経緯0度の異国 

文字数 4,216文字

 
「あ~あ……退屈だなぁ~……」
 
 あたしのコトバ。
 あたししか呼吸をしていない家に何の気兼ねもなく吐けたコトバ。
 お母さんもお父さんも妹も知らない、あたしのクチグセ。
 だって、あたしの『退屈』はこの家と、この町と、これまでの人生に対しての評価なんだもん。
 でもこれでけっこう家族想いだと自覚しているから、居るところでは言った覚えないんだ。
 
「ニャア~……」
 
「あ、ごめん、お前が居たね」
 
 自分以外に酸素を消費している子がもう一人居た。
 撫でるためにあるような柔らかい白毛がモデル級のしなやかスタイルを飾っている。
 ルックスもひいき目なしで『ミスこの辺』。もっともこの辺に何匹の猫が棲んでいるか分かるわけないけれど。
 でもこの娘の最大のチャームポイントは別にある。
 それはそうと……
 
「あ~も~退屈ぅ……生きる気力なくなりそ~!」
 
 この気持ちをはっきり確認したのは去年の夏休み。
 色々あって思い出づくりに失敗して時間だけが余っていた毎日。
 独りの過ごし方を見つめなくちゃいけなくって、その結果十歳から十六歳まで暮らしてきたこの町に飽き果てている自分を発見した。
 
「もうこんな町住み飽きたぁ。どっか遠い遠い国に行きたいな……」
 
「ニャア~」
 
 さっきより少し意思を感じる鳴き声。
 ソファから身を起こすと、開けっ放しのリビングのドアから見える玄関にあたしの抱き枕が移動していた。
 
「なによ~こっち来なよう……一緒に寝んねしよ? ……って、呼んでるのアイ?」
 
 アイはEYE。
 父が付けたんだけど、Sがないのはこの子が対の瞳を持っていないからなんだって。
 最大のチャームポイント、色違いの瞳。
 右がエメラルドグリーンで左がサファイアブルー。厳密には分からないけどね、カッコイイと思ってあたしが大まかに分類した。
 でもそもそも『アイズ』なんて女の子に付けないし……。
 
 頑として玄関から見つめてくる彼女に、あたしはしぶしぶ起き上がって従った。
「散歩?」
 ドアを開けてやるとちょっと出ただけでまたふり返って待っている。こんなこと初めてだけど、本当に呼んでいるらしい。
 なんだか好奇心を刺激されて、外界へと足を延ばしてみた。
 天気は上々。正午の空気は緩んでいて「好きなようにすればいいじゃない」と言っているみたいに思えるけれど、それでいてハメを外す隙を見せないのがお天道様の堅さ。だからお月様が逃げてくんだよ。
 さ~て、人生変えるような出会いなんて100%前後ありえない。
 分かっているけれど、ただあたしの前をゆっくり歩きだした優雅なアイに妙に惹かれてしまった。
 
 肌を包む暖かさ。
 テカテカと明るい世界の中に時折、溶け込んで消えてしまいそうな白猫。
 可愛い後姿を見失わないように見つめながら歩いていたら、いつの間にか辺りが覚えのない景色になっていた。
 ここ何処だろう?
 アリス現象?
 あたし実はまだソファで夢見ている?
 
「ねぇ、アイ、ここ何処なの?」
 
 動物を飼っている人なら分かると思うけれど、飼い猫に話しかけたからって別にあたしの頭がおかしいわけじゃない。
 答えを期待しているわけじゃないし、傍目から見てもハンズフリーで談笑している人よりは安心感のある光景なはず。
 
「え? なに?」
 
 アイが道の脇に顔を向けたからあたしもつられた。
 そこにはちょっとイイ感じのお屋敷があった。
 旧い良家って感じで、年季のある門とボサボサの前庭の向こうにズシッと構えている赤茶色の邸宅。
 口髭を生やしてパイプを吹かす旦那様と、エプロン姿でパタパタ働く家政婦が目に浮かんだ。
 今は人の気配がしない。
 一瞬、門が開きそうなら入ってみようと暴走しそうになった心を、しれっと歩きだしたアイの背中が引き留めてくれた。ゲームじゃあるまいし不法侵入しなくて良かった……。
 
 この辺り上品な風格を持つ家が多いことが分かってきた。
 やがて猫様は急に脇道を選んだ。
 ついていくとまもなく、彼女はキャットウォークを止めて右を向いた。
 
「あ、可愛い……!」
 
 あんず色の小さな植木鉢が伏せの形でいくつも重ねられて、それを細いロープ(または太い紐や針金?)でつないでいるらしく人型の様相を描いていた。
 一軒家の玄関脇に四肢を投げ出して座っている。しかも二体と、間にもっと小さいのが一体。
 鉢の家族に身惚れながら、携帯を忘れてきたことを惜しく思った。
 
 白いトップモデルの気まぐれ旅行は続く。
 彼女がまた顔を向けるのでつられてみれば、二階建て家屋の大きな壁に電飾が溢れていた。
 真っ昼間なので点灯していないからそのコンセプトにはすぐに気付けなかった。
 木なのは分かったけれどモミの木じゃなさそうで、クリスマス過ぎても不精しているって事とは違うみたい。
 今は春…そう考えたら正解が出た。たぶん桜の木を表現しているんだ。
 ってことは赤い電球と白い電球を密集させてピンクっぽくしているとか?夜にもう一度来てみたいってすごく思った。
 それにしても携帯……持って来ていれば。
 
「アイ、アイ~! もぉ~何処行くのよ~?」
 
 ずんずん進む彼女に文句を言いながら付いていくと、あたしの目におしゃれなカフェが飛び込んできた。
 同時に、そのお店の前でアイは足を止めてふり向いた。
 小さいお店。
 入口は少し高い位置にあって、木製の階段を五回踏まなくちゃならなかった。
 手作り感のある『営業中』の看板が手招きしている。
 ちょっと入ってみたい……そう思ったら、アイは急に日向ぼっこを始めた。まるで『いってらっしゃい』と手を振られているように思えた。
 トン、トン、トン、トン、トン……靴の裏で心地の好い響きがする。
 カラン……と控え目な音が鳴って、木の扉が見た目より軽く退く。
 店主っぽい女の人があたしに気付いた。たぶん三十半ばかな? かなり綺麗な人で、思わずあがってしまった。
 
「あら、いらっしゃいませ」
 
 まるでお客さんが来たことが意外かのようなリアクションを置きつつ、柔らかな笑顔と声で迎えてくれた。
 そういえばお昼時だと言うのに、狭い店内の一席すら埋まっていない。
 テーブルは三つ。
 元々お客さんが来ないことを前提としているようにすら思えた。
(趣味だからいいのかな?)勝手に決めつけそうになる。
 
「趣味だから」
 
 店主はまるであたしの心を読んだみたいに、悪戯っぽく笑いながら言った。
 確かに好き放題にインテリアを決めたって感じ。
 でも正直……この趣味はすごく好きかも。
 大人っぽい落ちつきと女の子っぽい可愛らしさが絶妙に溶け合っている感じがして……まるでこの店主さんの印象そのもの。
 選んだ席の背後にある出窓に飾られた綺麗な花。
 この赤い花……なんだっけ。顔を近づけるとほんのりと甘い薫りに鼻をくすぐられた。
 
「何にしますか?」
 
 お水とおしぼりを置きながら尋ねられて、あたしは慌ててメニューを開いた。
 品数はかなり少ない。軽食にはパスタが三種類、オムライス、カレー、トースト、サンドイッチが一種類ずつ。デザートはケーキが四種類、アイスが三種類、あとはソフトドリンクと……一応多少のお酒もあるみたい。
 でも写真はどれもかなり美味しそう。
 あたしはちょっと迷った末に、好物のティラミスとミルクティーを頼んだ。
 
「かしこまりました」
 嬉しそうに言う。微笑に魅かれてまた耳たぶが熱くなった。
 
 ヒーリング系のクラシックに耳を傾けつつ店内を観察しているうちに、注文の品が目の前に運ばれてきた。
 感想……すっごい美味しい。
 これで幾らだっけ!?
 メニューを見直そうとして全身に鳥肌が立った。あたし、ポーチ持ってきていないんだった……。
 
「あら、どうかしました?」
 
 どうやらこの店主さんはすごく気配りの出来る人らしい。
 
「さ、財布……」
 
 あたしの顔色が相当悪かったのか、彼女は安心させるようにコロコロと笑った。
 
「忘れちゃったのね? じゃあ今日はサービスにしてあげます。こんな可愛い子が私の店に来てくれて嬉しかったもの」
 
 たぶん真っ赤になって驚いているあたしに、条件を付け加えた。
 
「その代わりまた来てくださいね。気が向いた時でいいから」
 
 言われるまでもなくこれから通っちゃうと思ったし、弾みで宣言までしてしまった。
 カラン……と鳴らしながら外に出て、天気が好いことに幸せを感じる。このお店の全てが好きになった自分を発見していた。
 
「ニャア~ン」
 
 入る時と同じ姿勢のまま、アイが欠伸まじりに『おかえり』と言ってくれた。そしてまた先を歩き始める。
 じんわりと余韻に浸りながら彼女の後についていく。
 あたしは不思議なことを考え始めていた。
 この子はもしかして、あたしの「退屈だぁ~」ってコトバを理解して魔法を使ってくれたんじゃないだろうか?
 さっきのお店……もう角を曲がっちゃったから見えないけれど……本当に存在したのだろうか?
 あのタイムスリップしたような味わい深いお屋敷は?
 植木鉢の小人達は?
 桜の木をイメージした電飾の家は?
 あたしはいま何処に居るんだろう?
 まったく知らない景色ばかりがゆっくりと流れていく。
 何処か遠くへ……夢の国へでも飛ばされてしまった様に思えた。
 
「ニャア~」
 
 ところが現実は不意に戻ってきた。
 彼女に連れられて歩いた見知らぬ景色のゴールが、よく知る道へと脇から繋がったのだ。
 
「ここだったんだぁ……! 全然気付かなかった~」
 
 たぶん今日一番の驚き。
 来た道をふり返ると、それは普段なら目にも留めない細い小道。
 ほんの一本裏側へ足を踏み入れるだけであたしの町は異国になった。
 六年も住んでいて、こんなところ飽き果てたなんて言っていて、でもあたしは自分の暮らす町のことをどれだけ本当に知っていた?
 思えばいつも携帯片手に歩いたり自転車こいだり。
 誰かが隣にいれば昨日のテレビとか雑誌の写真とかを目に浮かべてばかり。
 本当はあたしの黒い瞳にはいったい何が映っていたんだろう……?
 アイがゆっくり前を行く。
 白くてしなやかな体に気品すら漂わせて歩いていく。
 
(教えてくれたの?)
(「ちゃんと見てごらん」ってあたしに)
 
 彼女が一度ふり返った。
 優しく降り注ぐ陽光を浴びて、二つの宝石が神秘的に映えていた。
 
 家まで続くいつものこの道も、いまはちょっと違って見える。
 
 
  
 
 
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