第五章 『使徒』対恐皇フィア・パーパ

文字数 6,769文字

「ミカエル様、子冬卿」
 向こうからソロモンの姿が見えた。彼女は本物なのだろうか? 
「待った。あなたが本物か確かめたい」
「その必要はないわ」
 走りながら跳躍し、回し蹴りを繰り出してきた彼女。少年が目の前に立ち、彼女の蹴りをいなす。
 今、明らかのこちらの頭部を狙った。何で執拗に狙われるのか判らないが、この少女は本人の様だ。フィア・パーパとは違う意味で冷や汗を掻かせてくれる。うん、この少女はフィア・パーパではなさそうなのは直感が告げていた。
 唯、何故自分が殺されかけなくてはいけないのかは未だ理由が掴めないが。
「子冬卿は鈍い人ですね」
「子冬にとっては永遠に解らないことなんだよ。子冬は他人の機微を察知し辛いんだ。抽象的な概念の理解に優れる一方でこういった現実社会への観察能力は苦手なんだよね」
「それは今言うことか?」
「うん、だって君は狙われている理由を理解していないからね」
「こんなのが」
 ソロモンの声音が小さ過ぎて聴こえなかった。
「ええ、何だって?」
「何でもありません!」
「何でもなくないだろう。私の命を狙う理由は何だ?」
 ソロモンが若干表情を赤らめて捲くし立てる。
「何であなたなんです?」
「何が?」
「ミカエル様は何であなたなんか選んだのですか?」
「それは……」
 解らない。少年が自分を選んだ理由なぞ。それはこちらが訊きたい位だ。だが、この展開はここに至って駄目人間でも解る位答えがはっきりしている。
「ソロモンさんは少年のことが好きなんだな」
 彼女は呆気に取られた様に赤面していた。
「私は恋愛の機微なぞ忘れてしまった性質だが、その様な若者を見ると世界の明るさを感じられるな」
「喧嘩売っているのですか?」
「まさか」
 正真正銘の称賛だ。純情と言うのはいつの時代も偉大なものだ。青春は思い出し難いが、少女が少年を好いているのは好感が持てるものだ。
「じゃあ、ミカエル様のことをあなたはどう想っているのですか? 私の想いに負けないとでも」
「愚問だな。ソロモンさん。殺したいと書いて愛していると読むのだよ」
 唾を飲み込む少女は得体の知れない存在と出会った様な緊迫した表情をしていた。
「……何故、あなたがジ・オーダーなのか少し解った気がするわ」
「結構だ。未来を背負うあなたと失った過去に想いを馳せる私では道が違う」
 失った者に待つは自らの死か更なる破壊しかないのだ。
 ドイツ第三帝国を築いたあの指導者と同じだ。彼も又失ったものの代わりを求めていた。
「殲滅圏、憎悪の原理、命令者原理、超克思想。オーダーは世界と相容れないか」
「ナチズムより悪い世界の構想ですね」
「確かに」
 少女は初めて畏怖に近い表情を浮かべている。どちらかと言うと警戒の表情だ。目の前にいる存在がどれ程世界に害毒なのか初めて認識出来た様子だ。
「信じられない。『全てに滅び』なんて御伽噺みたいものだと思っていたわ。でも、あなたの中で理論立てられて存在するのね。と言うことは『全てに救い』も?」
「さあ、どうかね? 私は原語での研究を怠ったからな」
「怠ったと言うことはしていなかった訳ではないのね? 万物救済論の欠点を調べ上げていたのね? そして、その上で仮説を立てていた。あなたのことだから小出しに幾つかの場所に保管、或いは公開しているのね?」
「どうかね? 歴史上の偉人達が解けなかった問題を私が解くとは在り得ないが」
「私達には内緒な訳ね。その答えを知るのはミカエル様と神とほんの一握りの存在しかいないのね」
「尤も、私の手にしたのは微かな燭台の灯り程度のものだがね]
 それに元々自分の教義などではない。本を辿れば少年の持つ信条だ。教理や教義は人間に理解出来る言葉の範囲で語られる。少年の持つ信仰は我々の様な世に生きる知識で測れる代物ではないだろう。血、汗、忍耐、苦難を通ってきた者しか持ち得ない固有の代物だ。
「それより報告したいことがあるのでは? ソロモンさん?」
「ええ、その話は又じっくりとしましょう。フィア・パーパの本体の位置が特定出来ました」
 速い。同盟国、共産国、中華国が結託するだけで情報の収集力が格段に上がる様だ。
「地球をスキャンしたところ、あれの本体らしきものは出て来ませんでした」
「本体はそれ程巨大なのか」
「システムは国防総省規模の施設を備えているわ。但し、あれの方が最新型なのですけどね」
「そんな大規模な存在なのか」
「ええ、私の遺伝情報を端末として使っているのは都合が良いからよ」
「成程、システム管理者の姿をしていれば色々やり易いのは確かだな」
「まあ、それだけが理由じゃないわ」
 彼女は少し歯切れを悪そうに言う。まるでそれが核心ではないと言った素振りだった。
「いずれ解るわ」
 『使徒』達は答えをはぐらかす術でも伝授されているのだろうか? 老ノートンも同じことを言っていた。
 少年が哀しそうに俯いていたのが印象的だった。
「ミカエル様、そんなお顔はなされないで下さい。私は自分の出自には自信満々なんですよ。何て言ってもソロモン王の子孫なんですからね」
「そうだね」
 哀しそうに微笑む少年に違和感を憶える。彼女自身を憐れむと言うよりはより大きな何かを憐れんでいる節がある。
「話を戻します。フィア・パーパは地球外に拠点を移しました。場所は金星の外、衛星を造って周回しています」
「それは又大したものだ」
 現行の人類は宇宙ステーションを造るのにも大規模な計画だと言うのに向こうは衛星の建設か。
「光の屈折の作用を利用して何もないところを演じていたみたいだけど、無駄よ。そんな子供騙しでソロモン王の末裔を謀ろうなんて舐められたものね」
「舐めていないわ」
 蜃気楼の様に突如現われるフィア・パーパを見下し、少女は言う。
「いいえ、舐めているのよ。フィア・パーパ、あなたは私の遺伝子が欲しかっただけでしょう?」
「レーベンスボルンの忌み子ね」
「レーベンスボルンだと? 在り得ない。その組織はもう存在しない筈だ」
 ドイツ第三帝国が築き上げた優生学の結晶。人同士を交配させ、優れた人類を創造する機関。ナチスの超人思想を実現する為に変異させられた機関レーベンスボルン。
「同じ様な組織は同盟国にも存在するわ。ソロモン一族も深く関わっていたのよ。ナチスの台頭に失望し、『ソロモンの栄華』を待望した一族は当代のソロモンに最高の知性と肉体を遺伝的に与えることに成功したわ。私が人類の守護者として活動するに相応しい肉体なのよ」
 成程、常人離れした戦闘力の持ち主だと思ったが、第二世代人類だと言う訳か。
「当然肉体の潜在能力を引き出せる方が優れている。私がパーフェクト・スリー・ペアであることを鑑みればこの端末は最高の代物だわ」
 フィア・パーパ、やはり常人の思考から大きく逸脱している。人間の価値を遺伝にしか求めていないところなど、異様な思考だ。
「とは言っても、ジ・オーダーには関係のない話でしょうが。子冬卿にとっても」
 この機械は自分を何だと思っているのだ。とは言えど、一理ある。
 だが、ジ・オーダーも自分も遺伝的優秀さをある程度重んじるとしても人の価値観の決定に繋がらない。
 意志の強さ。
 どれ程弱くても構わない。信仰に殉ずる力を重んじる。
「確かにそうだ。我々は意志を重んじる。破滅への意志であれ、創造の意志であれど」
 パピを失ってから闇が増した気がする。自分が死ぬ定めにあるのは違いない。だが、自分が望んでいるのか運命が望んでいるのか判別出来ない程闇は深くなっている。
 世界に復讐を果たすと言う目的は延々と行われるものだと言う認識を親しいもの達の死はもたらした。大規模な破壊はジ・オーダーの最終手段になっている。
 それよりもっと間接的に世界を苦しめるやり方を我々は学び始めた。
 『全てに滅び』は我々自身を苦しめる諸刃の剣であるが、世界に対して有用である。
「奇妙な話ですわね。肉体的に劣った者を怖れることがどうして在り得ましょう? それでも私達システムはあなたの様な人種を脅威と看做した。何故なら」
「我々が世界を滅ぼすからか? それは怖い見解だな」
 システムは笑わなかった。『使徒』も同じく。少年だけが哀しそうな表情を湛えていた。
「宇宙の仕組みを理解するのにわざわざ惑星の外に出る必要はない。地上の砂粒を真に解することさえ出来れば凡その真理を解することが出来る。逆を言えば、だ。砂粒を壊すやり方を知れば宇宙の凡その破壊方法も知れる」
 自分の喩えに危険を感じたのか、機械は質問をする。
「それは地球上から私を破壊する方法があると言う意味ですか? 子冬卿?」
「筋道を立てているのは私ではない。大ノートン卿だ」
「まるであなたがそう誘導したかの様にも聴こえます」
「情報の集め過ぎだ。結果としてそう見えるだけに過ぎんさ」
 その時、突如として声が響き渡る。
「結果としてのう? お互いに利用し合ったの間違いではないかのう」
 蜃気楼だった少女は実体化する。
「大ノートン卿」
 仙道者の身形で少女と対峙する老人。
「フィア・パーパ、覚悟は出来たかの? お主を陰府に送る為にわしは最大限の兵器を二つ使った」
「あなた自身と子冬卿と言う訳ですか」
「坊や、もう偽善者の皮を被るのは止めい。坊やの中には暗い怨嗟がけたたましく呻いておるわ」
「そうですか。大ノートン卿は私を見過ごすおつもりではないと?」
「ジ・オーダーとして目覚めつつあるお主はな」
「では、筋道を描いていたのは三者三様になりますね。もう出てきても良いのではないか? フー卿?」
 同じく蜃気楼の様に現われた老人は肩を竦ませてこちらに向かって語る。
「やれやれ、何時からだね? 私のことに気付いていたのは?」
「気付いていた訳ではない。だが、あなたはジ・オーダーらしくなかった。あなたから学ばせて貰った。皮を被ることに」
「やれ、あの一言が余計だったかねえ?」
「ああ、明らかに余計だった。遺伝に関する考察など我々に正体を明かしてくれと言っている様で。大ノートン卿ならフー卿の背後にいる存在を知っているのではありませんか?」
「灰色の皇帝じゃな。時代の変遷時のみ動くからのう。それも端末を周到に用意してか」
フーは狡猾な二枚舌の様だ。
「我が主の下に辿り着けませんよ。あなた方ではね。人類の守護者に駆逐される定めにあるのでね」
「よくほざくわい。物事を知らん輩じゃなかろう。フー、お主も『使徒』の力を片鱗ながら知っとる筈」
「あなた方こそフィア・パーパを軽視し過ぎている。これの力を侮らない方が良い。我々を侮らない方が良い。哺乳類から霊長の王を造り出せる程に我々は力を持った。そして霊長の王から運命の支配者を造り出せる程の力を手にした」
 フィア・パーパは恭しくお辞儀をすると空から幾千もの光の流れ星が降ってきた。地上に衝突するやいなや大爆発を起こす辺り一帯。
 だが、不思議な膜も護られて難を逃れた。
 いつの間にか髭を生やした男が場に現われていた。
「間に合ったか」
 男は一息吐くと老ノートンに跪いた。
「お待たせしました」
「うむ、ご苦労じゃ、クリストフォロス」
「何が起こったんだ?」
 クリストフォロスの力に護られたのは辛うじて判った。だが、フィア・パーパは何をしてこの施設を攻撃したのか?
「光学兵器じゃよ」
「そんなことが……」
「ある。世界は坊やが思うより広い」
 現代の光学兵器はそこまで進歩しているのか。
 それともフィア・パーパにとってこれは安易な攻撃手段なのか。恐らく両方とも真実なのだろう。世界の表の技術の裏側にある裏の世界の技術は少なくとも十年先を機先制してしていてもおかしくはない。
 更にフィア・パーパは指揮棒を振るう様に強風を自在に操った。崩壊した建物の瓦礫が吹き飛んでいく位の嵐を強風と呼んで良いものか。
 風が鳴り止むと彼女は邪悪な嗤いと共に宣言する。
「では、これより戦を始めましょう」
「『戦の神の御手』!」
 老ノートンの周りの千以上の拳や剣や槍が現われる。老人は瞬時に跳躍してビルの高さはあろうかところまで浮く。そこから千以上の武器を一斉に解き放つ。凄まじい衝撃の中で地面が抉れ、大きなクレーターが出来ていく。
 しかし、その中にあってもフィア・パーパは平然としている。老ノートンは更に叫ぶ。
「天に召されし歴代の同盟国の信徒達よ。我に力を貸し与え給え!」
 突如として数え切れない程の霊達が現われ、各々の武器を構えフィア・パーパ目掛けて突進していく。
「『神国軍』!」
 老ノートンが叫ぶと霊も応える様に勢い良くフィア・パーパに迫る。
しかし、それでも彼女は動揺せず。一言だけ返す。
「『天啓白雷』」
 『神国軍』を上回る凄まじい雷の群れが霊達を掻き消して行った。
驚かざる得ない。
「あの技はもしや」
 その言葉の続きはソロモンが引き継いだ。
「ミカエル様の技、そんな馬鹿な」
 少女も若干唖然としている。
「馬鹿なことなんてないわ。全ては在り得るのよ」
 少年の口真似でもするかの様に馬鹿にした態度を取る機械。
「所詮は紛い物よの」
 少し焦げ臭くなった最長老の『使徒』の言葉には悔しさが微塵も無かった。
「唯、紛い物でも結構。ここまで扱えれば上等じゃ」
「詰みです。大ノートン卿。あなたを以ってしてでも私は倒せない。それとも他の使徒と共闘して私を倒しますか。多くの機密を明かすことになりますよ」
 それは灰色の皇帝にとって好都合他ならないと言うことだ。
「いやあ、詰みじゃな。お主がな」
「何ですって?」
「お嬢ちゃんは決定的に勘違いしとるの。わしは戦闘型の『使徒』ではないじゃろ? そも、情報集積型の方じゃな。わしの能力について心当たりがない訳ないじゃろう?」
「ええ、幾つかの空間を使って情報のやり取りを……」
 その瞬間、機械の少女の表情が強張った。
 機械は動揺してこちらを見遣る。
「もう手遅れじゃ。下拵えも済んだ。後は精々祈るのじゃな」
 天空に巨大な眼が存在していた。眼は怨恨を呟き続けている。
「憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを憎しみを」
 誰に向かって言っているのかそれとも誰にも言っているのかそれは虚無的な感情と共に下界を睥睨した。
「あれがジ・オーダーじゃよ。わしの空間操作で今はフィア・パーパを認識しかしておらん。これがどう言う意味か判るの」
「わ、私がこんな所で負けてたまるものか!」
 機械の少女は端末が造り上げる最大限の巨大なエネルギーを創造した。それはきっと恐らく星を消し去るのに十分な力で、それにも関わらず天空の眼に傷一つ与えられない何とも言えない攻撃だった。
 天空から降りた業火はフィア・パーパを焼き尽くそうとしていた。
「まだよ! 本体さえ無事なら」
「残念じゃな。わしの能力は空間に関わるものと言ったじゃろう? 端末であるお主と本体を結ぶことなぞ造作なきことじゃよ」
「そ、そんな……私が……運命の支配者……たる……私が……」
 フィア・パーパは崩れ落ちると天空の瞳は消えた。いや、封じ込められたと言うのが精確か。
「すまんな、坊や。愛犬を失ったお主が触媒だったのじゃよ」
「実に単純な作戦でしたな。毒を以って毒を制す。事後整理は大方目処が付きました。フー卿は如何なされますか?」
 後から現われたウォリアーが淡々と言う。 
「放っておくが良かろう。どうせあれから灰色の皇帝は探れんじゃろな。泳がせて手札の中に閉まっておくのが一番じゃな」
「では。その方針で」
「狡猾かと思うかのう? 子冬卿」
 老ノートンが初めて自分の名前を呼んだ気がする。彼は続ける。
「これが歴史じゃよ。覇権を手にするとは綺麗ごとでは済まされないのじゃ。手段を合法に変えなければならん。かつて覇権国家がそうだった様にのう。綺麗ごとでは世界は変革出来ん。まあ、『使徒』はその綺麗ごとを貫かねばならんからの。その辺の均衡は危ういのう。じゃが、お主のやることは他人任せよな。いや、無気力と言うべきじゃろう。子冬卿、どれ程優れた設計を持っていたとしても行動なければ意味はない」
 そう言って老ノートンは立ち去った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

語り手……肉体も衰え、心も荒んだ状態の語り手。『全てに救い』と『全てに滅び』の狭間を彷徨っている。

少年……『全てに救い』の信条を持つ者。語り手に助言する。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ソロモン……『使徒』の一人にしてシステムの構築者。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

マルティン・ルーサー・ウォリアー……『使徒』の古参の一人。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ジョシュア・エイブラハム・ノートン……最古参の『使徒』の一人。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み