしか言いようのない状況であり、どう申し開きするか、
少し彼は考えて、頭が回らなさ過ぎて諦め、玉座を降りて席に戻った。
丁度ミークがほとんど口をつけていないジョッキを握っており、ひったくって、飲み干した。
流し込んだ酒が良い具合に記憶を呑んでくれたはずだ。隣を見て、目を丸くする。
「なんだこれは、誰がやったんだ! 俺以外の奴だろ」
「馬鹿なこと言ってないで、お縄になんなさい」
「なんでだよ。覚えてないんだ。知ってるか、酷い酩酊状態の場合、罪に問えない」
そんなケースもあるにはある、という事例を知っているだけで、無駄な足掻きなことくらいは理解できていた。
いや、できてしまっており、これは駄目だと額をはたき、もう一杯と注文を飛ばす。
「おーい、酒だ」
返ってきたのは無反応であり、予想通りの事態も起きる。
喧しいサイレンの音が傍まで来ており、車のとまる音もした。
窓の外に目を向けると、降りてくる女の姿が見えた。
この国では司法も軍が担い、民間の取り締まりも憲兵が行う。
しかし珍しい。軍は男の職場。しかも男に開けさせ、あごで使うとは。
人生の大半を追われてきた身。入り口に背を向けるような座り方を彼はしておらず、
ぶっ壊れた入り口からまず、目に留まった女が入ってきて、後ろには部下と思しき男が二人、ご対面となる。
女は店内を見回すように軽く視線を横に滑らせたのち、玉座に寄っていく。
前まで行くと蹴り上げた。椅子が業火に包まれる。
人間バーベキューとなった材料共が悲鳴を上げながら転げ回り、指鳴らしでその火は消え、
呻き声と、肉の焼けた匂いだけが残った。随分ぶっ飛んだ性格をしているようだ。
「焼却施設の手間を省いてやろうと思ったが、必要なことを思い出した。死なぬよう連れていけ」
戸惑いを見せつつも、部下の男二人は引き締まった返事と共に敬礼を返し、素早く行動に移る。
焼肉共が運び出されていく、その最中、
「どうしてジェシカが、これは何かあるね」
ニックの口からそうもれ、知り合いであることがわかった。
将校であることを示す胸に輝く六芒星、えらく別嬪であること、気になる点は様々ある。
だが一番は、やはりこれか。
「あの女はなにもんだ、どうしてあんないかれた真似をしやがった」
「んー、そうですね、鏡の話とかしたいところではありますが、あんな性格なんです。いつも無理してる」
「無理か。俺にはとてもそうは見えなかったが、女だからってことかぁ?」
「ええ。舐められないようにって、そこ突っつくと凄く怒るんですけど、だから無理してるってばれちゃうんだよって、これ内緒ですよ」
聞こえているぞ、と声が飛んでくる。かつかつ軍靴鳴らして寄ってもきた。
「ニック、お前は不覚にも犬に腹を食い破られて入院するはめになったと聞いていたが、何故ここにいる」
「命を救って貰ったお礼でかな。一杯奢ろうとね」
「そういうわけだ。ここの代金は全部こいつが持つ。弁償費もな」
「流石にそこまでは、言ってませんし、ご遠慮したく」
「ダチじゃねぇか。頼むよ」
「僕にではなく、そこの綺麗なおねえさんに言ってみては」
目を向けると、「構わんぞ」とくる。ただこうも続けた。
「お前しだいだ。新しい依頼を持ってきた。今回の報酬と一緒に前金も入れてある」
女から革袋を受け取り、彼はテーブルにひっくり返す。
全員で中身を数えた。金の小板が百枚あった。
示すところは、今回と同じく命に関わる仕事ということだ。
「あまり考えたくはないが、また俺を餌にしようってか。御免被るぜ」
「いいや、お前にはカルウェナンに渡って貰う。あまり聞かれたくない話だ。足を上げろ」
疑問に思った瞬間には、足元に冷気がきて、反射的に床から靴を離していた。
床が凍りついていく。氷の壁が周りを覆うようにそびえ立った。
外側が見えないくらいのぶ厚さを誇り、防音効果はかなりありそうだ。
「例のハッピーフラワーの原材料、できればその製造法まで掴んできて貰いたい」
「話を聞けよ。俺は御免被るって言ったんだぜ。家に帰って彼氏にでも慰めて貰ってろ」
「例え話をしよう。もしお前が売れば高値の付く獣を飼っていたとして、それ以上の価値をその獣が示さなくなったら、どうする」
「さあな。お前らのボスでもファックさせるんじゃねぇか。俺の話じゃねぇぞ」
「売るに決まっているだろう」
彼は盛大に笑ってみせ、それを返答とした。
「何が可笑しい」
「これが笑わずにいられるか。俺が住んでる場所はどこだ」
「何が言いたい」
「城に籠っちまえば、手は出されねぇよ。あそこの悪霊が誰を追い返したと思ってんだ。カルウェナンの英雄だぞ。あの千騎士グラムス・リブル・ロックストーンだ」
「だとしても一生引き籠るつもりか。二度と外には出られなくなるぞ。お前も、お前の仲間もな」
「へぇ、手配書でも回そうってか。えぐいやり方だな。じじいの入れ知恵か」
「どう動かすかは私に委ねられている」
「そうか。嫌なこった。帰りな」
溜息が戻ってきて、彼も一服で返す。
完全に酔いは覚めていた。頭に浮かぶのは、嫌な思い出ばかり。
幼少期のものではない。逃げていた当時の血みどろの光景だ。
他の思い出も沢山あるというのに、何故か浮かんでこず、その時の記憶ばかりが浮かぶ。
こんな風になったのは、あの時からだ。森での話。
しつこく追ってきた追っ手の一人を、殴り殺したのがきっかけだった。
そんなつもりはなかった。聞きかじっただけの蘇生法も試みてはみた。
息を吹き返すような様子もなく、喉が張り裂けんばかりに叫んで、
何度も傍にあった木に拳を打ちつけていた。
指の皮が裂けていた。血に塗れた手で喉を押さえて、胃の内容物をもぶちまけ、
追い詰めるからだと、自己を正当化していく中で、タガのようなものが外れていき、
そうしてその森に一匹の獣が産み落とされることになった。
いいや、魔物だろう。
獰猛で残虐、黒豹という異名に恥じぬ人の血を啜る飢えた怪物だ。
「この場で拘束しても良いのだぞ」
「なら従順なフリでもすりゃいい。解放しなきゃなんねぇだろ」
「いつまで駄々をこねるつもりだ。――新しいものではないが、お前を売った男の情報もある。エルマー・ギイは罪を逃れ、今は羽振りの良い暮らしを送っている。住処を変えながら、お前が怖いのだろう」
言葉を発す前に、彼は少し溜めを作った。
状況をのみこむ時間が欲しかった。思考を回す間も。
「どうして最初に言わなかった」
「考え合ってのことじゃない。苦し紛れに言っただけだ」
「正直者だな。ブラフじゃねぇのか」
「得意分野だろう。こちらの掴んでいる情報くらいは既に持っていると、考え過ぎていた。買い被りが過ぎただけだ。もう少しあるが、どうする」
答えは決まっていた。
聞かされてしまった以上、もうノウノウとは生きていられない。
「誰がやったのか、あんま考えないようにしてたんだ――。あいつら気の良い奴らでよ、全員を嫌いにはなりたくなかった。あいつのことも嫌いじゃなかったよ。今の今まではな。クソやろう」
気持ちを吐露して、彼は続けた。
「良い情報なんだろうな」
「追う手掛かりにはなるだろう。使っている偽名も教えてやる」
「いいだろう。だがこれは俺の問題だ。ミーク、お前はどうする」
目を向けると、ミークは肩に手をやる。
少し考え込むようにして、言った。
「そうねぇ。この傷だし、私も色々あってこっちに来た身だから、あまり戻りたくはないのよね。とはいえ、あなたみたいに指名手配にされてる訳じゃないわ。放ってもおけないし」
「ありがとよ。信用してる」
「嘘おっしゃい」
「俺の目はな、もう信用できたもんじゃねぇが、
「そう言えば、みんな同じこと言われたのよね」
「ああ? そりゃ初耳だ」
今その彼女の目は、城の上、夜空に湧き出で、星々の彩り取りこむ
姿を変えていく。
月光のような淡い金の色合いの髪が吹く風に棚引いて、白いドレスが揺れた。
上っていたバルコニーの塀の上で、くるりと身を回して、内へと降りる。
トン、と。
透き通るガラスの靴が、床を蹴った。