七日間の価値 

文字数 4,056文字

 
 僕らは最期の時間を外の世界で過ごす。
 何不自由なく居心地の好かった土の中を這い出て、どうして太陽と風にあたり寿命を縮めてしまうのか……
 僕らはこの世を去る前に知りたくなるからだ。
 何のために生まれて、
 何のために生きたのか。
 僕らがサナギを破って未知の世界に出る時、必ず一番初めに分かる情報(コト)がある。
 それは残された時間。
 僕の余命は……七日間だった。
 
 初めて宿る樹。
 樹液の香り、風の冷たさ、木漏れ日の眩しさ、そして僕の産声。
 何よりもまず声をあげたくて、それは止められなかった。
 力いっぱい歌う。
 信じられないくらい気持いい。
 これから僕はたった七日間で一生の答えを探さなければならない。
 でもまずは、こうして全身で叫ぶこの瞬間のために生まれてきたのではないかとすら思いながら、心ゆくまで歌い続けた。
 
「――君はいま生まれてきたんだね」
 
 黒っぽい立派な羽のセミが話しかけてきた。
 同族だけれど僕とはまた違う彼はすぐ隣にしがみつく。
 
「僕は今日が最後の一日なんだ。君さえよければ話をさせてくれないかな」
 
 今は何の手がかりもないから、僕はとりあえずお喋りに付き合うことにした。
 彼は嬉しそうに笑うとゆっくりと話し始めた。
 最後の日だと言いながら、それを惜しむ様子もなく。
 
 彼は二十日間の余命を持ち、この世界に出た。
 外界に対して少し恐れを抱いていたけれど、それはすぐに感動に変わり気の済むまで叫んだという。ちょうどさっきまでの僕のように。
 色々な樹を渡り、たくさんの同族に出会ったり、たくさんの危機に出会ったりした。
 やがて一人の女の子と恋をした。生まれて三日の子だった。
 二人で一緒に様々なものに触れ、様々なことを共有した。
 しかし彼女は二日前に先立ったらしい。彼はそれがとても悲しかった。
 
「でも最後の日に彼女は言ったんだ。私は答えを見つけた……と」
 
 僕は驚いた。
「それを聞いたのですか!? じゃあ僕にも答えを教えてください! そうすれば残りの七日間は何も考えずに思う存分歌って過ごせます」
 思わぬ幸運に舞い上がる僕に、しかし、彼は予想外の言葉を返す。
 
「彼女の口からは聞いていないけれど、僕もやっと彼女の見つけた答えが何なのか分かった。でも教えることは出来ないんだ」
 何故なら、と続けながら彼は幹を離れて飛び上がった。
 待ってと僕は叫ぶ。
「君の答えは僕らと違うから。この意味が君にも分かる時がきっとくるよ」
 何故か満足そうにそう言い残して、彼は遠い彼方へと去ってしまった。
 
 日暮れ時、空は突然湧いた黒い雲に覆われ、土の下の同族が心配になるほどの強い雨が降り注いだ。
 宿り木の葉は重そうに何度もお辞儀を繰り返す。
 彼らがバラバラと鳴らすのは僕を雨から守っている音だった。
 この演奏の中ではとても歌う気になれなかったけれど、だんだんと心地好く感じて目を瞑る。
 ひんやりした夜に抱かれながら僕は最初の日を終えた。
 
 次の朝が訪れても雨は止むことなく降り続けた。
 あとたった六日しかない僕の気持は焦りと苛立ちに乱れ始めた。
 けれどこの中を飛び立ってもきっと次の樹まで辿りつけない。
 ただじっと我慢しながら、昨日の彼のことを考えた。
 もう寿命を終えてしまったことだろう。
 最後の夜がこの大雨だったのはきっと残念だっただろうな。
 力尽きて落ちた場所は泥水の中だろうか?
 息が出来ずに苦しんで死んだのか、それとも水に抱かれるように安らかに眠ったのか……
 彼の見つけた答えとは何だったのだろう?
 彼の恋人の答えは?
 考えても分からないけれど、一つ思ったことがある。
 答えを見つけるためにはたぶん……恋をしなくちゃいけないんだ。
 一人で探すのは大変すぎるから。
 だからたくさん歌を歌おう! 何処かにいる運命の子に聴いてもらえるように!
 そのためにはまずはこの雨が止んでくれることを祈ろう。
 この中じゃ声は届かないし、もし届いても出会うことはできないから。
 
 三日目に入ってやっと雨はあがり、眩しい夏の日差しが降り注いだ。
 僕はここぞとばかりに声を上げた。
 お腹も羽根も震わせて、全身で歌う。
 でもそれは僕だけじゃなかった。
 誰もが出会いを求めて叫び、恋を掴むのはひと際美しく鳴く者だけだった。
 残念だけれど僕の声はそれほどではなくて、いつになっても応えてくれる子は現れなかった。
 
 次の日からまた酷い雨模様が続いて、僕は何も探せないままその後二日間を樹にしがみついて過ごした。
 命を無駄にしているような虚しい気分に包まれていた。
 
 やっと晴れた時、僕に残された時間はたった二日になっていた。
 ところが、どうしようもない焦燥感を抱えながら力の限りに歌い始めたその瞬間、世界が暗くなった。
 驚いて飛びあがっても柔らかいものに阻まれて、それからニンゲンの手で狭い場所に閉じ込められてしまった……。
 
 ゆらゆらと運ばれて辿りついた場所は、土の中でもないのに陽が差さず風も吹かない無味乾燥な世界だった。
 ニンゲンは折れた太枝のようなものをこの狭い中に押しこんできた。
 その後はただ放っておかれた。
 僕はその枝にしがみついて必死に叫んだ。
 でも女の子どころか仲間の声も聴こえない。
 あとたった二日しか生きられないのに、こんな所で時間を無駄遣いしたくない。
 無我夢中で飛び回ってあちこちに体をぶつけたけれど、羽根が傷むばかりで外に出ることは出来なかった。
 
 辺りが薄暗くなってきたと思ったら、急に眼に痛いくらい明るくなった。
 夜も昼も分からない状態に僕の気は狂いそうになった。
 しばらくすると突然光が消えさり、押し潰されそうな暗闇に落ちた。
 ニンゲンの気配は静かになった。
 僕は自分がどうしてこんな目に遭っているのか分からないけれど、明日もこのまま最後の一日をここで過ごして死ぬのだろうと理解した。
 僕らは何のために生まれて、何のために生きたのか。
 あの日の彼は、僕にも彼らとは違う答えがあると、その意味がきっと分かると言った。
 彼は二十日間も答えを探せた。そして見つけることが出来た。
 僕はたった七日の寿命。
 あげくにこの結末。
 何もかも無駄だった……それが僕の答えなのだろうか?
 それが彼の言っていた「違い」なら、こんな意味なんて理解したくなかった。
 
 寂しさ。
 悲しさ。
 これ以上感じたくない。
 もう二度と目覚めたくない。
 そう願いながら、僕は眠りに落ちた……。
 
 
 どれくらい眠っただろう?
 何かに押さえつけられる感じがして僕は目を覚ました。
 羽根が広げられない。
 ニンゲンの指で体が持ち上げられていた。
 驚きと恐怖で思わず叫び声をあげた。
 途端にその指が開かれて、僕は一目散に飛び立った。
 
 
 ―――そこには、青い空があった。
 
 
 太陽は遠い。
 日差しはとても強くて、風は温く緩やかに流れている。
 見下ろす世界がどんどん小さくなって、だけれど何処までも広がっていく。
 僕は鳴くことも忘れて飛び続けた。
 ニンゲンに捕まる前の五日間、ずっと樹の幹にしがみついて歌を歌っていた。雨を凌いでいた。
 知らなかった。
 自分が、本当はこんなに自由だったなんて。
 
 今日が最後の日。
 僕は何も答えを見つけていない。
 でももういい気がしてきた。
 生まれてきた意味も生きてきた意味も分からないけれど、いま自分が生きていることだけははっきりと感じている。
 ああ、そうだ……出来ればこの気持ちを誰かに伝えたい。
 それだけできっと僕は満足して生涯を閉じることができる。
 
 遠く下に見える林の何処からか、喜びに満ちた歌声が聴こえてきた。
 僕は風を切ってそこを目指した。
 
 
 一本の樹の幹に、小柄で少し透き通った同族がとまっていた。
 小さな全身を震わせて気持ち良さそうに歌っている。
 僕は隣に降りた。
 
「君は生まれたばかりだね」
 
 彼は驚いて歌をやめると僕の顔や羽根をまじまじと見つめた。
 
「僕は今日が最後の日なんだ。誰かと話がしたいなと思って……聞いてくれるかな?」

 僕のお願いに少しだけ考えたあと、彼はにこやかに頷いた。
 なんだかとても嬉しい気持ちが胸に広がっていく。
 僕はこの七日間に体験したこと、感じたことを、出来るだけゆっくりと話した。
 あの出会いと驚き、雨音の心地好さ、求愛の昂り、過ぎゆく時間への焦り、苛立ち、虚しさ、閉じ込められた一日の絶望感、怖さ、寂しさ、悲しさ、解放された時の喜び、自由を知った感動……
 
 話しながら自分で気付かされた。
 たった七日間だけれど、僕は色々な想いを学んでいた。
 ただただ居心地の好かったあの温かい土の中では知ることの出来なかった様々な感情。
 緩やかに満たされ続けていた数年の日々と違って、この短い時間に多くの辛い気持ちが襲いかかった。
 そして一度も経験した事のない胸が震えるような喜びも。
 生きてきた意味なんて問いかけていたけれど、それ以前に自分が生きていることそのものをこんなに感じたことがあっただろうか?
 
 そうか……
 そうだったんだ……
 
 彼を見つけて降りてきたところまでを話し終えて、空が茜色に染まり始めていることに気付いた。
 僕はこの物語を締めくくる言葉を口にした。
 
「……そして、僕はやっと答えを見つけたよ」
 
「本当ですか! それを僕にも教えてください! そしたら好きなだけ歌を歌って余生を終えられます」
 
 目を輝かせる彼に思わず笑みが零れる。
 あの時の彼もこんな気持ちだったんだなって……やっと分かった。
 僕は樹を蹴ると羽根を広げた。
 
「君には君の答えが待っている…… それが分かる時が、きっと来るよ!」
 
 まだ羽根の未熟な彼の呼ぶ声を背に、僕は夕暮れの空へ舞い上がった。
 もうすぐ夜が訪れて、世界と一緒に僕も眠りにつくだろう。
 その時がどれほどの暗闇でも、たとえ土砂降りの雨の下でも、何一つ辛くなんかない。
 最後の瞬間まで僕の胸には、この七日間の価値が輝いているはずだから。
 
 
 
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