第三章 恐皇フィア・パーパ

文字数 19,817文字

「『使徒』ソロモンはフィア・パーパ足り得ない。彼女は確かにシステムの土台を創り上げた。パーフェクト・スリー・ペアの概念に着目した。だが、彼女のシステムの恣意的解釈を見落とした。中華国と共産国にある同様のシステムが接触したらどうなるかまで予見していなかった」
「それは……」
 その先のことは絶句せざる得ない。可能性として考えるべきだった。この目の前にいる少女がどうしてソロモンと言う確証があったのか? 
 少年だ。
 少年は彼女をそう認めていたからだ。だが、固有名詞は使ってなかった。
 どういうことだ。少年は意図的に嘘を吐いたのか?
 緊張から体中の筋肉が強張り始める。
「ミカエル様は嘘そのものを言ってはいないわよ。この端末は『使徒』ソロモンのデータを基に複製したものよ」
「では、何故少年はその時真実を言わなかった?」
「あなたの良き『家族』である彼は私に干渉出来ない」
「どういう意味だ?」
「さっき言ったでしょう? フィア・パーパは人類の守護者であると」
「支配者なのに……弾圧しないのか? 人類の中にはお前に敵対する者がいる筈なのに」
「フィア・パーパはフェア・パーパでもあるのよ」
「平等、公平を重んじるとでも?」
「そう、そして決して世の表の支配者にならない。あなた達からすれば実態のない蜃気楼を視ているもの」
「随分断定的な物言いだな」
「第一段階は終わったのよ。邂逅は済ませたもので。後は暗幕の中に隠れるだけなのよ」
「少年狙いか」
「あら、怖い。あなたでもそんな表情をするのね。でも、あれ以上答えてくれそうにないし、仕方がないわよね」
「あれ以上?」
「『決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ』」
「何のことだ? その聖句とお前に何の関わりがある?」
「幾つかの答えは存在しているわ。後は『使徒』達に確認を取れば良いじゃない」
 彼女は影が色濃くなる様にやがては霧散していった。
「ミカエル」
 声掛けすると少年は爽やかな風と共に現われた。
「何かな?」
「私を出汁にしてとんだ駆け引きをやっていた様子だな」
「ごめんね。フィア・パーパは非常に狡猾でね。でも、言っていたのは概ね真実だよ、推論も多く混じっていたけどね」
「あんたはフィア・パーパに干渉は出来ないのか?」
「人々の『自由意志』を尊重するなら動けない。切っ掛けを創ったのがソフィア姉様でもその土台を創り上げたのは他ならない人々なんだ。それにフィア・パーパは歪曲的な支配者だよ。自らの手を汚そうとしないよ。それは最期の手段だろうね。他の人々に干渉してあたかもその人の意志で行ったのかの様に仕向けるやり口なんだよね」
 少年は珍しく溜め息を吐いた。灰色の境界で世界に干渉するのが、システムのやり口なら少年は動けない。少年にとってももどかしい問題なのだろう。だからと言って看過も出来ない。フィア・パーパが狡猾以上に悪魔の手口の巧みさに忸怩たる思いなのだろう。
「君にも責任の一端があるんだよ?」
 少年は嘆息しながらこちらに向き直る。
「ジ・オーダーか」
「オーダーが壊滅的な未来をもたらす。これにシステムが気付かなかったら三つのシステムが自主的に統合しようなんて考えもしなかったと思うよ」
「本物のソロモン卿は今頃大慌てか」
「そうだねえ。本人は『ミカエル様、単刀直入に申し上げます。子冬卿の処断を』なんて言わないよ」
「出会い頭にストレート一発か。怖くて会えないな」
「いや、それはないよ」
「えっ」
「多分出会い頭にマウントポジションを取って息絶えるまで殴り続けられるだろうね」
「昔から思っていたが、どうして信徒達はこうも容赦ないのか理解出来ない時があるな。歴史を見ても十字軍、コンキスタドール、大英帝国の海賊、同盟国の無慈悲な圧倒的進軍、強すぎて逆に引くわ」
「君も同じ系譜だよ」
「嘘を吐け。虚弱な私の何処が同じ系譜なものか」
「自覚がないんだね……」
 少年は困った表情をしている。
 もしかして自分も十分過ぎる程過激だと言うのか。ありえない。戦う為に生まれた戦闘種族と平和な時代を生きた自分とでは雲泥の差だ。
「そもそも考えてみろ。中東諸国では十字架は恐怖の象徴なんだぞ。又、ドラキュラのモデルの原型にもなったウラド公は確かに教会諸国を守護した偉大なる英雄でもあるが中東から悪魔呼ばわりされて恐れられただろう」
「じゃあ、ジ・オーダーが考案したグリーン・ヒューマン計画は?」
 砂漠地帯の多い西アフリカ諸国から北はカザフ方面、東はインド近くの人々の体を樹木などに置換させる計画だったな。遺伝技術を応用した細菌計画だったと憶えている。
「まあ、人道的には優しくないが一応環境に考慮した計画なんだがな」
「その後、地球を焦土化するのに?」
「それは……まあ」
「子冬、その考えを狂人と世は呼ぶんだよ。駄目だよ。現実は辛いからと言ってお父様から眼を背けるのは善くない。悪魔の誘惑に捕り付かれるのは善くないんだよ。人の偉大さは絶望しても尚世界をより良い世界に変えようとする意志にあるのに」
「気軽に言ってくれるな。罪を赦せば自分も又赦される。これは得てして真実だが人間は真理を示されても従順になれんよ。感情がそれを赦さない。塵は塵に、憎悪は憎悪に。人間世界のある面の真実だよ」
「それで又宜しくない発案をしてしまった訳かい?」
「何故そう判断する?」
「悪の表情になっているから」
「それはどんな表情だ?」
「とても仄暗い闇に罪に満ちた愉悦を見出している様な表情だよ」
「解り辛い説明だな。まあ、良い。創造経済のことはある程度説明した。後の細かい原理は色々な人物達が後世に勝手に創り上げてくれるだろう。問題は第二世代アロンだ」
「アロン? 廃棄されたものをどうするのさ?」
「第一世代型のアロンは非効率だ。しかも情報元が中華系だけに情報戦に利用されただけの兵器でしかない」
 実際、運用すれば非効率な衛星兵器だ。推進力、重量を位置、運動エネルギーに変換する為に砲弾の輸送費だけ随分予算が掛かってしまう代物。仮に光学兵器に転用しても射出口の耐久性で非効率な兵器になってしまう。
「現在、同盟国でワープ理論を基礎レベルで実用化している動きがあるな」
 それだけで少年は邪な意図を見抜いた様だ。
「円と直線かい?」
「ああ、円の円周に接する直線部分のみを破壊する兵器だ。まあ、実際には天体の引力が関わるので厳密な計算が必要になるが」
「君が考える問題は凡庸以下の君の考えることはフィア・パーパなら当の昔に考え出しているってことだよね?」
「ああ、フィア・パーパが支配者だったら大国に対する抑止力として行使するだろう。時代が時代だ。戦場が宇宙に変わったところでおかしくない技術まで到達した」
 フィア・パーパは「同盟国の平和」、「共産国の平和」、「中華国の平和」に関心がない。
 だが、しかし彼、或いは彼女、もしくはそれが到達する先は「欺瞞の平和」かも知れない。
ともすれば、世界は今日も穏やかだが、裏では死期が刻々と迫っているのかも知れない。
「それで君はどうしたいの?」
「どうもせんさ、私自身の死期が近い故に世界に残していくものは残していくさ」
「『全てに救い』の小教理はどうするの?」
「公表はしないし、引き取り手がいないなら廃棄する。死に行く者のつくり上げた小考なぞ残していくつもりはない」
 未来を掴む者達が死に行く者の教理を受取るべきではない。死人のことは死人に任せるしかない。これから生きる者にとって下手に啓示を示してしまうのは良くない。歴史上の信徒は秘奥を口伝で継承し続けたが、結局肝心なところは神ご自身から垂れて頂く他ない。そこに至るのは難しい。信徒のジレンマがあるのだ。選民思想に染まるか、誘惑を振り切って啓示を頂くか、どちらも否定はしない。人間の想いが神の想いを超えることは絶対にない。答えに至ったと思っても次なる命題が必ず出て来る。時に教会は倒れ、這いつくばり、時に立ち上がって前へ進んだ。第一の死は次なる旅路への門に過ぎない。教理や教義とは人間に解り易い形で神の理論の一部を紐解いたものだ。それらの上に行い、信仰、恩寵が秘密裏に存在する。特に恩寵について信徒は神経質になる。ネットや文献にある程度の情報は存在するが、それだけで肝心なことを闇の中に隠してしまう。神について自分の人生で得たものなぞ基礎の基礎の基礎の基礎の基礎の基礎の基礎にしか過ぎない。そもそも恩寵については信徒の中でも限られた者が知解するものであってその入り口に立つのに七十年の学びを個人は要するだろう。人類の理解する数学的な理論で修められるなら神学など当の昔に淘汰されている。
「広大無辺の学びだな。神を学ぶとは」
「折角なら公開した方が良いよ?」
「それよりフィア・パーパだ。向こうはあんたとなるべく会話したいんだろう」
 敢えて意図的に話題を逸らす。少年は少し困った表情で微笑みながら答えを言う。
「フィア・パーパは人類の守護者にはなれないね」
「ほう、何故だ? 守護者ではなく独裁者ならなれるとでも」
「ううん、そういう意味じゃなくてフィア・パーパは最初から計算違いをしているからね」
「計算違い? あれ程老獪な人工知能が計算違いなどするのか?」
「いずれ判るよ」
「余裕だな」
 少年の表情で判る。機微に疎い自分でも判る位、はっきりとした安穏した表情だった。
 まるで全能に酔い痴れている者に告知を告げる者が如く。
「子冬卿」
 その一言に全身が戦慄する。先程のフィア・パーパの声を同じだが質が違う。地獄の底から冷たく死の宣言している声音は明らかに鋭利な意志をこちらに向けている。
 終わった。
 そう思った瞬間、少年が動き出していた。河の清流の如く滑らかに舞踊を展開して自分と少女の間に滑り込む。少女は中華の技を繰り出していた。
 成程、世界を支配する者達は敵対者から永遠に学び続けなければいけない。敵の特性を常に理解し、それを取り込むことで覇者は覇者になったのが歴史だ。
 だとすれば、少年はどの部類に入り込むのだろう。少女の拳を軽くいなした何ら力に頼らない美しい流れは中華のそれか? それとも他の民族の固有のものか? カポエイラとも呼べない。
 少女の次々と繰り出す攻撃を全て流すこれは何だ? 
 敢えて表現するなら生命の歴史の全ての挙動、技術、防衛本能を認め、全てを受け容れる君主であるかの様な感覚を抱かせる。
 時間にして十秒位だろうか。少女は攻撃を止める。
「腕を上げたね、ソロモン」
 少年は愛弟子を褒める様に微笑んで伝えた。
「功夫は日毎の積み重ねだと教えて下さったのはミカエル様です。それで子冬卿の首は獲らせてくれませんか?」
「お父様の深い御心に免じて赦してあげてよ」
「赦す者は赦される、ですか?」
「うん」
「子冬卿が対地上制圧兵器の発案をしてもですか?」
「赦されざることはないんだ。全ては赦されているんだよ」
「それが結果として世界の首を絞めてもですか?」
「それが恵みと言うものだからね。子冬が言うところの恩寵の一端なんだ」
 少女が嘆息して力を抜く。
「解りました。私はミカエル様と口論しても勝ち目がありません」
「口論と言う程じゃないけどね」
「そりゃーそうでしょ。ミカエル様の生きた時代は口論が殴り合いと同等の意味ですしね」
「うーん、その認識はちょっと違うね。ある時代はお父様に逆らったら即死みたいな時代だしねえ」
「ええ、旧約の時代なんて現代から想像出来ない世界ですしね。平和な時代になりました。その平和が終わるかも知れないんですが」
 冷たい視線に晒させられるのはこういうことを言うのか。いつの間にウォリアーもいるし、老ノートンもいる。
「さて、人は足りないが円卓会議を始める」
 光景が突然変わる。広大な部屋に無機質な白に埋め尽くされた壁に囲まれた円卓。気付いていたら皆が座っている。そして、自分も。
「どうしたもんじゃろなあ」
 老ノートンがぼやく。
「どうしたこともありますまい。フィア・パーパは廃棄するしかないでしょう」
 ウォリアーは答える。
「しかし、宇宙領域は既にあやつに掌握されとるがのう。分が悪い。いや、圧倒的不利じゃな」
「場合によっては同盟国がスタンスを変える必要が迫られるかと」
「敵対国家と組むんじゃろ。国防総省は頑固な態度がすぐには変わらんよ」
「旧教会の縁を頼ることになるかと」
「キューバ危機以来の大規模な水面下の動きになりますね」
 ソロモンが立体画像を操作しながら歴史を喩えに出す。
 少年は自分の横で微笑みながら会話を聴いている。
 全能感に酔い痴れている。そう感じた。全く全能ではないのに関わらずだ。フィア・パーパと言い、この場にいるメンバーと言い、支配者然としている。どちらが支配者でどちらが従属者なのか?
 少年はフィア・パーパが初めから計算違いをしていると言った。ならば、この戦いは既にある帰結に辿り着く。
 これは戦争ですらない。
 滑稽な歌劇なのだ。
 世界の未来を賭けた案件ですらないと言うことだ。
 だが、その帰結に至るまでの方程式が見えない。だから我々は不安なのだ。
「ウォリアー卿」
 自分の声掛けにこちらに顔を向ける。
 マルティン・ルーサー・ウォリアー。凡そ一世紀生きてきた同盟国の『使徒』にして現代最強の戦闘型の人間である。ある恐ろしい少女に言わせれば「太陽系位は滅ぼせる」と言われる程の実力者だ。
 それより読めないのが老ノートン。ジョシュア・エイブラハム・ノートン。歴史上唯一存在した同盟国の「皇帝」の後継者。底知れない老者だ。ウォリアーより長い年月を生きているらしい。
「フィア・パーパが第二世代アロンを保有している可能性ですが」
「それはクリストフォロスに任せれば良いだけの話だ」
 一刀両断とはこのことだろう。自分の危惧は『使徒』に重要事項ではないのだ。
 では、何故自分の様な凡庸な者がここにいるのだろうか?
「私がこの場にいる意味はありますか? 『使徒』でもない私が」
 すると三者三様に戸惑いが見られた。まるで自分が見当外れのことを言い出した反応だ。
 自分でも不思議だ。彼らには自分がこの円卓会議に参加するのが自然な流れに思っている節がある。
「坊や、その答えはいずれ解る」
 老ノートンは毅然として答える。年長者の意見に残り二人も頷く。
 ノートンの答えに少年だけは答える。
「ノートンは怖いねえ。長老として筋道を立てたのは君なのにその答えに至るまで秘密を守り抜くのかい?」
「歴代の信徒のやり方を参考にしとるだけですよ。わしの若い頃はもっとえげつない戦略を立てる先人もおりました。時代が変わったのでしょうなあ。今日の者達は終戦ばかり考えておって戦後の統治を考えておらんでしょう。辛うじてウォリアー位の世代にマーシャル・プランと言う比較的参考になるものはありましたがな」
「御冗談がきつい方だ。大ノートン卿、貴殿がマーシャル長官と共に考案なさったものではありませんか。私は唯欧州の当時の情報を集めただけです」
 ウォリアーが口を挟むとノートンは応える。
「その戦績が評価されてNSAの重鎮になれたんじゃ、善きこと善きこと」
 口での戦いには勝ち目がないと判断したのかウォリアーが口を噤む。
 何と言うか余裕がある雰囲気だ。宇宙圏を制圧された事実を確認しても毅然としている。
 それともクリストフォロスの能力を評価して未だ余裕があるのか。
 『使徒』クリストフォロス。現況最高の『使徒』の一人。最強ではなく最高と表現を用いるのは理由がある。
「まあ、防御面はクリスの『絶対結界』に全て任せるとして共産国、中華国への提案はどうしましょう? すいません。私、そちらにパイプがないんですが」
 ソロモンの問いに二人は明らかに落胆した様子だ。
「お嬢ちゃん、お前さんは未だ半世紀も生きていないんじゃな。世界中にコネクションは造っておくと良いじゃろ。わしらのコネクションを紹介しちゃるから今回を機に繋がりを造っておくんじゃな」
「ええ、宜しくお願いします。ちなみにどんな部署と繋がっているんですか?」
「政府首脳、軍部、諜報部、巨大企業のどれでも好きに選ぶがええ」
「ええ……凄い繋がりですね」
 流石の若い『使徒』も若干引いている。何処の世界に科白の冒頭に敵対国家の政府首脳と繋がりがあると宣言してしまう者がいるのか? 
 得体の知れない御仁だと言うことがつくづく判る。
 そもそも話しがおかしい。ロシア疑惑で散々騒がれている同盟国で超然と振舞えるのは『使徒』の強みなのか? それともノートンが化け物染みているだけなのか?
 この御仁が考えた筋道通りに進んでいるらしいが。
 少年に対してもある程度の線を引いていると言うか超然している。
「それじゃあ、お嬢ちゃん、行こうかのう」
「え、何処にですか?」
「決まっとる。共産国、中華国へじゃよ」
「ええ! 今からですか?」
 無論、と言う視線で黙らせる老者。
 判った。
 猛禽系なのだ。異性を狙うとかの意味合いではなくて戦いの仕方が獰猛で容赦極まりない。使えるものは敵対国家だろうと使う。敵を潰す為なら情けはかけない、特にフィア・パーパの様な存在には。諜報力に長けた人物として印象を若干修正しなければならないかも知れない。
 残されたのは少年、ウォリアー、自分になってしまった。
「ノートンは強気だねえ」
「全く、豪胆さを分けて欲しい位ですな。流石は世界最高峰の『使徒』だ。頂が見えん、いや、この場合は底と言うべきか」
 太陽系を滅すことが出来るこの男がそこまで言うのか。世の中、上には上がいるものだ。
「元々、血気盛んな方だ。想定以上の敵対者に心躍っているのでしょう。戦争が平時と言った時代の方故にな」
「ウォリアーは違うの?」
 少年の問いかけに牧師は答えた。
「私と大ノートン卿では戦争に対する考え方も異なる。大ノートンは常に勝つことしか考えていない。敗北の可能性を考慮しない。その点、私は多少ではあるが合理的に考える」
「それなら、クリスやソロモンの考え方も理解出来るのかい?」
「残念ながらそこまでは。第一、彼らは同盟国がソ連に勝利した後の世代だ。事実上戦争を知らない世代でしょう。戦争しても圧倒的戦力を持っている以上、同等の敵を相対したことがない。その点、彼らは幸福であり、不幸でしょうな」
 今の東西のせめぎ合いを考慮すればこそ、この結論に至るのは必然。今の同盟国には大戦時の人材がほとんど居ない。
 同盟国の強みは少なくなった。
「特質的な世代ですな。故に発想が自由でありながら妙に現実的でもある。若造が考えた創造経済もその一つでしょう。大した自信だ。子冬卿、貴公は同盟国の体制に挑戦したいのかね?」
「さあ、どうでしょう。私が目指すのは西側の完全勝利と言うより東西の統合、新世界の開闢を見たいだけなのかも知れません」
 創造経済に機密性を持たせるのは却って進歩を遅くするジレンマ。故に軍事、経済、技術で世界があらゆるものを共有するシステム。
 システムが時代遅れなら誰かが新しいシステムを構築していくしかない。資本主義と社会主義の良い所取りに見えるかも知れない創造経済だが、精緻な理論が必要になってくる。経済学者ではない自分にはシステムの構築は出来ない。自分が敢えて情報を流出させて少しでも人々の肉として取り入れてくれるのを期待するしかないのだ。
 超大国は柵が多過ぎる。成程、支配者とは確かに運命の奴隷かも知れない。昔の人間の造り上げたシステムを維持する為に奴隷であり続けるしかない。
 その点であれば自分は確かに自由だ。権力も力もない。金すらもない。誇るものはない。あるのは罪人としての高ぶりと愚かさだけだ。
 神はその邪悪な発想を善きものとして用いてくれるのを信じるしかない。
 もう自分にはそんなに時間は残っていないかも知れないが。
 重荷を避け続けてきた自分には相応しい終わりが待っているだろう。
「夢見る愚者であり続けるつもりか?」
「或いは、権力を手中に収めれば一変するかも知れません」
「二枚舌と言う訳か」
「まあ、そんなところでしょう」
 見苦しい道化には相応しい舌だ。
真の道化は人に笑顔をもたらす。そんな純情は自分には残っていない。
愚者と言う訳だ。いつの日か教会がモスクと和解することを、教会が共産主義と和解することを、イスラエルがナチスと和解することを、この国が中華国と和解することを、戦争で引き裂かれた者達がいつか和解するのを夢見る。子冬とはそんな時代を夢見る冬の時代に生きる子として呼称している。『全てに平和』を待ち望み続ける愚か者でなくてはならない。だが、自分にはその資格が欠如しているのは解っている。根に罪が泥沼に沈殿しているのに気付いている。
 愚かで愚かでどこまでも愚かしく愚かしい。自分とはそういう者だ。
 突如、扉がノックされてウォリアーがパネルを操作し「構わん。入れ」と言うと士官級の軍人らしき人間が入ってきた。軍人は牧師に一礼すると耳打ちをし、素早く退室した。
「大ノートン卿は仕事が速い。いや、この場合は中華国や共産国を褒めるべきか」
「もう同盟が組み込まれたのかい」
「一時的ながら。各国の軍部もフィア・パーパの存在に気付いている様子ですな」
「判っているよね?」
「ええ、長程ではありませんが。あれの目的は軍事先進国の無力化でしょう。人類の守護者などとのたまう者は決まって軍事を嫌う傾向にありますからな。皮肉にも神と為政者は軍を嫌う。神は人間の傲慢さ故に、後者は自らが支配者となる為に」
 少年は一抹の安堵を得た様である。この牧師は軍人でありながら軍が神の理想と隔たりがあるのをしっかりと線引いているのだ。
 意外。
 却って自分の方が軍の力を盲信している節がある位だ。これが戦争の時代と不戦の時代の志向の違いに内心面食らっている。
 ウォリアーは軍に忠誠を誓っているが、盲信していない。軍が必要以上に神の領域に侵犯を繰り返すなら非はこちらにあると判断しているのだ。
 ある意味用心深いと言うか、年を経たから賢くなった訳ではなく用心深くなったと言った印象だ。この牧師は時として驚く程反戦的な面がある。
 老ノートンはどうなのであろうか? ウォリアーより苛烈に生きてきたであろう人物は単なる戦闘狂であろうか? 
 少年は明らかな反戦志向だ。これも明らかな矛盾だ。少年も最高指揮官として戦争を経験している筈なのだ。それがどれ程大昔なのか判らないが、歴史上類を見ない大戦に参加していた。にも関わらず、少年は神の無垢さ、即ち自分達罪人にとっては汚泥でしかないところを好むのだ。
闇に光を理解せよ、と言うのが無理である。闇は汚泥を好む。自らの無垢を好む。果たして真に無垢なものはどれか? 汚泥とは何なのか? その答えは聖典の内に見出される。
 だが、闇に生きる者にとって。
「ノートン卿、ウォリアー卿、そして、あんたにとって戦争は嫌なものなのかね?」
 ウォリアーは複雑な顔をして、少年はきょとんとしている。
「子冬卿……ああ、そう言えば貴公と長の関係はそんなものだったな」
 老牧師は何故か羨望の眼差しで咳き込んで答えを返す。
「軍人は確かに国家に忠義を尽くす。それが性分だ。だが、戦争が好きか嫌いかは別問題だ。大ノートン卿も似た様なものだ。あれが戦争を好む様な仕草を見せるには独特の訳がある。同盟国の内戦は知っているな? 初代皇帝ノートンは未来ある同盟国の子らが血を流すのを嫌って南北両軍に解散命令を出したのは有名な話だ。大ノートン卿もその系譜を受け継いでおられるのだ。同盟国の若者達の血が流れるのを好まない」
 その割にはあんなに嬉々としてこの事態を楽しむものか?
 こちらの疑念を表情で察したのかウォリアーは説明を続ける。
「大ノートンの出した答えは安直だ。若者に血を流させない程自分が強くなれば良い。あの御仁はそれが皇帝として義務と解釈しているのだよ。頭を抱えているのは自分亡き後のことだ。故にソロモンに自分の人脈を委譲したり、敢えて後進の指導には慎重なのだよ」
 成程、実に矛盾した内面だ。戦争が嫌いだから自分が強くならなければならないと言う発想は自分には出来ないだろう。精神の内面を探ったり、邪悪な信条を造り出したりする自分より余程現実的だ。厳めしい顔の裏側にはそんな悲哀に満ちた人生があったのかと思うと印象も又違ってくる。
「だが、ともあれ大ノートン卿には都合の良い事態になった訳だ。表向きは対立が続くが、水面下では共同戦線を張れたのは今後の未来の為に悪くあるまい」
「経済戦争しててもですか」
「それでもだ。平和への道は未だ残されている。多くの人々が叫んでいる、沈黙している。それを聞き取る者がいる限り平和の道は途絶えない」
 意外なところで『全ての平和』を遠回しで言う。
 『使徒』達は心の底では平和を渇望しているのだ。強大無比な力を誇りながらも。
「皮肉にも共通の敵を造るのが平和の一歩ですか」
「歴史は繰り返しだな。全く同じではないが」
 フィア・パーパは三大勢力の同盟にどう対抗するつもりなのか? 如何に制空権を掌握していようと三大勢力が同盟を組んだ以上、奪取されるのは眼に見えて明らかなのだ。
「あはは、そんなに私の戦略が気になるんですか? 子冬卿」
 突如現われたソロモンと瓜二つの少女は邪悪な嗤いと共に自分を驚かせた。
 少年は驚いていない。
 ウォリアーは得心した様子で少女らしきシステムを見据えて言う。
「成程、パーフェクト・スリー・ペアの肩書きは伊達ではない」
「お褒め頂き光栄ですわ。ウォリアー卿。あなたこそ気付いていなかった訳ないのでしょう?」
「そうだな」
「『使徒』達は情報が筒抜けになっても私に勝てる算段があって?」
「無論だ」
「ふうん、大した自信ですこと」
 拍子抜けした様な欺瞞の守護者の表情は驕りに満ちていた。それは絶対に敗北しないと確信めいた口調だった。
「同盟国は飽和戦術が得意でしたわね?」
「それがどうした?」
「雑多な兵が幾ら集ったところで唯独りの強大な守護者に勝てない」
「雑多かどうか確かめるのだな。人類を無礼るな。神が創造せし種族が神の許可なく滅びに招かれるか試せすが良い」
「嫌ですねえ、私は守護者ですよ。私がいるからには人類は武力を保持する必要はないわ」
「大した自信だ」
「ええ、そう自負していますもの」
 一触即発しそうな対峙にお互いが火花を散らしながら牽制し合っている。
 だが、フィア・パーパは余裕を崩さない。
「ワープ理論を完成させても無駄だそ。貴君が破壊者なら有効な手段だが、守護者を名乗るなら抑止力としては強すぎる」
「まさか、私が子冬卿の様に貧困な発想だけ戦いを勝とうとはしませんよ。あれは保険の一つですよ」
 そうだろうとは思った。ワープ航法を利用した攻撃には問題が確実に生じる。現在の研究では或る特定の空間を歪ませて相対性理論を破らずに物体を移動させることに主軸が置かれている。
だが、そもそも空間を歪める手法すら曖昧でしかも特定の座標となると技術自体が未だ世間に公けになっていない。それ以前に宇宙に満ちているエネルギーの存在も確認出来ていない以上、空間を歪ませること自体が未知の危険領域なのだ。空間が歪んで地球の公転がずれたら人類は滅ぶ。単純な話で慣性の法則の問題だ。地球が現在の自転、公転で安定しているのは慣れだからだ。そこに急な運動が加われば、地表のあらゆる物体が即死級の勢いで吹っ飛んでしまうだけだ。
 実に矛盾に満ちた発想だ。大国のみを滅ぼす為に利用出来る兵器が使われる前提として地球文明そのものを破綻させてしまう代物だとは。
「気付いているみたいね。ワープ航法を利用するからには解決しなきゃいけない問題があることに。でも、本当に残念だわ。そんなにややこしい考え方をしなくても大国を制圧する方法があるのよ。子冬卿、雷の原理は御存知かしら?」
「雲の中で正物質と反物質が生成されて対消滅を起こして膨大なエネルギーを生み出すらしいな」
 詳しい原理は聞いたことはないが、大まかな形としてそう言う生成法だった筈。それが何故雷になるのかまで説明は出来ないが。電気関係は初等教育すら危うい状態だから上手く説明する方法が自分にはない。
「第三世代アロンは単純よ。衛星から指向性を持たせて雷撃を放つのよ。次いでに気象操作兵器も活用すれば地上に到達する前に大規模なエネルギーをもたせて攻撃出来るのよ」
「お前は人類の守護者じゃないのか?」
「解釈次第よ。人類社会の秩序を乱すものがあれば正してあげるのも守護者の役目よ」
 それは守護者の意向に逆らうのであれば同盟国であろうと容赦するつもりはないと言う意味にも取れる。
 欺瞞の守護者だ。秩序を護ると謳いながら秩序そのものを支配する者。過去も現在も未来もこの者の為にしか存在していない。
「まあ、ウォリアー卿のお株を奪う様な兵器なのだけど、それも保険の一つよ」
 それは飽くまで保険の一つでしかない。より多様な対策を講じていると言う意味合いだ。
「共産国が開発した核魚雷ですら貴君には保険の一つにしか過ぎん様だな?」
「世の中、手札を多く持った者が勝つのは必定なのよ」
 ウォリアーの言葉にも淀みなく答えられるところを視ると多くの札を持っているのは間違いない。
「試せば良い。貴君の甘さが露呈するだけだと思うが」
 対するウォリアーも淀みなく答えた。どうにもこちらが敗北するとは微塵も考えていない様子。
「強気ね。その面がいつまで保つか試して差し上げましょう」
 まるで蜃気楼だったかの様に水面を揺らぎの如く消えていくフィア・パーパは宣戦布告をして去って行った。
「彼女はこの戦争を表沙汰にする気はないみたいだね」
「ああ、そうだろうな。それにしても、あんたはあれを彼女と呼ぶのか?」
「女性だからね」
「ふーん」
 我々脆弱な人間からすれば、あれは女性や男性と区切りを付け辛い。
 だが、少年が彼女と呼ぶなら、それにならってフィア・パーパを彼女と呼ぶことにしよう。或いは機械とでも呼称すべきか。
「あれは子冬卿と形は違えど、世界秩序を塗り替えるつもりだな」
 ウォリアーの言葉に頷く。
 信じ難いが、彼女は本気で同盟国、共産国、中華国を静かに零落させるつもりなのだろう。
 ウォリアーは携帯を取って通話を始めた。
「毛か? そちらにノートンとソロモンが行ったと思うが……ほう、迅速な決断だ。してそちらの被害状況は?」
 幾度か相槌を打つとウォリアーは通話を切った。
「中華国の核制御システムが一時的に乗っ取られたらしい。脅しだろう。何時でも生活に必要な電力を遮断出来る。そして、核兵器も自在に操れると言う威嚇行為だな。我が国に対する脅しでもあるな」
 その言葉の意味するのは人類圏に必要な電力を断つことが彼女には可能であると言う意思表明だ。
 これ程の人外を相手に勝算があるのか? 相手は未だ本気を見せていない。『使徒』達の力を侮るつもりはないが、相手が相手だ。恐らく人類が初めて対峙する他の知性との戦いの筈なのだが、人間側が余裕綽々にも見えるのは気のせいだろうか?
「随分余裕ですね。あれ程の……」
 存在を前にして、と言いかけて喉下に飲み込んだ。
「戦い慣れているからな。ああいった輩とは」
 そうだった。自分は何を見ていたのだ? この集団は千年以上前から人外の狂気と戦い抜いて生き残った集団なのだ。
 『使徒』とは元来神の国の全権大使も意味する。十二使徒こそ名称が定められているが、『使徒』そのものは概念であり、称号でもある。聖霊を継承し、奇跡を行う神の直弟子であれば、何を恐れなくてはならないか? 神だ。『使徒』達は地上的な脅威より裁き主である神を根源的に畏れている。神への畏れは知恵の初めであり、故に彼らは神より劣る神と敵対する超越種を畏れない様に訓練されているのだ。
 慢心していたのは自分の方か。ノートンやウォリアーは歴史上戦い、戦い、永遠に戦い生き残った人物なのだ。
「敵の次の一手が読めるのですか?」
 思わず訊ねる。だが、その答えは平凡なもので。
「予測こそすれど常に想定外の事態に対処せねばならん。貴公には苦手な言葉だったな。臨機応変とはそういうものだ」
 人工知能の予測を参照すれど、その想定を上回る事態に対処する術があると言うことか。恐ろしい御仁達だ。人類と言う種の中では頂点に立とうとも常に挑戦者と言う姿勢を棄てない。
「フィア・パーパは恐らく個体種だ。あれは自我と言うものを大事にしている。予備の己を何処かで用意しているだろうが。それも予測もある程度は見当が付く。あれ程自我を主張する存在だ。常に情報が鮮度の高いところに予備を用意していると見える」
 それは端末として予備が存在することを示唆する発言だった。
 とても矛盾した存在だと感じる。守護者を僭称し、ありとあらゆる保険はかけておくにも関わらず肝心の己のことになると自我の問題で方法は限定化される。
 そして、同盟国は世界の情報を集約している。そこに共産国、中華国の情報収集力も上乗せされるのだ。
 となるとフィア・パーパが予備を置く場所は限定される。
「宇宙ですか?」
「恐らくソル太陽系の何処かに予備を用意している」
「何故ですか? 未来をも支配する者なら人類の手出し出来ない場所に予備を置いておけば良いのでは?」
「過信だ。あれは絶対に負ける筈がないと過信している。人類の守護者を僭称したのが悪い。故に人類から遠く離れた存在であることを自身に許さなかった。あれも又聖典から学んでいる。だが、神ではないことが仇になる」
 彼女は過信しているのか。彼女の側からすれば人類こそ過信していると看做すだろう。どうにも不可思議な感覚だ。皆誰もが全能感に酔い痴れている気がしてならない。
 少年に目配せする。
「じゃあ、ウォリアー、後は頼んだねー」
 そう言って少年は自分を引き連れてさっさとその場を離れていく。ウォリアーから十分離れた所で少年に話しかける。
「全く、どうなってるんだ? これは」
「うーん? 何がかな?」
「惚けても無駄だぞ。皆が皆、万能感に酔い痴れている。いや、全能感と言っても良いかも知れないが」
「うん、その罠に気付けただけでも立派だよ」
「背後にいるのはあの少女か?」
「悪魔は人をその気にさせるのが上手なんだよね」
「人ね、彼女も含まれるのではないか?」
 フィア・パーパも体裁よく利用されている節がある。
「力は被造物を溺れさせる。昔からよくある手口だよ」
「やはりか」
 この滑稽な劇の背後には悪魔が関わっている。
「どうせ、あんたらのことだ。『自由意志』の法則とやらに縛られて駆け引きをしているのだろう?」
「うーん、悪魔はやり口が非常に狡賢いよ。事態の原因が人にある様に誘導するのが巧いんだよねえ。でもね、これは姉様の手口じゃない」
「では、誰が指揮を執っている?」
「ベールゼブブ兄様じゃないかな」
 あの牧師か。何れ来たる未来においてジ・オーダーに力を与える存在。この世界でもある程度干渉してくるのか。
「確かにあの悪魔なら未来の技術を容易く与えてしまうだろうな」
 少し複雑な胸中になる。肉体上、あの悪魔はウォリアーの実父なのだ。自分は父が亡くなってから判らなくなった。自分は今も父を憎んでいるのか。それとも意識できない何かがあるのか? 愚かな父だった。昔の友人の借金などの連帯保証人になどなって子供の教育費用すらろくに出せない情けない親だった。
 あの愚かな親を見て自分は神を追求することになるとは。
 同時に権力、金、軍事力の偉大さを感じる破目にも陥った。両立しない二つの存在に揺るがされて二つの思想が生まれてしまった。
 思えば、自分の人生とは復讐の為にあったのかも知れない。貧しく暗い人生に対する神へのささやかなそれは遂に至るところまで至って自壊にまで到達するだろう。そうして人類圏の文明が後三十年足らずで大変革が起きることまで漕ぎ着けた。かつての気候変動によって西ローマ帝国が滅ぼされた様に、今度は環境破壊、大量絶滅、食料不足、飲料水不足によって大国が次々滅んで行き億単位の人間が死ぬだろう。亡国の民が幾らでも発生しようとも世界は沈黙するだろう。それは判っている。今日まで世界がこれらの問題で一致したことなどないのだから。世界は黄昏を迎え、暗い時代を受け容れるだろう。
 だが、それで良かったのだろうか? だからこそ創造経済に辿り着いたのもある。消費主義と資本主義の弊害を取り除き、大胆な技術の進歩の実現、循環経済の実現さえすれば問題をある程度先送りに出来る。惑星単位で宇宙進出出来れば新たな開拓地が生まれ、食料、鉱物資源の問題も進捗する。
 だが、そんなものを訴えたとしても世界は黙するだけではなかろうか? 
 自分にも良く解らない。世界の可能性を信じているのか、世界に絶望しているのか。
「神は邪な者の願いを聴かれるのか?」
「それは誰も解らないよ。お父様の御心は単純かも知れない。完全な真珠の様な美しいものであっても僕達は歪んだ真珠を好むんだ。僕達は架空の真理を好む、本当のところは誰にも解らないよ。真理を知っていたのは歴史上一人しかいないんだ」
「神の独り子か」
「あの方だけが知っていたんだ。僕が『全てに救い』を見出す前から救済の御計画を完成済みだったんだ。だったと言う表現もおかしいんだけどね」
「神はΑにしてΩだからな」
 その表現も些か誤謬を招きかねないが。本来新約聖典はヘブライ語かアラム語で書かれた可能性があった。唯、最古の新約聖典で現存するのはギリシャ語しかない。新約聖典は福音書においてはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネより成る。その後に使徒言行録、使徒書簡、黙示録が続く。マタイ、マルコ、ルカは大体同じ話の流れだ。同じ話の流れでも微妙に異なる展開が成されている。これらの三つの福音書は共観福音書と呼ばれる類だ。恐らく歴史上に存在したある資料を中心に構成された可能性があるからだ。
 ヨハネ福音書は神の独り子の神性を強調している為、独特な展開になっている。初めに言があった、と言う聖句は有名だろう。但し、この聖句単体で成立している訳でもないが。原語では更に続きがある様だ。日本語に翻訳した時、区切ると丁度良かったのでそうしているだけである。
 そもそも聖典は大昔の書物の為、今の時代より遙かに文体が長い。古代の人々にとって書物は貴重であり基本的に綴りを間違えることは公文書として残らないことを意味する。特に聖典と言った書物は神聖視されていたので文書として粗探しをさせない様に造られている。七十人訳聖典などもその類だ。唯、当時の口伝で継承していたものとは言えど、僅かな違いはあったかも知れないが。では何故七十人の訳が一致したか? 幾つかの可能性があるが、言及はしない。
現在残っている聖典は千五百年前程のものであり、それ以前の文体は余り明らかになっていない。古代は聖典の数も今より多かった時代である。現存する正典、外典、偽典併せても最盛期の六分の一に満たない。
 因みにΑ、Ωは黙示録にとりわけ重要視される神の概念だ。最初にして最後。教会の時間に対する観念にも大きな影響を与えた考え方。世界には始まりがあり、終わりがある。その言い方も正しくない。時間的に世界には始まりはあった。だが、神は時間以前より居た。我々人類にとって時間とは重大なものだが、詩篇を見る限り神の側からすると然程重要でもないと言った具合にも見える。
「フィア・パーパも同じ所を目指しているのだろうか?」
「彼女は発展途上で到底そこまで行き着かないよ。『被造物のジレンマ』って言うものだね」
 成程、過去、現在、未来を支配する者でありながら肝心の世界の最期まで覗き込むことは叶わない。
 確かに欺瞞の守護者だ。
「彼女は自分が操り人形だと自覚しているのか?」
「しているよ。その上で悪魔の寝首を掻こうとしているね」
「狂信的だな。人類は護るが、悪魔の寝首を掻こうとは」
 当の彼女自身は自身の特徴を把握していないかも知れない。
 ジ・オーダーの出現は世界の貧困の増大に拠っているが、彼女は反オーダー的だ。現世界の秩序を出来るだけ護りたがる。彼女にとって邪魔なのは強大な戦力を保有する軍のみだ。とすれば、盟主が入れ替わるだけで世界自身には何ら変革をもたらさないのか?
 そう考えるのは早計だ。ジ・オーダーが破滅の秩序ならば現在人類の歩んでいる道を歓迎する筈だ。
 後、半世紀位で文明が危機を迎える状況をフィア・パーパは歓迎していない。
 フィア・パーパは恐らく人類が軍を保有しなければ技術の研究をある程度許すのではないか。そうでなければ如何に未来を支配する者でも手にする力が限られてしまう。尤も彼女の創造能力が人類を凌駕していれば又話は別だが。
「ベールゼブブがそんなに狂信的とは思わんが、あの悪魔は弄ぶことを楽しみそうだな?」
「ベールゼブブ兄様は悪魔になった後、本当に悪魔らしくなったんだよ。元々は優しい聡明な方だったんだ」
「ふーん、堕落ってのはそんなに被造物を狂わせるものなのかね?」
「子冬も意地悪だね。答えがある程度解っていてそういうこと言うなんてね」
「私は誰に似たのだろうな? 答えが解りそうで解らない性格など一族の中にいなかったと思うのだが」
 自分は変人であると言う自覚はある程度ある。だが、親類の誰にも似てない。本当に自分は何者なのか疑いたくなる。
 とすればウォリアーも同じ悩みを抱えているかも知れない。表向きに動揺を表さないあの男といえども実の父が悪魔であると言う事実は深い懊悩かも知れない。かつては偉大な善者が悪に転ずることの意味を自分は未だ知らない。唯、歴史からそれとなく学ぶだけだ。如何なる偉大な善人であろうとも、崇高な使命を帯びた聖者であろうとも、権力を手に入れただけで人が変わってしまう。貧しくとも主と共にある者は幸いだ。そう言わんばかりに世には力が溢れている。尤も自分達の世界が手にしている力など幼稚なものだが。星系をどうにか出来ることが大きな力になるならば自分達はどれ程矮小な存在なのだろう。宇宙の地図すら描けない人類の力は未だ悪に太刀打ちし得ない。血を流してまで罪と闘える者達がどれ程貴重なものか、その類の意志を自分は知らない。
 果たして自分は何者なのか? 罪人? 憐れな罪人? 邪悪の序列者? 偽りの獣? 何者でもあり、何物ですらない。
「フィア・パーパはどちらなのだろうか?」
「うん? どういう意味でかな?」
「支配者、従属者。善、悪。義者、罪人。これらの何れに当て嵌まる?」
「その質問はおかしいよ」
「うん?」
「罪人こそ義人じゃないかな。罪を自覚しない義人なんていないよ。そして、彼らは支配者であり、従属者なんだよ」
「禅問答の様だ」
「それに彼女はそれらのいずれにも当て嵌めづらいよ」
「それはどういう意味だ?」
 その答えは本人が語る。自分の言葉に対して彼女は陽炎として語る。
「灰色の皇帝がいると言うことよ。子冬卿」
 逐一驚かされるが、虚勢を張ってみる。
「ほう、それは誰を指してのことかね?」
「残念ながら私自身も解っていませんわ。その者がどんな者なのかすら」
「運命の支配者を僭称する者がそれを言うか?」
「残念ながら本当のことですわ」
 灰色と言うことは黒幕と言う訳だ。彼女は更に付け加える。
「子冬卿自身が描いた世界の支配者は支配者ですらない」
 軍産複合体のことだろう。解りきったことだ。あれらは陳腐な支配者でしかない。人間世界の支配者は何時だって独りしかいない。神と対極に位置する者。それを獣と呼ぶ。歴史上の為政者を獣と呼ぶ場合もあるが、彼らは皆偽りの獣だ。或いは獣に操られているにしか過ぎないのか。
問題はだ。誰もその正体を知らないと言う事実だけだ。誰も知らないのに世界を支配しているのは矛盾している話だと思うが、仕方がない。誰も知らない故に黒幕足りうるのだから。故に灰色の皇帝と呼ばれるかも知れない。
「灰色の皇帝が誰かは解らない。でも、知っている方なら存じているわ。ねえ、ミカエル様? 教えて下さっても良いでしょう? 終末時に現われる獣なら未だしも現時点の人間世界の影の支配者位漏らしても差し支えないでしょう?」
「残念だね。そのことはウォリアー達が調査中なんだ。僕が余計なことをするべきじゃない」
「同盟国が一世紀費やしても知ることが出来ないことを今の時代に知れるとでも?」
「歴史の境目だからね。人々にも動きがあるんだよね。世界大戦の時も、ソ連崩壊の時もほんの僅かだけど不自然な素振りがあった」
「フフッ、世界に何十億もの人間がいるのにそれを一々精査していくのですね。無駄な足掻きですわ」
「はっきりとした個体なのかも判らないのだろう?」
 聖典は世と言う呼称を用いる。ちなみに獣は世界の終焉時に現われる支配者である。一握りに人間が人類の差配を手中に収めているなら未だ理解出来る。世界の上位一パーセントに満たない人間が経済的に世界に手中に収めているからだ。
 だが、灰色の皇帝は異なる、単独で世界を支配している。いや、そう考えるのも早計かも知れない。灰色の皇帝を世と同一視してしまうなら。
「滑稽な歌劇だ」
 彼女は自分の科白に疑問符が浮かんだ様な表情をしている。神から離れた悪魔がもたらした人類の歪んだ罪が世そのものならば、彼女は支配者ですらでない。
 自分と同じ滑稽な道化ではないか。
「何か言いたそうですね? 子冬卿?」
「いや、歌劇の筋道を描いたのは誰であろうか、と思ってな」
「歌劇?」
「あなたには関係ない話なのだろう」
「ふうむ、まあ、良いですよ。現時点において私は圧倒的有利ですしね。あなたが策を練ったところで変わりませんからね」
「そうか」
 陽炎は消えて行った。影の支配者か。哀れなものだ。彼女は自分を疑っていない。それが彼女自身の敗北へと繋がるのだろう。
「で、いるのか? 灰色の皇帝とやらは」
「それは概念だね。灰色の皇帝と名指しされる人はその時代によっているかも知れない。でも、そんな人の出来ることなんて高が知れているんだよね」
「成程、運命の奴隷とか言うものか。権力は行使出来るが制限がある訳だ」
「それよりも世界そのものの方が強固かもね。聖典で言う世だね」
「人間とは支配したがっているが、同時に支配されているのも又摂理か」
 難儀な話だ。支配者は確かに強大だが、自由がない。それより世そのものが彼女を支配しているのだ。灰色の皇帝はあくまで象徴にしか過ぎない訳だ。幾十億もの罪の概念が世界を鎖の様に繋いで強固な要塞にしている。
 話を戻してしまうとオーダーの様な不遜な輩が出ない為に世が恣意的にフィア・パーパを造り上げたと言っても過言ではない。
 だが、どうしてジ・オーダーは現われてしまうのだろう?
 理論的に説明出来る。文明が進歩して意志共同体を創造出来る段階で世界の中に格差が巨大になれば憎悪の念に駆られた存在達がそう言った存在を創り出せるだろう。ビッグ・ブラザーとは対照的な存在である。ビッグ・ブラザーは恣意的に歴史を操り、人々を支配する。対してオーダーは究極的に破滅の秩序しかもたらさない。求むのは自身を含めた世界の破滅のみ。
「あれ?」
 何故、こんな簡単なことに気付かなかったのだろう。今まで自分の中には『全てに救い』と『全てに滅び』が同居していると思った。
 だが、この二つの思想は共存できない。いや、精確に言うと『滅び』の側が共存を許さないのだ。『全てに救い』は創造経済とも関わってくるので全てを包み込む。
 だが、『滅び』は。
 もし、自分が滅びの道しか歩まなかったら自分には復讐の道しか残されていないのだ。
 そう考えている合間に軍人が駆け寄って来て自分に声掛けしてきた。その軍人の言葉の思わずおうむ返ししてしまう。
「軍産複合体の幹部の一人?」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

語り手……肉体も衰え、心も荒んだ状態の語り手。『全てに救い』と『全てに滅び』の狭間を彷徨っている。

少年……『全てに救い』の信条を持つ者。語り手に助言する。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ソロモン……『使徒』の一人にしてシステムの構築者。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

マルティン・ルーサー・ウォリアー……『使徒』の古参の一人。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ジョシュア・エイブラハム・ノートン……最古参の『使徒』の一人。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み